再び闘いの決意!!

 2017年10月20日(金)のこと。
さて、前回の衝撃のお告げから2週間後の定期健診。
この日は、いつものただの健診と違って、私から答えを出さねばならない。

まずは、いつもの健診結果から。
採血の結果、肺炎の事後経過も、肝臓も腎機能もすべて問題はない様子。
今回はプレドニンの量は変わらずに現状維持のままのよう。
相変わらず血糖値の自己注射も依然として継続ということで、定期健診としての内容はつとめて無難に終了。
腫瘍マーカー以外の検査結果はすこぶる順調のようである。
自覚症状もこれといって変化もなく、食欲も普通にあるし、体の倦怠感も、どこにも痛みなどのかけらもない。
しかし、ここ最近、時々ではあるが一時的に腹部のあたりに違和感を感じるようになってはいる。

そして・・・・・・。
いよいよ、前回、投げかけられた今後の抗がん剤治療についての私の返答。

簡単にここまでの経緯をまとめると、点滴の抗がん剤の副作用による間質性肺炎が発症。
当面は、この間質性肺炎の治療に全力集中し、その間の抗がん剤治療はストップ。
抗がん剤の治療を停めていた期間はおよそ3か月。
ある程度、間質性肺炎も収まってきた時に、腫瘍マ-カーの上昇が認められる。
私の主治医、M医師としては、これからどんどん悪くなっていくという見込み。
間質性肺炎を起こした要因となる、点滴の抗がん剤はもう使用できず。
残された治療の手段は内服薬による抗がん剤のみと告げられる。

しかし、これもやってみないと効果があるかどうかもわからない。
何もせずに経過を見ていくという選択肢もあるにはあるが、もし何もしなければ余命は3カ月から半年とのこと
つまり、病気が発症した初期の状態、振出しに戻ってしまったということらしい。
「さて、どうしますか?」というのが前回の診断時の流れ。

実際のところ、私の中では「どうしますか?」もこうもない。
やれる手段があるなら、例えどんな副作用が待っていようとも、やれることはやる!!というのが、もともとの私の癌に向き合う対決姿勢。
ただし、全てにおいて過度な期待はせず、自然の流れに身を任せ、どんな結果でも甘んじて受け入れるつもりでもある。
それが死という終着点であっても、私は今のところ全く動じてはいない。
だから、毎日よく眠れるし、この癌に対しての直接的なストレスは一切ないといってもいいだろう。
癌細胞からしてみれば、その母体である私の肉体が消滅すれば共倒れである。
私は火葬場で道連れにしてやるつもりでいる。


そして、私の残された時間に関しては、こんな私でも、この世に存在した証を人のお役に立てるという形で、この世での私の役割を成就させたいと思っている。
このことは私の気力が衰えることがなく、成果を出せる状態が続く限り、たとえ体がボロボロになろうと突き進もうと思っている。
これこそが、私の闘病への原動力でもあり、私の背負った運命に対する、ささやかな抵抗でもある。

ただ・・・・・・・。
気になるのは残される家内のことだけ。
家内には、あまり命に関して消極的なことは言えない。
そのため、できることは無理のない範囲で、徹底的にやっていこうという意欲も一方ではある。
そのため、今回の内服薬の抗がん剤。
このことは、一番、最初の入院の時にも話は聞いていて、色々な選択肢の中の一つに入っていたはず。
闘う武器が全てなくなったわけではなし、私は即、受け入れる決意はしていた。
しかし、一応は家内にも、この現状と私の決意を耳に入れておく必要がある。
いったん持ち帰って、家内とも相談し、正式に受け入れる決意を固めた。

効果のほどはわからない。
たとえ、効果があったとしても、点滴の抗がん剤ほど効き目がないのも現実であろう。
でも、何もしないで、指を咥えているのも、私の性分ではない。
そしてこの日、この決意をM医師に伝えた。

M医師としては、この返事を待っていたかのように、「では、今日から処方しましょう」ということで、エスワンタイホウ配合OD25gという薬が出されることになった。
後で、ネットで調べると、この薬、もともとはテイーエスワンという薬のジェネリック薬のよう。
この薬、結構な劇薬のようで、その取扱いは普通の薬とは全く違う。
看護師さんからも定量の服用であることの注意を厳重に受け、薬を受け取る薬剤師さんからも何やら難しい説明をされる。

そして以下のようなカードを手渡される。
《表面》《裏面》









よほどの取り扱いの注意が必要なのか、別紙で飲み方や副作用についての説明書まで手渡される。
特に、このフッ化ピリミジンとかいう舌を噛みそうな系統の薬との併用は厳禁のよう。
まぁ、劇薬と考えてもいいのであろうか。
我が家にはもう乳幼児もいないし、そういう来客者もおそらくいないだろう。
ただ気をつけるべきは、わんこ達であろうか。
彼女(2頭とも♀のため)らは、落ちているものは何でも口に入れる。
つい、うっかりと、薬をポロリと落として、それをわんこ達が口にでも入れようものなら・・・・・・。
結構、大変なことになりそう。
これはかなり気をつけなければならない。

取りあえずは癌と闘う、次なる武器の入手は完了。
どれほどの効果があるのか、どれほどの副作用があるのかはわからないが、さっそく今晩から服用開始。
飲み方は朝夕2錠、4週間続けて2週間休薬期間をあけて、また4週間飲み続けて・・・・・という繰り返しのサイクル。
まずは、やってみるということに。

そうそう、この日、もう一つ特筆すべきことが。
それは、前から少し気になっているM医師の対応姿勢。
言うことは、結構厳しい現実も淡々と言う。
それはいい。
むしろ私はそれを良しとする。
しかし、それにともなう細かいことが、こちらから聞かない限りは何も言ってくれない。
そして、このM医師の風貌や雰囲気が、気軽に質問できる雰囲気でもない。
これも、まぁ・・・・・・いい。
人格まではせめることもできない。
やることはやってくれているので、それなりの感謝はある。

でも、今回のことでも、ただ腫瘍マーカーが上がったということを口頭で伝えるのみで、具体的にどうなのかという資料の一つもない。
私も、大きく状況が変われば職場の人も含めて、色々な方々に報告の義務もあると思っている。
それが、ただの口頭のみの状況報告では、まったく説得力がない。
さりとて、どんな資料があるのかもわからないし、とりあえずはM医師が眺めているPC画面の腫瘍マーカーグラフを印刷してもらえないかとお願いしてみた。
やや、面倒くさそうに、「わかりました~」といって手渡されたのが以下の2種類のグラフ。

《2016.1~2016.10までの偏移グラフ》《2017.1~2017.9までの偏移グラフ》










本当にPC画面のハードコピーだ。
ちゃんとした資料ではない。
でも推移がわかるので、これでも私は良しとした。

診察を終えて、外の待合でじっくり見て、改めてびっくり。
腫瘍マーカー上がっているのは、なんとこの年2017年の8月からではないか!!
まぁ、上がってもすぐに下がるかもと思って黙っていたのかもしれないが、結果論で言えば2か月前から悪くなっていたということ。
そして、前回「上昇の兆しが見えます・・・・」という説明だったが、このグラフの角度を見ると、ちょっとどころではないのがわかる。
正直、私は驚愕した・・・・・・・・。
まぁ、こういうショックを与えないためにも、あえて、M医師は積極的に情報を出さないとう見方もできる。
患者自身があまり数値に神経質になってしまうのも、確かに良くないことというのも理解できる。

ただ、このM医師の振る舞いを、いくら善解釈しようとしても、やはり無理が生じてくる。
それは、この2つのグラフをよく見ると、縦軸の単位が違うのだ。
つまり、上昇傾向を見せるグラフは前のグラフの拡大版だということがわかる。
これも、よく見ないとわからない。
どうしても、視覚的にグラフの角度の方が印象に残る。
こういうことも一切何も説明もしないで、ただ機械的にサッと手渡すだけ。

これは、忙しいから・・・・という理由では済まされない、対応の脆弱さを感じてしまう。
医師としての判断は間違ってはいないのだろうけれど、対人スキルにはかなり問題があるように見受けられる。
これはこういう人だとあきらめるしかないのだろうか・・・・・・・。
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2度目の余命宣告!!すべては振り出しに!!

2017年10月6日(金)のこと。
この日もいつもの定期健診。
先日の腹痛での緊急通院については、確認のみで詳細にはまったく触れられず。
相変わらず肺炎の経過は良好で、例のプレドニンはさらにさらに減薬。
1日1回、1錠の服用となる。
肝臓の数値も悪くなく、腎機能も横ばいで、まぁまぁとのこと。

しかし・・・・・・・。
この日、いつもと違う展開が・・・・・・。

それは腫瘍マーカー。
いつものM医師、表情をまったく変えずに「腫瘍マーカーが上昇の兆しがみられます・・・・」とのことから。
そして、「おそらく、今後はこのまま上昇は続き、悪くなっていくものと思われます」とのこと。
「えっ!!」と私は一瞬にして固まる

ここまで肺炎の経過は良好で、私も自覚症状が何もないため、癌については気にはなっていたものの、すっかり安心しきっていた。
それが、この日突然の、この通告・・・・・・・。
まるで、改めて癌の告知をされたような感じでもある。

「今後、厳しい展開が予想され、この後、残す手段は内服の抗がん剤しか手はありません」と続く。
今までの点滴の抗がん剤については、この6月に腎臓への負担で、2種類使用していた抗がん剤を1種類に減らしている。
そして、この間質性肺炎により、その6月末頃を最後に、抗がん剤の投与は全くしていない状態が続いてもいるのだ。
それは、いったん肺炎を起こしてしまうと、その元凶となる抗がん剤はもう使えないということで、その後も今日に至るまでは、かれこれ3か月近く、ずっと抗がん剤の投与はしていないのである。
M医師からもまずは、間質性肺炎を抑えてからと言われてもいた。

さらに、M医師からは「今までの抗がん剤(点滴)は効いていたけれども、この内服の場合は、どれだけの効果があるのかわかりません。また、副作用として吐き気や食欲不振、そして確率は低いけれど、また間質性肺炎を引き起こす可能性もあります。今度、間質性肺炎になると、2度目は致命的になるでしょう」とのこと。

実に淡々と事務的に会話を続ける。
半分、脅されてもいるような感じでもあるため、私はまだ固まったまま。
「このまま何もしないで経過を見るという選択もあります」と話は続き、「どうしますか?」とのこと。
このまま経過を見るという選択だとどうなるかを問うと、「一般的には、3か月から半年・・・・・」と余命のことをやんわりと。
私が驚いた表情を見せると、「もともとの状態が状態だったので、ここにきて振り出しに戻ったということになります」ということで、今後の内服を使用するかどうかの検討をして欲しいということで話は終わる。

正直なところ、その言葉を聞き、まだ私の体は全身硬直はしたものの、内心「ハハハ・・・・・」と笑ってしまう
ここにきて、また余命宣告か・・・・・・・と。
生涯のうちに、2度も余命宣告をされるって、そうそうないことでもあろう。

それにしても、このM医師、心というものはないのだろうか・・・・・・・・。
確かに、事実関係だけなら、誠におっしゃる通りだろう。
しかし、私も、ここまで抗がん剤治療や温熱療法、自宅での民間療法でがんばってもきている。
これだけデリケートな状況において、このM医師の口上には、「一番、最初の時に言ったでしょ!」というスタンスだけが垣間見られ、「たいへん、お気の毒ですが・・・・」という姿勢がないのである。
もう少し話の展開の仕方もあるのではなかろうかと、私もカウンセラーとしての有資格者でもあるし、人と向き合う仕事に日々勤めている身でもある。

私が、今までのここの治療方針とこの現状に対して、糾弾でもすると恐れたのであろうか?
私としては、ここのスタッフ全員含めて、ここまで命を引っ張ってもらったことへの感謝こそあれ、疑念や不満などありようもない。
自分だったら、もう少し話の伝え方に気を配るかな・・・・とは思うところ。

だが、ここでM医師のことをどうこうと考えていてもしようがない。
実際のところの私の決断としては、その内服薬を使用していく選択の一択の即断ではあったものの、一応、この場では「検討させてください、家族と相談します」と答えておいた。

どうやら・・・・。
私も、ここしばらくは能天気な状態が続いていたけれども、ここにきて急にまたシビアな展開を迎えてしまったようである。
まぁ、末期癌患者としては、当然のことでもあろうし、改めて現実を突きつけられたということ。
確かに私の病気は癌なのである。
それも末期の。
ここからが本当の闘いが始まるのかもしれないと思い直す。

ただ・・・・・・。
家内になんて伝えようかな・・・・・・・・。
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間質性肺炎、その後の経過・・・・・・・

2017年8月25日(金)から同年9月26日(火)までのこと。
さてさて、間質性肺炎のあの入院から無事退院を迎え、仕事にも復帰しなんとか日常を取り戻した。
その後は、今まで通り外来での経過観察となる。

まず、入院時から予定していた8月25日(金)がやってきた。
肺炎の経過は良好のようで、ステロイドの薬、プレドニンを朝2錠、昼1錠と、1錠分の減薬。
少しづつ減らして、最後は止める方向に持って行くとのこと。
ステロイドもあまり長く摂取し続けるのもあまり良くないということらしい。
ただ、肺のCT写真を見せてもらうと、まだまだ肺に白い細かい影が見たくさん見てとれる。
少しづつ良くなっているとはいえ、まだまだ油断がならないようで、手洗いとうがいの励行を勧められる。

その次の診察は2週間後の9月8日(金)のこと。
またまた経過もよく、例のプレドニンはさらに1錠の減薬。
朝1錠、昼1錠ということに。
その他の状態は横ばいで特に異常はないとのこと。
ただ、インシュリンの自己注射はまだまだ継続。

さらに2週間後の9月22日(金)の定期健診。
この日も、特に問題もなく、プレドニンがまたまた減薬され、1日1回、朝の1.5錠だけになった。
間質性肺炎の事後経過は順調のようである。
他のことについては、何も言われず、いつもの処方されて終わり。

でも、ちょっと・・・・・・・。
癌の方も心配なんだけれども・・・・・・・・。
このM医師、相変わらずこちらが何も言わないと、実に淡々と仕事をする。
まぁ、いいけど・・・・・・・。

しかし、週明けの9月25日(月)に、突如として腹痛発生。
場所的には十二指腸辺りで、胆嚢や肝臓のあたりとはどうも違うみたい。
耐えられぬ痛みではないが、気になるといえば気になる。
食欲は普通にあって、食べられないことはない。

でもあまりに気になるため、翌日、いつもと違って飛び込みでK病院へ行ってみることにした。
いつもの曜日ではないため、医師はあのM医師ではなく初老のKという医師。
この先生の見立てでは癌とは関係がなく、急に腸が収縮したのではないか?ということで専用の痛み止めチアトン10mgを処方された。
昨日痛みが発生した時は、自己判断で今までに貰っていた例のカロナールを使用していたが、この薬はこの症状にはもっといいのだそう。
思えば、癌と診断される数か月前に夜中に腹痛でこの病院に来たことがあった。
その時は急性腸炎ということで、一過性のものであったが、今回の痛みはその時とちょっと似ているといえば似ている。
この薬が効いたのか、少し経つとこの腹痛は収まり、また平和な?普通の日常に戻る。
結果として、正味、1日だけの症状で、癌とも肺炎とも関係がなかったのだが、やはりちょっとの変化には敏感になってしまう。
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ひと月ぶりの出勤!!

2017年8月18日(金)のこと。
この日ようやく出勤。
ただ、体が鈍りきっている(遊びまわるには元気なのだけれども)ので、少し大事を取って、この日は半日だけの出勤とした。
多分、職場に出てしまえば、何ということはないのだが、あの混雑の通勤を考えると、ちょっとひるんでしまう。
それでも、なんとか通勤については、人混みをうまくかわして無事クリア。

職場に着くなり、あちこちから、色々と皆さんから声をかけられる。
別の階の普段あまり付き合いのない人まで。
私が思っているより、いきなりの入院一か月というのは、それなりに皆さんを驚かせていたようである。
思わず恐縮する。

そして、朝礼での皆さまへのご挨拶から始まり、面会に来ていただいた方々へのお礼。
実は当初、のしをどうしようか?と悩んだのだけれども、私の病気の性質上『快気祝い』というのもどうかとも思い、『快気内祝い』というのも末期癌ということを考えると、どうにもしっくりこない。
色々と調べた挙句、『お見舞い御礼』とした。

ひととおり、ご挨拶が終わったら、今度は自分のデスクに戻り、休暇届け等の事務的な手続き。
書くものがいっぱいあるし、具体的な日にちを思い出すのにカレンダーとにらめっこ。
色々な書類を書かねばならない。

そして、自分の業務の整理と調整。
たまたまこの時期、私お抱えの予約者がいなかったこともあって、固定のお客様には大きな迷惑は掛からなかった。
しかし、正式なお抱えの方々以外にも気になる人達がいる。
その後の追跡調査や、色々と状況の変化について、後追いながらも一か月分の情報をサーチする。
その中で、私が何か打つ手があるのかという検討と同時に、その打つ手の手段の準備を整える。

でも、今日のところはここまで。
いや、ここまでというか、あっという間に時間が経過してしまったのだ。
気持ちは、はやる部分もあるのだが、取りあえず今日は体ならしと、状況の確認とともに業務のスタンバイということにした。
ここは割り切らないと、ズルズルとフルタイムいてしまうだろう。
そして、明日・明後日の週末をまた休ませてもらって、来週月曜から私の業務の本格始動と自分に言い聞かせる。
頭も体も久しぶりの仕事モードに切り替わると、ちょっと体調がよくなったような気もする。
やっぱり私には、この仕事も大事な治療薬のようである。
こういう環境があるのは、本当にありがたいこと。
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退院後の自宅療養

2017年8月15日(火)~8月17日(木)までのこと。
無事、昨日に退院。

記載を忘れていたが、この入院期間中に使用した、いつも服用している内服薬以外の薬品(おもに点滴)は以下の通り。
メロベン点滴用キット0.5g
プレドニン10mg(水溶性)
ゾシン静注用4.5g
ヒューマリンR注100単位/ml

といったもの。
どの時点で何を使用していたのかまではわからないが、お薬手帳にはこういう記述がなされていた。

さて、15日~17日までのこの期間はちょうどお盆休みを取得していたこともあり、退院日からは、しばし自宅待機の期間。
でも、自宅待機とはいいながらも、15日(火)には帰省していた息子が東京へ戻る日なので、新千歳空港までの見送り。
その間、あちこちで色々のものを食べ漁る。

8月16日(水)
この日も同様で、自宅にじっとなどしていられるわけがない。
やはり色々と出かけて歩き回った。
特に職場や病院に面会に来てくれた人達へのお返し物も見定めておかねばならない。
結構、遊んでばかりもいられず忙しい。
もはや、自宅でのんびりリハビリとかの気分は、どこかへ吹き飛んでしまった。

8月17日(木)
この日は、家内が仕事に行く日なので、さすがに私も大人しく家でゆっくりとした。
退院後初めて、丸一日、自分の部屋で落ち着くわけで、色々と片付けるものや、たまっていたメールを整理したりと、意外とやることはある。
地味に忙しく過ごしているうちに、なんだかあっという間に一日が過ぎてしまった。

退院後の体調については、すこぶる快調。
相変わらず、ステロイドは服用しなければならないため、血糖値調整の自己注射トレシーバも毎日打っている。
もうこの辺は手慣れたものになってきた。
今、振り返ると、あの一か月の入院はなんだったんだろうと思い起こされる。
間質性肺炎
病気としては、大変怖い病気らしい。
でも、あくまで私の場合に関してなのだが、なんだか、あまりよくわからなかったというのが正直なところ。
唯一、謎の高熱を出して、ヒヤリとしたくらいで、それも正味2~3日でケリがついてしまった。

そしてさらに、肝心の癌のほうについては、いまや放置状態。
どうなっていくのだろう。
まぁ、次の外来は8月25日(金)。
この時には、何かわかるかもしれない。

明日は、いよいよ職場復帰。
今晩は、早めに眠るとしよう。
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プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


どこまでできるかわかりませんが、がんと共に生きる、そして働くという記録を残していきたいと思います。

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