いよいよ抗癌剤治療の準備!!

2016.1.21(木)のこと。
さて、H病院とのゴタゴタはともかくとして、いよいよもって抗がん剤治療の準備開始である。
もうとっくに、私の腎機能は抗がん剤ができる状態にまで回復している。
今日は私の胸にポートと呼ばれる点滴用の台座のような装置を埋め込む日。
このポートと呼ばれるもの。
私が設置するタイプの正式名称は、MRIポート(グローションカテーテルタイプ)というものらしい。
以下に、そのポートなるものの参考画像を示してみる。

 ポートのイメージ:私に設置された実物
 ではありません。

 ポートの埋め込み施術イメージ

どうして、こんなものが必要なのか?
ここまでの腎機能回復の24時間連続点滴の時は、腕から普通に点滴を行っていた。
でも、抗がん剤の時はなぜ?とも思うところ。
説明に来た看護師さんに聞いてみると、やはり薬の種類が全く違うということ。
抗がん剤は確かに治療を行うものであるが、ある意味、劇薬でもあるということから血管を傷めてしまう可能性があるということらしい。
そのため、直接、血管に針を刺すのではなく、胸部に埋め込まれたこのポートの台座のようなシリコン部分に針を刺し、カテーテルを通して、いきなり心臓の大静脈に薬を送り込むという方式なのだそう。
そのため、血管に針を刺すわけではないため、血管の傷みは防止できるという発想のものらしい。

なるほど・・・・・。
と、一応は納得。
ただ、施術は10~15分で終わるとはいえ、レーザーメスを使っての外科的処置でもある。
ちょっとばかし、怖さはある。

そして、その日の夕方。
1Fの放射線室に呼ばれる。
レントゲンを撮ったりするいつもの部屋であり、ここで処置をするらしい。
処置用の簡易ベッドに横になり、埋め込み部を消毒、局部麻酔の注射を打つ。
「すぐ終わりますからねぇ~」「傷みはないと思いますが、万一、痛みを感じたら言ってください」と、スタッフから声をかけられる。

テキパキと準備が進められ、「それでは、開始しまぁ~す」とのことで施術の開始。
痛くはないというものの、いきなりチクリという感覚から徐々に痛みが広がってくる。
レーザーメスが入ったのだろうか。
「嘘、痛いじゃない・・・・」とは思うものの、我慢できないことでもないので、しばし我慢。
そして、切開した部分に何やら押し込んでいる感覚があり、スタッフもゴソゴソと私の胸部あたりで何か作業をやっている。
しかし、痛いんだなぁ・・・・これが。
あまりに痛みを感じるため、とうとうスタッフに「すいません、ちょっと痛みがあります・・・・」と告げる。
「あっ、はい、わかりました」と、一旦、作業の手を止め、追加の麻酔を打ったようである。
少しすると随分楽にはなったが、痛みが完全に無くなったわけではない。
そして、何やら胸のあたりをゴソゴソとやっていたかと思うと、そのスタッフさん。
なんと!!
おもむろに、突然、体重をかけて私の胸部を圧迫し始める。
これが、モーレツに痛いのだ。
思わず「痛い!!」と声を上げるが、「すいません、少しの間、我慢してくださいねぇ~」と軽いお返事。
しばらくこの状態が続くが、私もいいかげんにしてほしい!!と思った頃に「終了です」との声がかかる。
そして傷口の縫合作業。
時間にして、ほんの10~15分位の短い間だったと思う。
やっと、終わったと思うものの、先程の痛みがしばらく残ったまま。
いったい、何されたんだろうという感じである。

これは病室に戻っても、しばらくは同じ状態。
鏡に映して私の胸を見ると、右の図のような状態。
何だか胸のあたりに違和感を感じる。
先程のスタッフに聞くと、お風呂にもすぐ入れるし、寝返りをうったり、多少はこの部分を圧迫するようなことがあっても、まったく問題はないのだそう。
カテーテルが静脈から外れると、ちょっと大変になるらしいのだけれど、それはよほどの衝撃を与えない限りは大丈夫とのこと。
まず、普通の生活状態では、あまり気にする必要はないらしい。

ただ、そうはいっても、この胸のあたりのポコッとした感触は、あまりいい感じではない。
まぁ、慣れるしかないのだろうか。
そうこうしているうちに先ほどの痛みは治まってきたが、今度は右腕が思うように上がらないことが判明。
いや、正確には上がるんだけれども、痛くてそれ以上、上げられないという説明の方が正しい。

夜の担当の看護師さんに訴えると、「先生に聞いてみますね・・・・」とのこと。
しばらくすると、先生からの返事があり、明日の朝一番にレントゲンを撮って確認するということに。
かなり不自由だが、我慢するしかないようだ。

そして、明日はいよいよ抗がん剤の開始。
看護師さんが明日の治療計画書のようなものを持ってきた。
<抗がん剤投与計画書・・・のようなもの>

投与する薬の種類や投与の順番、それぞれの副作用などが書かれている。
まぁ、今はあまり実感がないけれども、とりあえずは眺めておくことにしよう。
抗がん剤の使用に、やや抵抗感を持っていた家内も、ここにきては、もうこれに賭けるしかないという気持ちになってきた様子。
私の心理状態は、癌患者当事者のクセに、相も変わらず妙に落ち着いている。
右腕が上がらないのは、物凄く気になるが、とりあえずは明日に備えて眠ることとしよう。
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H病院の罪・・・・・

 2016.1.14(木)~2015.1.20(木)頃までのこと。
私が入院してからすぐに、家内は家内で例のH病院へ飛んだ。
一応、サードオピニオンとして考えていたあの病院だ。
家内が職場で、「家族があきらめてどうする!!」と言われたこともあり、その病院で話題の『陽子線治療ができるのか?』というのが、やはり確認しておきたいポイント。
ここKY病院のM医師は、あまりこの治療については肯定的ではない。
しかし、私達にはやれることは、やってみようというのが今の考え。
私自身は早く抗癌剤治療をしたいこともあるため、まずは私は入院を優先し、そのH病院へは家内一人で話を聞きに行ってもらった。
光明が見える話となるのであれば、私もここの病院から外出という形を取って、そのH病院へ行くつもりでいる。

家内がH病院へ向ったその当日、病室でボーっとしていた頃、家内からの連絡で携帯が鳴った。
まず、第一声が「手術できるって!!」という声。
泣き声である。
私は一瞬、何を言っているのかわからなかったが、家内がかなり興奮しているのだけは伝わった。
聞いた話が悪い話ではなかったのだろうということは容易に想像がついた。
家内の口からの現状報告で、対応してくれた医師は「大丈夫、最初からうちに来てくれていればよかったのに・・・・」とまで言われたのだそう。
私自身も、この絶望の中でのそういう話であることから、すぐに胸のつかえが降りたような感触に包まれ、もう忘れ切っていた希望という感覚が、少しだけムクムクと湧き上がる。
でも、どこかで、「そんな、簡単なものなのかなぁ・・・・」と、思わないでもない。
「資料ももらったので、すぐにそっち(私の病室)に行くから!!」とのことで、とりあえず家内の到着を待ってみることにした。

喜び勇んで、それこそ飛び込むように病室に入ってくる家内。
今日のH病院での面談内容を改めて聞き、まずは再確認する。
その担当医はご丁寧に、手術イメージを図示までしてくれて、外科的な治療が可能であるということまで説明してくれたみたい。
その資料が以下のもの。

《H病院担当医からの手術イメージ》

何でも、肝臓の悪いところ付近をひもで縛って、切除してしまうのだそう。
そして、その切除した肝臓部分の再生治療を行いながら、抗がん剤治療も同様に進めていくというものらしい。
肺への転移は局所的なものであり、全身の栄養状態と腎臓の機能を気を付けて診ていくということだそう。
肝心の陽子線治療の話はでなかったみたいだが、話の要旨は以上の通り。

う~ん・・・・・・。
私にすると、大変喜ばしいことではあるのだが、患者本人のデータを何も見ていない状況でそこまで言い切れるのだろうか?という疑問はやや残る。
万が一、手術となると、それはそれで大きい話になるので、それなりの新たな覚悟と準備も必要である。
当然、その手術でのリスクがないわけでもないことは言われてもいるようだが。

とりあえず、どうするか?ということで、まず詳細なデータを送って欲しいと言われたとのことで、ここのKY病院から私の病態のデータを送付してもらうようにお願いをしなければならない。
さっそく、ここのM医師との面談を希望することに。
この面談は、状況を直接聞いてきた、家内が一人で行うことにした。

ちなみに、今回面談したH病院の担当は、ここのKY病院のM医師をよく知っているようで、「あぁ、〇ちゃん(M医師の下の名前)に診てもらっているの!?」という会話もあったそう。
この言い回しからすると、医師としての出身学閥で同門ということなのだろうか。
いずれにしても、H病院の担当の方が上位に位置している感じである。

さっそく、その日の夕刻に家内がM医師との面談。
私は病室で待っていたのだが、結果的には、M医師は渋々という感じでデータをH病院へ送付してくれることになった。
やはり、直接診ているM医師としては、「何を言っているんだ・・・・・」という感情があるのだろう。
でも、H病院の担当が自分の先輩なのか師なのかはわからないが、M医師より上位の人であるということもあるせいか、一笑に付するというわけにもいかないようで、「私としては、無理な話とは思いますが、まずは見解を待ちましょう・・・・」ということで、データを送付することで同意となったらしい。
M医師からは「さっそく、明日にでも郵送します・・・・」ということになる。

そして、私はその後も、例の腎機能回復に向けての24時間連続点滴の継続。
日ごと、採血をしながら様子を診ているが、徐々に数値はよくなり、この週明けの月曜日には、とうとうついに「腎臓の状態がよくなったので、抗がん剤の治療に入れます!!」との見解が出た。
しかし、あのH病院からの回答がまだ来ていない。
そのため、抗がん剤の体勢は整ったものの、H病院の見解待ちということで、待機の状態になってしまった。
私の体からは久しぶりに点滴が外れて、スッキリはしたが、私の気分としては「私は、いったいどうなるのだ・・・」という不安は尽きない。

この状態で日時は数日経過することになる。
抗癌剤をあまり良く思っていない家内にしてみれば、あのH病院への治療計画への期待は大きい。
それだけに、この回答がなかなか来ないのには焦れてくるところでもある。

そして・・・・・・・。
やっと結論が出たのは、1/19(水)のこと・・・・・・。
この病院からデータを送付して、およそ1週間近く回答を待たされたことになる。
そして、その結果は・・・・・。

やはり、ここのM医師の見立てと同じで、「手術は無理」という回答だった。
家内の落胆は大きく、涙ぐみながら、私に「ごめんなさい!!」を繰り返す。
いやいや、家内が謝ることではない・・・・・。

私は実際のところは、それほど大きな期待はしていなかった。
やはり、患者本人を目の前にしていないのに、そこまで言い切れるのか?という疑問は払しょくできなかったのである。
あまりにも、言うことが軽い。
ただ、もしその通りになるのなら・・・・という、希望が持てたのも事実。
それが実行できるのならば、新たな治療やリスクにも備えなければいけないことではあるものの、なんにせよ癌に対しての対策が確立するということは、精神的にもかなりのプラス効果があり、たいへん喜ばしいことでもある。
ただ、この結果を聞いた瞬間の落差は物凄く大きい。
時間もかなりロスしてしまった。
結果を伝えに来た、M医師は自説が正しかったということは一切言わなかったが、無駄な時間を過ごしたと言わんばかりに、テキパキと抗がん剤治療への準備の話に入る。

私は正直なところ「やっぱりねぇ・・・・」という感じもあったためか、それほどのダメージはなかったが、家内はやはりショックは大きかったようだ。
私も今の医療社会の現実を見たような気もして、「私は大丈夫だ!!」と家内を慰めることに終始する。
しかしまぁ、どうなんだろうねぇ・・・・・。
医療従事者って。

私の仕事も人様の人生を組み立てるお手伝いをする仕事である。
様々な事情を抱えている来訪者の話を、とにかくひたすら傾聴し、カウンセリングのような形式にもなり、時には善処に向けてのコンサルティングのようなこともする。
ただ私は来訪者にとって、どんなに喜ばしい情報でも、確定してもいない確証の裏付けのないことは、絶対にお伝えすることはない。
それは、今回の私達のケースのように真逆の結論が出た時のダメージを考えると当然のこととも言えよう。
しかし、今回のH病院の担当医は名刺の雰囲気からも、相当にポジションは上位の人のようにも見えるし、経験や見識はそれなりにお持ちであろう。

それでいて、生死の境にいる重篤な患者の家族に対して、なぜにこんな軽はずみなことをモノ申すのであろうか?
本来なら名刺をそのままここで晒したい気分でもあったが、かろうじて私の理性がモザイクによる個人情報部分のぼかしの処理を選択させた。

おそらくこういう状態の時、本人に事情を問うと「いや、私はそのようなことは言っていない、そちらの受け止め方の問題だ!!」と反論されるであろう。
こういう人達のトラブルの際の常套句である。
でも、それならば、あんなにまで仔細な手術イメージのメモを作ってまで、説明する必要があったのだろうか。
良識のある人であれば、「事情はわかりました。まずはご本人にお越しいただいて、当院でも検査をした上で・・・・」となるのが常識的な対応ではなかろうか。
結果として落胆しただけではく、私の抗がん剤治療も遅れてしまったし、ここのM医師やスタッフ達にも迷惑をかけたことになる。
権威ある人たちの常識とは、こんなにも一般の感覚とかけ離れてしまうものなのだろうか。

とりあえず、一瞬の期待は夢見たものの、振出しに戻り、また現実と直面することになる。
M医師はとにかく抗癌剤治療を早めようということで、明日には私の胸にポートと呼ばれる点滴の台座のようなもの(M医師の以前の説明では機械と言っていた)を胸に埋め込むことになる。
簡単な処置とはいうものの、一応、レーザーメスで皮膚を切るらしい。
一通りの処置の説明と、準備について解説され、明日に備えることに。
こうして、激動の一日がこうして終えることに。
とにかく家内には「気にしないで・・・・」と、繰り返し伝えるのみ。
H病院の担当医は、いったい今日のこの日、どんな夜を迎えているのだろうか・・・・・・・。
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面会者たち・・・・・・・

2016.1.17(日)のこと。
息子が病室にやってきた。
およそ2年前に東京に就職先を決め、それ以来の対面である。
昨日の夕刻にこちらへ着いたらしく、一人で家を守っている家内にとっても久々の対面で、大変い心強いことであったろうかと思う。
まだまだ20代の後半にさしかかった年齢とはいえ、やはりその存在は今や家内の強力な心の支えである。

家内も息子に私の現状をどう伝えようか、その伝え方やタイミングには、相当、苦慮もしていたようであるが、私の治療病院が特定できた頃に、メールでことの経緯を伝えた模様。
家を出てから2年あまり、時々家内とはメールのやり取りはあったようだが、お盆休みも正月休みもまったく帰ってこなかったため、「どうしているんだろう?」とは思っていたところでもある。
私の体調異変に驚き、この中途半端な時期ながらも、急きょ飛んで帰ってきたということの経緯。

私との久しぶりの対面は、はからずも私の入院病棟の中。
まぁ、顔つきを見ると、それなりに成長がともなった面構えをしていて、なんとなく逞しくなった感がある。
もともと、あまりベタベタする関係でもないため、お互い言葉少なに近況を語り合う。
私のことで、貴重なプライベートの時間を割き、今回の急な帰省となってしまったことは申し訳ない。
仕事先に迷惑がかかっていないか?などを確認。
仕事については、かなり頑張っているようだ。
私の病状は改めて聞くと相当に深刻な状態ではあるのだが、目の前にいる私が意外とケロっとしているため、やや拍子抜けはしたみたい。
しばし、話をして、お昼ご飯を家内と外で食べてまた午後に来るとのこと。
まぁ、せっかくの久しぶりの故郷である。
食べたい物をたくさん食べて、地元を堪能するといい。
と、一旦は見送る。

そして、再び午後にまた来て夕方まで、なんともなく過ごす。
今日は日曜日のため検査とかはないが、それでも点滴の調整や検温、定期的な採血はある。
息子はもう一晩こちらにいて、明日帰るようである。
万が一、私に何かあった時は、こっちに帰って来てほしい・・・・・と、一瞬の想いが頭をよぎるが、私のことで息子の人生の選択を左右させてもいけないとも思い直す。
家内としては、その期待度はおそらく高いとは思うものの、基本、本人の考えに任せることであろう。
ただ残された家内はどうするか・・・・・・。
まぁ、まだ私は死ぬと決まったわけではないのだが、この問題は私もまだ頭がしっかりしているうちに、考えておかなければならないことなのかもしれない。
などと考えながらも、何気なく時間が過ぎていき、息子は帰って行った。
今回、息子が急に帰ってきたのは、私や家内のことをおもんばかってくれたのことに他ならない。
ありがたい。
感謝である。

そして、この週明けの1月19日(火)頃。
今度は私の弟が予告もなくやってきた。
この弟との対面も久しぶり。
多分、5~6年は会っていなかっただろうか?
私とは7歳違いの弟である。
弟の仕事が飲食サービス業であるため時間が合わないこともあるが、こちらもあまり普段からベタベタした関係でもない。
しかし、私の異変には相当驚いたようでもあり、病院まで飛んできたという感じ。

私達の父母はとうに他界しており、いまや肉親関係といえば、私とこの弟の二人だけ。
また、私と弟は幼い頃から、やや特殊な家庭環境で共に育ち、私が20代前半の頃、父母は離婚。
その後、父母共々とは、そこそこに距離を置きながらも、それぞれが付き合いを続けてきた。
しかし、私も弟も父母に対しては、私達兄弟だけにしかわからぬ深い想いもあり、そのことからある種、特殊な絆が育まれてきた関係でもある。
病室に入ってしばらくした後、弟の口から「あなたは、簡単に死ぬような人間ではない・・・・」と、ポツリと言葉を発する。
どういう意図で発しているのかは言わないし、こちらも聞かなかった。
私もさりげなく「そうか・・・・・」というような言葉を返しただけのように記憶している。
あいつなりに色々な想いがあるのだろう。

弟と過ごしていると、私の幼少の頃の時代のことが思い出される。
当時のことはどう考えても、普通の家庭環境ではなかった。
いい年になった今、当事者としての感情を捨て、どんなに冷静に客観的に考えても、やはり尋常ではなかったことは揺るぎない事実である。
あの時のどうにもならないやるせなさや、子供には対処できない恐怖、他人の家の明るい灯を見て、なぜ自分達だけがという理不尽さを思い出すと、今の病気のことも、そうたいしたことのないようにも思えるのである。

おそらくこの辺りが、私がこの病気を告げられ余命まで宣告されても、まったくメンタル面で動じていないということと関係があるのかもしれない。
確かに一瞬の驚きやショックはあることはある。
家内のことを想うと、心が裂けそうなほど胸が傷むこともある。
しかし、私自身の自分ことで情緒が不安定になったり、眠れないとか泣くというようなことは、特段、我慢しているわけでもないのに、我が感情ながら不思議と一切ないのだ。
ここにきて、人生を呪うようなこともなければ、他人を羨むようなこともない。
あるがままを受け入れるしかないという気持ちが大きくて、まるで切腹を命じられた武士のような面持ちなのだ。

ただ、T病院へ通院していた頃、ちょっとした瞬間に、目の前の風景がセピア色一色になってしまったような錯覚を覚える時はあった。
死を目前にした自分の感覚が、いつも通りの日常の風景や、様々な人生を背負った周りの人々の行き交う姿が、まるでテレビのディスプレイや映画のスクリーンの中のように見える。
そのことは、私の今の心境としては、嘆き悲しんで落ち込むというより、不思議な空間に投げ込まれた・・・・・といった方が正確なのかもしれない。

なんだか弟と過ごした少しの時間が、そんなことを私に考えさせたようだ。
弟自身も、しばらくいた中で、色々なことを考えていたのかもしれない。
そして、「そろそろ仕事なんで・・・・、また来る」と行って病室を出て行った。

いずれにしても、ありがたいものだ。
私なんぞのために・・・・・・。
いつもの家内もそうであるが、2人に感謝である。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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入院生活の開始と家内の悲しみ・・・・・

 2016.1.14(木)~2015.1.20(木)頃までのこと。
※実はここまでの投稿は、当時の詳細なメモが残っていたため、かなり克明に当時の状態をスピーディに再現・投稿できました。
しかし、メモは同年の4月頃分まではデータとして残っていたはずなのですが、色々なデバイスで原稿を作成しているうちに、誤って消去してしまいました。
ここからは様々な資料をもとに、私の記憶を掘り起こしての投稿になります。
そのため、少々、投稿アップのペースは今までよりは遅くなりますが、しっかりと記憶をもとに再現したいと思います。
また、状況の変化も、ここから先は日ごと単位のまとめの必要性もなく、スポット的に特記すべきことがない日以外は、期間ごとのまとめにしていこうと思います。

・入院治療の開始
さて・・・・・・・。
私の治療方針が昨日決定した。
まずは、腎機能の回復。
ということで、私はこれから1週間、24時間の連続点滴となる。
とにかく、一日中の点滴生活のため、かなり、日常の行動についてはわずらわしい。
どうも私の血管は細いようで、点滴に針を刺すのに看護師さんも毎度苦労している。
私自身も痛みが激しく、採血の時とは比較にならない。
これはその時の看護師さんの刺し方によっては、刺した後もずっと痛みが続くこともある。
忙しい中、点滴の落ち具合を定期的に観察に来る看護師さん達も大変のようで、なんだか申し訳なくも思ってしまう。

・内服薬の調整
M記念病院で話題にあがった血糖値の管理をインシュリンにするかどうかについては、ここの病院の専門医とも協議した結果、今まで通り内服で経過を観察していくことになった。
さらに、血圧が割と低いことから、今まで使用していたコディオ配合剤EXという薬では効き過ぎのため、ミカルディス錠20mgという薬に変更することに。
でも、この薬も数日後には、私の血圧の状態が順調なためにやめることに。
やった、血圧管理からは解放される。
長年、服用していた多くの内服薬のうち、これで一つ減ることになる。
多分、このことは今回の病気には関係ないのかもしれないが、この入院で発見できたこと。
そして、例の胸に機械を入れることに備え、予定通りバイアスピリンブラビックスの服用を中止。

そして、私の体調的には、至って元気。
家にいて仕事に行っていた時より、かなり楽な生活であることは事実。
どこかが痛いとか、体がだるいというのも実感としてない。
腎機能の悪化についても、血液検査上のことなので、私自身の自覚症状はまったくない。
実際には事態が深刻なはずなのだが、毎日の気分としては入院する必要があるの?という感じ。
そのため点滴は邪魔だが、生活自体は快適といえば快適。
また病院にいるということで、何か起きても24時間すぐに対処してもらえるという意味での安心感はたいへん大きい。

・食事について
入院翌日の1/14(木)の朝食で、すぐに、ごはんの量の多さに驚く。
私は病気になる前からも、日常的に朝ごはんはごく少量で過ごしていた。
そのため、どこか旅行に行くような時以外は、もともとそんなに食べないのだ。
それに加えて、今は全体的に食事の量が落ちていることから、様子を伺いに来た看護師さんに、ご飯の量を減らしてもらうことをお願いした。
そして、ごはんの量が170gから150gに変更してもらうことに。
しかし、3日ほど続くと、それも辛くなり、たまたま栄養士さんが様子を伺いに来たため、朝食だけ毎食パンにしてもらうことに。
でも、これも食パン2枚と、私には多め。
その翌日からは、食パン1枚にしてもらう。
さらに体調に特段不調はないものの、やはり食欲の加減からか、昼・夜のごはんの量もさらに落として130gという状態で退院までを過ごすことに。

・入院翌日のこと
ちょうど、その入院翌日のお昼頃、思わぬアクシデント。
それは、地震。
結構、揺れる。
テレビにも緊急テロップが流れて、震源地は浦河とのことで最大震度は5弱とのことらしい。
たまたま、お昼休みに来ていた家内もいる時で、これにはびっくり。
病院スタッフも一気に緊張感が走るが、その動きは冷静そのもの。
でも、その対処はプロそのもので、こういう時の日常の対処の仕方というのも徹底されているみたい。
私も家内もちょっと家の様子が気になる。
特にわんこ達は大丈夫か?

・家内の気持ち・・・・・・・
夕方には仕事が終わって、家内がそばのスーパーで弁当を買ってきて、病室で夕食。
今の状況のこと、今後のことについてあれこれと会話。
家内とのLINEも無事開通。
これで連絡も取りやすくなる。
しばらく過ごした後、家に帰った家内からすぐに連絡が来る。
なかなか連絡が取れなかった、私の弟とやっと連絡が着いたということと、息子もようやく航空券が取れたと連絡があったということ。
家族もそれぞれ動き始める模様。
これで、私の病状を知っている人たちは家族全員と、家内の実家、私の実家はもはやないのだが、唯一の肉親である弟、職場の一部メンバーのみとなった。
まだ、私の友人たちには伝えてはいない。
今のところ、どこからどう伝えようか整理がつかないのだ。

そしてしばらくすると・・・・・・。
家内から以下のメールが届いた。

          <メール全文>

お父さんへ・・・、やっぱり寂しくて悲しくて・・・、病院からの帰りは泣きながら運転して帰ってきました・・・

私は一人では生きていけません・・・
でもきっとお父さんと一緒なら乗り越えることができると、そう信じています。

 ただ、抗がん剤治療が逆に大切な日々を短くしてしまいそうなら、その時は家に帰ってきてその日その日を大切に、ふたりで生きて行って下さい、お願いします。

 食べたいモノ食べて、今朝も話したけど普通の生活が一番幸せで、何よりその瞬間がとても大切だから・・・

 きれいな景色見て、あやめとかえでと一緒に散歩して・・・その日常が何より大切だから・・・

 お父さんのこととても大切に思っています、心からそう思います。だから私と二人でこれからも生きて行こうね・・・

 時々自分に負けることがあるけど、その時はお父さんがこんな私を励ましてください・・・逆にお父さんがつらいときは我慢せずに私に話してくださいね・・・

 今まで生きてきたようにこれからも二人で怒ったり、笑ったり、そんな毎日をこの先もいつまでも大切にしていきたいと思います。

 とりあえず、点滴して眠れないだろうけど転ばないようにね・・・


・・・・・・・・・・・。
これには私も泣いてしまった。
結構、ツライ・・・・・・。

対面している時は気丈に振る舞っているが、やはり、その心理は単純には言い表せないほど複雑な状態なのであろう。
LINEやショートメール、キャリアメールではなく、PCでのメール。
メールの中で抗癌剤のことに触れているため、おそらくPCで抗癌剤のことを調べているうちに不安が増幅し、一気に感情があふれてしまったのではなかろうかと思う。

抗癌剤に関しては、巷でも賛否については本当にいろいろ言われており、患者や医師側としても様々な考え方もあるところであるが、私は他に打つ手はない以上、リスクを冒してでも闘っていくしかないと考えている。
ただ、家内の気持ちは、しっかりと受け止めねばならない。
こんな想いをさせてしまって、本当に申し訳がない・・・・・・。
病気との闘いとは、こういうことでもあるのだと、骨身に染みた夜のこと・・・・・・。
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入院初日!!治療の選択!!

2016.1.13(水)のこと。
いよいよ、入院当日。
病気のことは心配だが、気持ち的には病院へ行きたくなくて行きたくなくてしようがない。
それでも、もうここに至っては覚悟を決める。
普通に、いつも通り朝食を食べて、最終的に荷物のチェック。
ある程度の準備ができたら、家を出るまでの時間を他愛なく過ごす。

家内も入院は必要と思う反面、家を一人で守る心細さと、これからどうなるのだろうかという不安で一杯のよう。
それぞれが複雑な思いのまま、時は経過する。
それは、わんこ達にとっても・・・・。

さて、10:00だ、時間が来た。
わんこ達に留守にするあいさつをして、家を出発。
昔入院した時もそうだったし、”さくら”(先代のパピヨン)が亡くなった時もそうだったが、いつもの当たり前の日常がなくなるというのは、それはそれで辛いものだということを改めて実感。

毎朝の出勤が億劫に感じたり、同じことの繰り返しに思える毎日にマンネリ感を感じたり、不平を持つことも珍しくはないのだが、いざ、それが奪われるとなると、かなりの喪失感になるもの。
病院までの道のりを家内ともども、いつもの見慣れた近所の風景を目にしながら、当たり前のことのありがたさを、しみじみと実感する。

ものの10分で病院到着。
家内は昨日、書類を届けに来て視察済みだが、私はここKY病院の第2病院(入院病棟)は初めて。
建物は新しく綺麗なところ。
でも、ロビーには、やはりそれ相応の高齢の方が多く、見たこともない大きな点滴をつけて来客者と面談を楽しんでいる。
私的には、「とうとう、こういう所へ来てしまったんだなぁ・・・」という気分で一杯。

手続きを済ませて、病院スタッフに呼ばれるのを待つ。
ものの5分もしないうちに、年配の看護助手の方がやってきて、病室へ案内される。
部屋が空いていなくて、個室と聞いていたが案内されてびっくり。
ちょっとした、ホテル並み、いや、それ以上の立派さ。
まず、広い・・・・。
ちょっと、私には贅沢かとも思ったが、ここしか空いていないのだから仕方がない。
保険適用外の自腹で1日税込7,020円。
グレード的には、4段階あるうちの上から2つ目のランクの部屋。
もとより、入院手続きの段階から言われていることであり、大部屋が空くまでとの納得の上での申し込み。

でも、私もよくよく考えて、当初は空きができたら4人部屋の相部屋へと思っていたが、私の過去の入院体験とは違って、ここは癌専用病棟。
色々と、状況の深刻な人も多いだろう。
多分、年齢的に私は若い世代になるであろうし、あれこれ人間関係的に気を使われるのもどうかと思えてきた。
また、副作用のひどい同室者を見るのも、ある意味つらい。
もし、部屋が空いたら、やはり個室で最低ランクの5,400円税込の部屋への移動を希望した。

まずは、荷物を置いて、病棟フロアを今日の病室担当の看護師さんに案内される。
案内の中、「多分、部屋から出ることはないと思いますが・・・」と、何回かこの言葉が出てきた。
それは、抗癌剤が始まると、動けなくなるということかな?と解釈。
一通り、案内が終わり、荷物の整理をしていると、M医師がやってきた。

まずは、軽いご挨拶から。
そして、やっぱり腎臓の働きが気になるとのことで、腎臓が悪いと抗癌剤ができないとのことで、まずは採血検査をして様子を見たいとのこと。
これは、家内がここへ入院治療の申し込みをした時に、T病院のKM医師の見解を口頭にて伝えていた。
M医師も、いの一番に気になっていたようで、この件によって入院期間がはっきりしていないということでもあるようなのだ。

すぐさま、看護師さんがやってきて採血開始。
そして今日から、食事前の血糖値を金曜日まで測定することに。
取りあえず、今、この場での測定では血糖値はいい数字。
そして、昨日もそうであったが、血圧がちょっと低い。
上が100を切ってしまうって、私の記憶では初めての状況ではなかろうか。
そうこうしているうちに、あっという間にお昼用のお茶が到着。

家内は、もうそろそろ会社へ行こうかという頃になっていたが、せっかくだから、昼ご飯、見ていったらと提案。
「そうする・・・」ということになり、昼食登場までいることに。
そして、昼食がやってきた。
今回は、カロリーも塩分制限もない普通の病院食のため、結構、豪華に見える。
家ではあまり食べそうもない何かの肉?のカツがあったため、意外と食欲もアップ。
あっという間に食べつくす。
結構な、ボリュウムもあったが、一気に平らげた。
家内もこれには、びっくりしていたが、これで体力維持ができるかも・・・との期待はあった様子。

そう・・・・・。
到着して、すぐに体重を測ったが、今の私は服を着た状態で71kg。
また、明らかな体重減である。
とうとう71kg台になってしまった。
この騒動の前は、私は身長176cmで、82~83kgあったのである。
メタボ的観点からすると体重減は喜ばしいのだが、不健康な体重減は困ったもの。
とにかく食べて、体力維持に気をつけねばならない。

私が昼食を食べ終えるのを見て、取りあえず、家内はいったん会社へ戻ることに。
夕方、また来るとのことで帰って行った。
薬剤師さんがやってきて、持ってきた薬を、一旦、全部預ける。
血圧が低かったこともあり、この間のM記念病院のこともあるため、今後の処方をどうするか検討してもらうことに。

しばらくすると、M医師がやってきて、血液検査の結果を見ると、やはり腎臓の数値がよくないとのこと。
前から言われている腎臓と膀胱の間の管が、癌細胞で詰まっていないかが心配。
もし、そうであれば、泌尿器科での治療が必要。

すぐに、造影剤を使わないCT撮影を行いたいとのこと。
このあたりについても、T病院とまったく同じ見解。
当然、同意して判断を仰ぐことに。
その後、看護師から呼ばれて、1階のCT撮影室へ。
撮影自体は、ものの5分もしないで終了。

再び病室へ。
後は、荷物整理の残りを続けながら、新しい生活空間へ馴染む努力をすることに。
なんだか、広過ぎて眠れるだろうか?
そのうち、あっという間に外も暗くなった頃、M医師が現れ、「今日は、奥様はもう来られませんか?来るとしたら何時頃?」と確認され、仕事が終わってからなので、18:00以降になると伝える。
「今後の治療方針について相談したいので、その頃にまた来ます」とのことであった。
「何だろう?」とは思うが、まぁ、話を待ってみることに。

この部屋に入った時、師長さんから「この部屋はパソコン使えますから、言ってくださいね」と言われていたのを思い出し、どこかにLANケーブルのジャックがあるのかと室内を物色。
すると、ちょっとわかりづらいところにあった。
私の持ち込んだのは、スマホとタブレット(ネット契約無し)なので、どちらも直接のLANケーブルとは無縁の代物。
ところが、「ん!待てよ・・・」と、突如として閃く。
ここに、よくホテルの出張先とかで使える、ポータブルのWiFiルーターがあれば、この部屋の中全体を無線LAN環境にできるのではないかと思いつく。
さっそく、某、〇天と〇マゾンを調べると、なんと送料税込で2,000円を切る値段でそういった商品があるではないか!
即、プチッと、注文。
これが届けば、タブレットでもネットを見れるし、スマホの通信容量も気にしないで済む。
ここにきて、こんな状態でも、まだまだ、こんな知恵のまわる私である。

ところが・・・・・・。
タブレットをひっぱりだし、この原稿を打ち込んでいると、突然、画面がフリーズ。
まったく、タッチパネルが反応せず、強制終了もできない。
PCと違ってマウスがないため、タッチパネルが機能しないとまったくお手上げ。
一応、このタブレットは、この入院に備えて用意し、購入後Windows10にアップしている。
2万円台で買えたということもあり、「こんなものなのかなぁ・・・」とは思いつつも、まだ買って一か月以内での出来事。
どうしてくれようかと、スマホで同じような事象の事例と対策がないか調べる。
なかなか、抜本的な解決策が見つからず。
メーカー対応も調べるが、これは帰ってからじっくり対応することになるか・・・と、取りあえずは、あきらめることに。
無事に帰れたらの話だが・・・・・・。
一応、できることは、自然に放電させ、バッテリーがなくなると自然にシャットダウンされるのではないか、というところへ期待する。
それにしても、入力データはどうなるのだ。
結構打ち込んだはず。
入院初日でこれもないだろうと、結構なショックを受けるが、やむを得ず。
成り行きを見守るのみ。

そして、夕食。
まだ、17:30である。
病院の食事とはこういうものだ。
でも、お昼をがっちり食べているので、お腹がすいていない。
まぁまぁ、見た目はともかく、体力をつけるという意味からもがんばって完食。
う~ん、お昼は物珍しかったせいもあったかもしれないが、さすがに夕食は、あまり感激はない。

やがて、家内がやってきて、それを見越していたかのように、M医師も登場。
3者で今後の治療方針について相談と相成る。
まずは、M医師からの状況説明。

やはり、腎機能が正常でないことから、現状では抗癌剤治療に入れないということ。
幸いにも、CT検査の結果、腎臓と膀胱の管の詰まりは確認されなかった。
でも、腎機能が悪いということは、それはそれで問題。
T病院から受け取ったデータによると、1月に急に悪くなっているので、これが一過性のものなのか、実は以前からの影響で病原が潜伏していたものが、今回の癌の影響で急に悪くなったものなのか判断がつかないとのこと。
もし、後者の場合だと、回復は難しいし、抗癌剤の治療はできないという結果になるとのこと。

これは、かなり手厳しい状況。
もはや、私の体は、もうボロボロということ。
癌の治療に来て、癌の治療ができないというのもかなりな衝撃だ。
今後の選択肢として、M医師からのいくつかの提案。

① このまま、癌治療を断念する。
 「エッ!?」とは思うものの、まぁ、選択肢としての話と受け取る。
②まずは1週間、24時間ぶっ通しの保液点滴を行って腎機能の回復を試みる。
 その後、腎機能が回復すれば抗癌剤治療に入り、回復しなければ、治療はしないということに。

③そして腎機能が回復したという前提で、
 a.胸に機械を入れて、2種混合の抗がん剤を投与。
   一番効果が高く、本来、M医師はこれを実施するつもりだった様子。
   2週間続けて1週間休んでまた実施という治療スケジュールのよう。
 b.内服薬だけの抗癌剤の実施。
   入院等の必要もなく、仕事上にも影響が少ない。
   ただ、効果はやはり薄いらしい。
 という2つの選択肢がさらにある。

④もし、腎機能が回復しない場合、1種類だけの抗癌剤を使用する方法もある。


とのことらしい。

ん?
④の方法があるのなら、①の選択肢は何なのだ?とは思ったが、黙って話を聞く。
この④の方法に関しては胸に何もつけず、普通に腕からの点滴で済む。
日帰りで実施することも可能。
だが、効果はやはり軽いとのこと。


という選択肢が提示された。
一瞬、腎機能がダメだということでの、またまた絶望感を味わったが、最悪④の方策もあることがわかり、私はここは積極的に考えることにした。
まずは、腎機能の回復に賭けてみることとし、そのうえで、③のaで考えていくし、万が一の場合は④の治療方法をとるということに。
少し時間は余分にかかるが、徹底して病気に抗ってみることを決意する。
家内は色々とネットや本などで、抗癌剤に対して抵抗感をもっているようであるが、私は現状の医療でのセオリーは受け入れる考え。
民間療法も確かに悪くはないし、反化学療法派の情報も私は理解はしている。
しかし、それでも、とりあえずは国際的にもエビデンスが確立されている治療方法なのだ。
世の中、色々な考え方があるようだが、私はこの化学療法に賭けてみることにした。

M医師も、抗癌剤の実施については慎重。
本人の体調を診ていくし、状態が悪くなればすぐ中止していくことも考えているとのこと。
家内は、まだ少しわだかまりもあるようであるが、致し方がないといった感じ。

そうと決まれば!!とのことで、早速、今晩から腎機能回復のための点滴を開始することに。
この先、胸に機械を入れる対処(簡易的な外科対応)をするため、明日より循環器系の血液をサラサラにするための、バイアスピリンブラピックスの服用を辞めることに。
代わりに、同等の効用のある薬を点滴液の中に入れて対処するとのこと。
M医師が去った後、すぐに看護師がやってきて、点滴のセッティングがなされ、すぐに点滴剤が投与。

そして、後はすることがなくなった。
取りあえず、ここからの1週間は癌への直接対策は据え置きで、私の体調を管理することに集中することとなる。
家内のスマホにLINEの設定をする。
病院と家との連絡をしやすくするためだ。
ちょと前なら、携帯電話しかなく通話の場所的な制限もあった。
今は便利になったものだ。

家内も家へ帰り、これからしばらくは、一人きりの生活。
これから何がどうなっていくのかという不安もありつつ、家で一人という寂しい思いをさせてしまうのは仕方がないこととはいえ、大変申しわけない。
まさか、今回のこの入院で、このまま二度と家に帰れなくなるようなことはさすがにないであろうけれど、取りあえずは、早く家に帰れることを目指そう。
それでも、まだ、我が家にはわんこ達がいるのが幸い。
特に、上の子の”あやめ”は”さくら”(先代のわんこ)が亡くなる時もそうだったが、いてくれるだけでずいぶんと助けられた。
今は、それに加えて、”かえで”もいる。
手はかかるけれど、家内にしてみれば、少しは随分と気分もまぎれてよいだろう。

私の留守をわんこ達に託す。
家に着いてから、すぐに家内からメールが到着。
やはり、私のいない家で、一人でいるのはなんとも心細いのであろう。
これには、申しわけなく思うのみ。
入院初日がこうして過ぎていき、夜を迎えていくことになる。
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テーマ : 末期がんの闘病記
ジャンル : 心と身体

プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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