抗がん剤治療に蔭りが・・・・・・

2017年6月9日のこと。
この4月より新しい職場での勤務となり、既に2カ月が経過。
正直なところ、かなり変わった所で当惑する場面も多々あるのだが、直接的な私の実務に関しては、長年にわたって携わってきただけに、まったくそれについては滞りなく順調ではある。
この職場でも、私の病状についてはちゃんと申し送りはされていて理解はされていたが、一応は私の口からもきちんとここの職員たちに説明をした。
こと私の病気に関しては、ここの新しい職員の人たちもすごく寛容に受け止めてもらえた。
私は本当に職場に恵まれている。
何度も何度も、くどいけれども感謝しかない。

抗がん剤治療日の休みについては、今までは便宜上、このブログ内では有休と称していたが、実際のところは土曜出勤の代休を使用していた。
しかし、この6月からは全体の運営方針として、土曜出勤がなくなってしまうので、文字通り本当に有休を使用していかねばならない。
もっとも、私は元々がほとんど有休を使用しない人間のため、たっぷりと有休の残日数はある。
しかし、今後何があるのかわからないため、有休消化はできるだけ控えたいとは思う。
でも、これは致し方がない。
この6月からは本当に有休を使用していくことになる。

そんな中、私の治療に変化が起きた。
それは、毎度、抗がん剤点滴の前には採血をして状態を見てから実施するかどうかを決めていくのだが、この6月9日の日。
私の腎機能の数値がやはり思わしくなく、このまま今のままの抗がん剤治療を続けていくのは危険であるというM医師の判断がなされた。
もっとも、開始早々からこの腎機能の数値については危惧されているところであったが、今までは治療には支障なしとのことで留意するだけに留まっていた。
確かに、ここ最近の採血結果を見るM医師に少し戸惑いのようなものがあったのは私も感じていた。
実際、腎機能の数値が思わしくないということは何度も言われていたし、その度に水を多く飲むこと、カリウムの摂取をできるだけ気を付けることというのは毎度の注意事項でもあった。
しかし、ここにきて、これ以上、腎機能に負担をかけるのは無理という決断をされたようである。
この腎機能への影響の原因ははっきりしている。
抗がん剤の副作用である。
抗がん剤の効用として、癌進行の抑制にはかなり有効に作用してくれていたようであるが、まさに身を切る治療という本来の抗がん剤の正体が、ここにきて現れてきたということ。

これには、私も抵抗のしようがない。
M医師の仰せの通りに頷くしかない。
対処としては、私の抗がん剤として使用していた2種類の薬のうち、シスプラチンの使用を辞めることになった。
残るはゲムシュタビン1種類の投与となる。
ちょうど、私の武器を一つ取り上げられたかっこうである。
M医師によると、今までよりは効果は落ちるという。
くやしいが、これもしょうがない。
私の実感としてはまったく体調に何か負担がかかっていたという自覚はないのだが、一応は、やはり生理検査のデータは正直であろう。
今後はこの残された武器で闘っていくしかないようである。

この処置はこの日当日から実施することとなった。
このことにより、点滴の所要時間が大幅に短縮される。
今までの実際の点滴については、先の2種類の抗癌剤のほかに、副作用防止といった事後対応の点滴も含めて2種類、計4種類を使用しおよそ4時間近く時間を要していた。
この中で、シスプラチン(点滴時間90分)という長い時間を要する点滴が取りやめることになったため、全体の時間が2時間15分とかなり短縮されることになる。
おまけに点滴当日の脱力・虚脱感の原因は、おそらくこのシスプラチンにあると思われ、この日の投与後の状態を確かめて、もしかすると、時間的にも体力面からも、この治療後に職場に出勤できるのではないかとも予想できる。

そして、この日は抗がん剤治療を終えて病院を出るまで、午前中のうちに全てが終了した。
さらに体調面は、私の予想通り、まったくけだるさも何もない。
やはり、あの投与当日の脱力・虚脱感はシスプラチンが原因だったと思われる。
さて、次回からの抗がん剤治療日は半日休にし、午後からは仕事をすることとしよう。
このことは、仕事的には都合がよくなるのだが、肝心の癌対策としては、やや不安がないわけでもない。
ここにきて、抗がん剤治療に陰りが見えてきたというところであろう・・・・・・。
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職場異動!!

 2017年4月のこと。
実はこの時期、私には職場異動があった。
この4月からは新しい職場での勤務。
新しい職場とはいっても、今まで勤めていたビルは同じで、フロア(階)が変わっただけ。
仕事の内容も基本的に変わらず、ただ対象となるお客様が少し変わるということになる。

私の他に一緒に働いていたチーム内の3名も同時に異動があり、そのうちの1名は同じ職場へ。
他2名は、また私とは別のフロアに。
私の所属していたチームのほとんどがバラバラになった。
今までの職場には、私は4年勤務したことになる。

でも、この組織全体にお世話になってからというのは、この年で丸10年目(当時)を迎える。
その間、3か所の職場を体験してきた。
いずれの場所も私にとっては深き思い出の場所であり、私のスキルを磨く上でも、大変貴重な経験をした場所。
今度の職場もその一つになろうかということで、これで4か所目の職場。
また、新たな試練ともいうべき幾多の出来事が私を待ち受けているのであろう。

今回の異動は直接、私の病気のこととは関係がないと思われる。
この年度から、この組織自体の運営も大幅に変わり、土曜日の勤務が無くなったり、早出・遅出の勤務シフトが大きく様変わりもする。
この大きな改変の中での、職場の再構築・再編成といったところなのだろう。
でも、このことにより私の治療スケジュールにも若干の影響も出てくるであろうし、今後の通院治療計画を改めて新しい職場のスタッフにも伝えていかねばならない。
当然、前の職場から、私の病状の申し送りはされているはずである。

しかし、そもそものことでもあるが、とてもありがたいのは、この私の状態(病状・治療の都合)でありながらも、雇用の契約を破棄されずに新たに更新されたということ。
これは、私の病気発覚時に一番最初に事情を伝えた部長や、これら関係各所を管轄する所長をはじめとした、諸々の関係者の配慮とご厚意があればこそのことと思える。
これには、私は土下座もので大感謝。
今の私から、この仕事がなくなってしまうとしたら、おそらく私の死期はかなり前倒しになるであろう。
多分、精神的に死に直結する。

前にも述べたことがあるが、私はそれほど仕事漬けの真人間では決してない。
ただ、残された時間でできることとして、困っている人を助けたい、何かの役にたちたいという想いがより強くなってきているのは確か。
このことは、私自身が存在や役割を自覚したいという、ただの手前勝手な生存本能の現れなのかもしれないと思うこともある。
でも、仮にそうであっても、現実に誰かの役に立てるのであれば、それはそれで、こんな私でも生きてきた意味があったのではないかと思うことにもしている。
生きるということの真の意味は永遠に課題のままで、生きているうちに答えが見つかるべきものではないのかもしれない。

そして・・・・・・。
その、異動前の最終日。
朝礼での挨拶で、今まで抗がん剤治療のためとはいえ、ひと月に何度も金甌日に有休を使わせていただいたことや、そのことによるマンパワー不足で皆様にご負担をおかけしていたこと等、お詫びも含めて私の病状を集まった皆さんに公表した。
同じ仕事をしているチームのメンバーには、すでに知らせていたのは最初の頃に投稿していたかと思うが、フロア全体にはあれ以来、およそ1年半近くの間、ずっと私は沈黙していた。
おそらく、「なんで、こんなに休むのだろう?それも週末に?」と、言葉には出さないものの皆思っていたことであろう。
もちろん、このまま黙って去って行くのもありかとも思ったが、やはりここは最後だし、この1年半あまりの長きのことについて、一言詫びて事情を説明しておくべきであろうと私は決意した。

でも、公表はしていないとはいえ、特に口止めもしていなかったため、さすがにこれだけの月日が流れれば、ぼんやりとみんな知っているものと、私はどこかでそのようにも思っていた。
ところが、ほぼ皆さん、まったく知らなかったようで、事実を伝えるとともに、皆、驚愕というかなんとも言えない表情になり、さわやかな朝の空気の流れを一気に変えてしまった。
これはこれで、「まずかったかな?」と申し訳ないとも思ったが、いや、これはこれで私の決意と想いによるものなので致し方がないとも思い直す。
伝えることで色々な影響も起こりえるが、それに加えても、伝える責任もあると私は考える。
これも以前にも述べているが、正解がないことなのだと思う。

しかし、次の職場では闘病以外にも、またまた新しいテーマが待っていることなのかと思う。
どこへ行って、どんな働き方をしても、私の運命はそう変わらないであろう。
ただただ、私は残された時間を大事に責任を持っていくのみ。
幸いにも、まだ体も順調に動くし、頭も気力もしっかりしている。
私の底力、次の職場でもまだまだ見せられると思う。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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その後の治療経過も順調!!

2016年8月頃~2017年3月下旬頃までのこと。
さて、点滴による抗がん剤治療を開始して1年が経過した。
よくぞ、ここまで無事に来られたもの・・・・・・・。
治療の経緯や採血後のデータ、私自身の体調の実感、ともにすごく順調である。

腫瘍マーカーの数値についても2016年8月の急下降が確認されて以来、その後も、ゆるやかであるが引き続き下降し、ある程度数値が落ち着いてきたことが確認された。
その頃の私の癌の測定値、CEA・CA19-9の数値の状況を以下に示してみる。
またまた、クリックするとこの表は大きく見ることができる。

        <その後の腫瘍マーカー推移グラフ>

2016年の8月以降、同年10月15日、同じく12月10日、年が明けて2017年3月11日といった測定値が載っているが、わずかながらも見事に数値が下がり続けているのがわかる。
腫瘍マーカーはあくまで参考値とはいいながらも、こういう推移の傾向を見ると、そこはやはり安堵感は大きくなる。
これについてはKY病院のM医師も、相変わらず特に資料は出してくれないが、ここの病院での測定値も腫瘍マーカーの下降は認めており、M医師も「抗がん剤が効いていますね!!」と言わしめている。

これは、さすがに治療の経緯を冷静に見続けていた私も気分は舞い上がる。
それは家内も同様。
すっかり表情も明るくなり、家の空気もかつての空気を取り戻したよう。
以前の投稿でも述べているが測定当初の数値は本当に絶望的
生きているのが不思議で、どこかの医師にも言われたが、いつ何時何が起きても不思議ではない状況だった。
それが今や、まだまだ正常値ではないものの治療の成果が出ているということに、こんな私にもある種の奇跡というものが起きているのかと思うところ。
素直な喜びと、もう何度も何度もお伝えしているが、すべての皆さまへの感謝しかない。

この状況から、当然ながら職場での働きぶりも快調そのもので、病気前とまったく変わらないパフォーマンスが発揮できている。
私の事情を知っている人たちも、もはや私を病人としては見ていないようだ。
ただ、時々、抗がん剤治療日の金曜日に休まざるを得ないのは致し方なく、私の事情を知らない人達には、この定期的な休みについては不思議にも見えていることであろうか。

私のところに毎度お見えになるお客さんにも、私の病気のことは一切伝えていない。
ただ、お2人だけ、私の様子が普通じゃないと見抜かれて質問攻めにされた挙句、事情を話してしまった人がいる。
これは、人を見る目が抜群に優れていた人と、友人に私と同じような人がいると言う人達。
この方々についても、大変申し訳ない中、ものすごくご心配いただき心苦しくもあったが、今の私の快調ぶりにはもうそのことは忘れているかのような付き合いをしてくれている。

病院スタッフの人たちも、いつも淡々と作業をしながらも、私の様態についてはかなり気にしてくれている。
「〇〇さん(私の名)、本当に頑張ってますよね・・・・」といった言葉をかけられるようになる。
私自身、あまりがんばっているという意識はないのだが、看護師さん達にしてみると、この治療も1年を超えてきていることから、自然とそう思えているのかもしれない。
いや、多くの患者を目にしているスタッフの方々にとっては、私の状況は悪くなる以外に考えられなかったのかもしれない。
そういう意味では、M医師も私のケースはレアケースとして、なにがしかの記録として残しているのであろうか。

化学療法室のスタッフも、もう私はすっかり常連化していて、私の日常の体調のことはもちろん、仕事のこととかについても、治療中気軽に話しかけてくれる。
この部屋を利用している患者さん達も、定期的にいつもいらっしゃる人達もはっきりとしてきている。
でも、そんな中で私は圧倒的に若い。
おそらく最年少なのであろうか・・・・・。
病気発覚当初の入院時には、病棟内に私と同じような色の点滴袋を下げた若い人の姿もチラチラと見かけている。
どういう状態なのかはわからないが、明らかに抗がん剤の点滴と思われる人で、その若さにはなんとも形容しがたい気の毒さと不条理さを感じたもの。
でも私は、ほぼ1年近くここの化学療法室に通い詰めているが、皆さんご高齢の方たちばかりであり、私より年下と思える人は、この時期までについぞ一人も見かけることはない。

毎度、点滴のセット前に確認されるのが、副作用のこと。
でも、このことに関しても、「〇〇さんは、副作用に悩まされなくていいですね・・・・」という言葉も多くかけられるようになっていた。
ある時、あるスタッフさんから、「〇〇さんだから言いますけど、〇〇さんが使っているシスプラチンって結構副作用に悩む人が多いんですよ~」とのこと。
言うと、意識しちゃって悪くなる人がいるので、今まで黙っていたのだそうだけれども、多くの方は吐き気と食欲減退にみまわれるのだそう。
でも私は、いつもそのことについては「問題なく食べてます」と答えてもいた。

ただ、その言葉で少し思い返してみると、確かに抗がん剤の点滴当日の夜は、不快感がないとは言えないことが思い出されてきた。
しかし、私はこの不快感を感じながらも、まったく食欲が落ちることもなく平然と過ごしていた。
そのため、私本人としては、まったく副作用としての実感がないということだけなのかもしれないということ。
ある時、そのことをスタッフさんに話してみて、「この不快感は、若い頃によく経験した二日酔いに比べたら、不快感だということでさえ気が付かなかった・・・・」と伝えると、スタッフさんも大爆笑。
「不摂生の経験もこういうところで役に立つんですね」と言葉を重ねると、さらに笑いが続くということも。

なんとも、これでいいのか?と思えるほど、ほのぼのとした状況である。
この頃が私のがん闘病の一番いい頃。
本当に「私は癌なのか?」と錯覚してしまうほど能天気なこともしばしば。
でも・・・・・・・・。
癌の真の恐ろしさを身をもって知るのは、このしばらく後のこと。
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私のQOL・・・・・・・

 2016年8月前後の頃のこと。
ここのところ、少しシリアスな投稿が続いているので、ここらでこの頃のユルイ話題も。
この時期確認された腫瘍マーカーの下降により、”一応”、”とりあえず”、”あくまでもこの段階では・・・・”ということでありながらも体調は好調。
このことについては、実は腫瘍マーカーの数字を見るまでもなく、少し前から薄っすらと実感もできていたため、この頃、少し食事療法も緩んできていた。

本当はきっちり続けるべきだろうけど、この好調感につられて、次第に外食の機会も増えていき、痩せた分の栄養補給をしようと、ガッチリ系の食事を一部解禁することにした。
「食べたい!!」という食欲が出てきたのである。
そこで、ここまで肉類をできるだけ避けてもいたのだが、わりと食べたい物は自由に食べるという方向に変わっていく。
もちろん、食事療法を100%放棄したわけでもないのだが、あまりコテコテの縛りを無くそうということ。

そして・・・・・・。
この年のお正月明けから、禁酒を決意したというのは、かなり前にお伝えしていたかと思う。
実はここまで、私にとっては奇跡的ともいえる禁酒が続いているのだ。
本当に一滴たりとも飲んでいない、
この病気の前までの私は結構、お酒(おもに焼酎)は、毎晩欠かさず飲んでいた。
アルコール依存症というほどまでではないと思うが、今思うと、ひょっとしたらボーダーだったのかもしれない。
お酒が飲みたいという気持ちはもちろんのことで、飲まないと眠れないという状況。
当時の私には禁酒なんてとんでもない話。
だからこそ、こんな病気を引き込んでしまったというのは、あるのかもしれない。
でも、さすがに今回のことでは、きっぱりとお酒を断っていた。
そして、この禁酒期間中は、思いのほかそれほどツライこともなく、特にお酒が欲しいと思うこともなく、飲まなくてもしっかりと眠れている。
これは、以前の私からするとちょっと考えにくく、もしかすると体自体が拒否していたのかもしれない。

しかし・・・・・・・・。
6月のとある日、国産ワインの小瓶(360ml)を購入し、小さなショットグラスで2杯ほど飲んでみた。
もちろん、肝臓の数値は確認済み。
病気発覚のきっかけこそ、肝臓の異常値から始まったわけであるが、その後すぐに肝臓は回復。
むしろ、今は腎機能の方が不安定。
でも、ここにきて体調が少し良いという実感から、飲んでみたいという欲求がポッコリ顔を出してきたのである。
これも食欲増進と同じ時期のこと。

そして、思い切ってお酒を少しだけ手にしてみた。
当然、家内は最初は渋い顔。
やはり、半年近くアルコールを遠ざけていたことから、飲むというよりはホントに恐る恐る口をつけてみたという感じ。
まるで舐めるように口に含んでみたが、小型のお猪口サイズなのに、久しぶりのお酒はじっとりと体に沁み込む。
懐かしの心地良さに包まれる中で、体調の異変は特に感じられない。

末期癌患者がアルコールを摂取するということについては、恐らく決して良いことではない。
これは百も承知。
ただ、自分なりのQOLを考えたところ、今の状態ならば、本当に微量であることと、絶対にダラダラとした常習化しないことを念頭に少量のワイン限定ということで、アルコールを摂ってみることにした。
具体的には1か月に1度という頻度から、後には少し間隔が狭まるが、量を絶対厳守するという管理のもと、ワイン限定で今も飲み続けている。
ある時、KY病院のM医師に「お酒は飲んでますか?」と聞かれた時に正直に答えたが、特に何も言われなかったので黙認してもらったと理解している。
まぁ、これで病状に何か支障があっても、これは自己責任との納得済み。

これと同じくして、甘い物も食べるようになった。
『糖分は癌のエサ』という、癌患者なら誰しも理解していることではあるが、この病気になってから時々甘いものが食べたくなる。
特にアイスクリームやらソフトクリーム、チョコレートといった類。
これについては他の患者さん達でも、よくアイスやケーキを食べるようになったという話をよく耳にする。
私についても、このことは同様の現象かと思われる。

元々、私は血糖値管理のこともあり、あまり甘いものは食べなかった。
食べなくても、なんら困らなかった。
せいぜい、夏期にたまにアイスを食べるくらいのもの。
それが、この病気になってから、能動的に食べたくなってきたのである。
これは癌が欲しがっているのであろうか?
これも、私は食べ過ぎには注意はするものの、あまり我慢はしないことにした。

おそらく、お酒のことも甘いモノのことも、ストイックに癌の闘病をしている方々からすると、私のこの判断は非難の的でもあろう。
でも、これも前の投稿でも述べている、私の癌との闘い方のテ-マである「ムキにならないこと!!」の一端ともいえるのかな。
あくまで無理のない範囲での自然体ということ。
一口に癌と言っても人それぞれで、その闘病もまたしかり。

ただ、このことはあまり他の方はマネしない方がいいし、決してお薦めはできない。
あくまでも私の闘病であり、私のQOLの考え方によるもの。
当然、何かあっても自己責任。
もはや余命宣告をされている身でもあり、体に不調を感じない限り、精神の安定を優先してみるという考え方。
しかし、反面、あまり調子に乗りすぎないように、自戒のバランスが必要であろうか。
気を付けながら、しばし、この方向で様子をみてみたい。
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新たな決意!!

2016年8月以降のこと。
腫瘍マーカーが激下がりしたのは、この前の投稿でお示しした通り。
私の癌の部位には、数100種類あるといわれる抗がん剤の中でも、たったの2種類しか使えない。
そして、この抗がん剤でさえも、最初の説明では副作用がありながらも、その癌への対抗策として必ずしも有効とは言い切れない、とまで言われていた。
つまり、まったく効かないというケースもあるということ。

それが・・・・・・・。
こんな形で、効果として現れてくるとは・・・・・・・。
正直なところ、私には寝耳に水といったところ。
決して、この闘病に対して悲観していたわけでもないのだが、どうにも私の中には改善するというイメージがなかなか持てなかった。
奇跡が起こりえるということは、話としては理解していたものの、それが私個人に及ぼされることとは、どうにも私のこれまでの人生観からは、どうしても考えにくいことでもあった。
他の多くの癌患者の方々のように、「なにがなんでも・・・・・」とか、「必ず癌に打ち勝つ!!」というような気持ちが、私にはどうしても湧き上がらないのである。
ただ、淡々と流れに身を任せるしかない。
来るべき時が来たら、それを素直に受け入れようという、よく言えば自然体。
諦めが早いというか、消極的人生観ともいえるのかもしれないが、その実、それほど、あきらめの極致に達しているというわけでもない。
局面が変化すれば普通に動揺もすれば焦りも覚える。
でも、この私の心情は、5年後の生存率が3%にも満たないという、あまりにも強力・強大な敵を前にした、私のある意味、無意識下の対抗手段でもあったのかもしれない。
だから私の場合に限ったこととお断りさせていただくが、私の癌闘病のテ-マは「むきにならないこと!!」というのが、やはりここで、どうにも確立されたようでもある。
これが、人に言わせれば「その姿勢が、却ってよかったのでは・・・・・」とも言わしめてもいる。

何にせよ、この効果が現われたというのは、私一人の力ではない。
家内をはじめとして、各医療機関の皆さま、生きる糧となる仕事を与えてくれる職場の皆さま、またその私を支えてくれる仕事仲間、ともに成長させていただくお客様、そしてさらに私の数少ない友人たちのおかげであることは、ここに改めて記しておきたい。
本当にありがとうございます。


そして・・・・・・・。
ここ最近、私には目に見えない何者かに、「もしかして守られているのでは・・・・・」という実感が生まれてきてもいる。
我が家には神棚も仏壇もあるが、実はお恥ずかしながら、それほど熱心な信者でもない。
神仏や、スピリチュアルな世界に、特別に傾倒しているわけでもないのだ。
この闘病で特に何かを祈願したり祈とうしたりということもない。
せいぜいお正月に初詣でに行ったくらいのこと。

でも・・・・・・・。
ここにきて、なにか見えない法則というか、力学のようなものがあるのかもしれないという感じがする。
こんな気持ちは生まれてこのかた初めてのこと。
これは単なる私の今のメンタル上の想い過ごしかもしれないけれど、ここにも、こんな私にもなにかのご加護があるのならば、やはり感謝という気持ちは忘れてはならないと思うようになってきた。

さて、私の実質上の体調はすこぶる良い。
食欲も出てきたこともあり体重も増加中。
体のだるさ辛さも一切ない。
ただ、治療については、この腫瘍マーカーの数値が下がったとはいえ、相変わらずのパターンで継続。
しかし、この頃の私の実感としては、HW病院のA医師に、恐れ多くも「なんだか病気ということを忘れてしまいそう・・・・・」とも訴えるほどに好調。
本当に、正直なところ何がなんだかわからない。

しかし・・・・・・・・・。
絶対に忘れてはならないのは、この抗がん剤もいつかは効かなくなるということ・・・・・・・・。
効果は永遠ではないのだ。
おそらく、このことに関しては、私の場合も決して例外はないだろうと思う。
そのため、どんなに今いい方向に向かっていたとしても、誰に励まされても、私には老後のイメージは持てない。
おそらくは、いや、まちがいなくそこへ到達する前に私の命は尽きるであろう。
それも、そう遠くはない将来かもしれない。

今、私の残された命が、少しばかりどうやら長らえることができたらしいということだけで、決してそこは忘れてもいけないのだろうと思う。
だからこそ、ただ浮かれるばかりではなく、残された時間を大事に考え、今まで生きてきた、また生きている意義を改めて考えて行かねばならないとも思う。

そう・・・・・・・。
私にはなすべきことが、まだまだあるということなのだ。
幸いにも私には仕事がある。
この体験から得ている恩恵に応えられるべき舞台・ステージがまだあるのだ。
私と今向き合っているお客様、これからも残された時間で出会うであろうお客様達。
基本的には縁もゆかりもない方々ではあるものの、こんな状態の私と向き合うのも、これもまた、何かの運命の力学が働いているのかもしれない。

まさに残された時間・命の中で、私がなにか報いることが残されているというのは、これは私にとっては、たいへん幸せなこと。
我が身の延命やら生存ということも、確かにそれが実現すれば幸せなことなのかもしれない。
しかし、それが叶わないこととしても、生存している意義、生きてきた証を残せるということは、これはこれで私には充分な幸せ感がある。
まだ、どうやら時間はあるようだ。
いつ何時、何が起こったとしても、思い残すことがないように、報いることに専念させていただこう。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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