間質性肺炎入院(2):謎の発熱!!

 2017年7月22日(土)~7月28日(金)までのこと。
間質性肺炎での入院2週目になる。
この日の朝、血糖値168。
いつもの厳密な管理でいえば、まだまだという数字ではある。
でも、ステロイドを使用しているという状況から少し甘目に見ると、まぁまぁというとことであろうか。
このくらいだとインシュリンを使う指示は出ない。
予定通り本日から、ステロイドの量が10g減らされて50gで、この日も点滴となる。

7月23日(日)
この日は10時より、先日申請していたとおり外出。
例え、数時間でも病院を出られるのはとてもうれしい。
目標は14:00に帰院の予定。

自宅に着くなりワンコ達と戯れ、その後、この季節ではありながらマスクで完全防備をして、近所の大型スーパーに行ってみた。
う~ん。
かなり体が鈍っているね。
ずっと毎日、病室の中だけで生活をしているだけに、ちょっと歩いただけで息も切れるし足元もふらつく。
すぐに疲れてしまう。
何を買うわけでもないため、スーパーめぐりはホドホドにして、昼食をまたしても外食にし、すぐに家へ戻ってきた。

家に戻ると、庭の気になっているところを少しだけいじってから入浴。
病院ではシャワーしか浴びられず、それも点滴の針を抜くタイミングでしか利用できないため、やっぱり家の浴槽にどっぷり浸かるのは気持ちがいい。
いつもの日常では、このお風呂も面倒くさがっていたものだが、暮らしのリズムが失われると、日々の当たり前が実にありがたいものだということが思い知らされる。

そして、時間が来たので、「また、どこかへ行くの?」という顔をしているワンコ達に挨拶をして、またあの病室に向かう。
喜ばしいことではないが、今やもう、あの病院は私にとって第2のねぐらになってしまった。
病室に入って、すぐに血糖値を測ると、やっぱり480くらい。
ただちにインシュリン注射。
夕食後にもう一度測って、それでも高ければさらに単位を上げるとのこと。
でも、なぜかその夕食後に測ると、食後なのに270くらいだったので、このまま様子を見ることになる。
確かにお昼の外食の影響はあるとはいえ、この日はそんなにすごいものを食べてはいない。
そして、夕食後に一気に下がるというのも、結構な謎である。
まさに、ステロイドを使用する肺炎対策と、血糖値調整のせめぎ合いといったところであろうか。

7月24日(月)
この日の朝、血糖値は正常。
まだまだ、あてのないこの入院生活の一日が始まる。
いったい、いつまでこの生活が続くのか・・・・・・。
癌のことも含めて、私はいったいどうなるのだろう?
この日は朝から気持ちが沈んでいる。

そのせいもあってか体温が37℃ちょっと、ということでやや微熱。
そして、ダラダラと午前中を過ごし、14:00の定期検温では38℃となる。
あわてて測り直すと37.3℃。
看護師さんに伝えると、冷却パットを持ってきてくれて、「少し冷えたらまた測ってみましょう!!」とのことになる。

15:30頃、M医師がやってくる。
先週の血液検査の結果としては、感染状態としては正常の数値が出たとのこと。
ん?
ちょっと、この感染状態としては正常という意味が分からず。
先週土曜日からステロイドの量を減らしているが、このまま続けて今週いっぱい様子を見るということを言い渡される。
「週末に検査と写真画像を撮って、今後の対処を検討しましょう」とのこと。
私からは、今日は少し微熱が出ていることを報告。
その後も、時間を置いて体温を測ってみるが、上がったり下がったりが繰り返される。
なぜか、エアコンもいつもと変わらぬ設定なのに、就寝時は寒気がした。

7月25日(火)
この朝も体温は37℃台。
体調としては頭痛がするとか、けだるいとか特別な自覚症状はない。
食欲は変わらず落ちない。
でも、この入院以来、家にいるよりガッチリと食べているはずなのだが、体重は4kgくらい痩せてきている。

午後、優雅に昼寝を決め込んでいると、M医師がやってくる。
様子を聞かれるが、特に変りはない。
ただし、この微熱のことは伝える。
M医師、「まぁ、しばらくこのままで様子をみていきましょう」とのこと。
その後、食事が摂れているか確認される。
抗がん剤をずっと中止しているため、癌のほうを心配しているのであろうか?
ステロイドとの兼ね合いもあるかもしれないが、確かに食欲については一つの判断材料でもある。
M医師が戻った後にも、まだ微熱が続くため、また看護師さんが冷却パットを持ってきてくれた。

夕方、職場の職員お二人の訪問を受ける。
私が気にしていた、イベントが無事終了とのことで報告のこともあったみたい。
当日の様子を写真に納めてくれていて、私の担当だったブースも大盛況だったと、ていねいに説明してくれた。
うまくいってくれて本当に嬉しい。
後を引き継いでくれた皆にも感謝である。
本当にありがたいこと。
今度のこの4月からの職場は、私の見る限り職場運営としては色々とダメなところだらけなのだが、人間的には悪くない人達。
休暇の取り方については、今週末の検査で何かわかるかもしれないので、もう少し待ってもらうことに。

体温の変化は相変わらずだが、昨日よりは少しマシというくらいであろうか。
でも、この日も就寝時は寒気がするため、いつもより早めに寝ることに。

7月26日(水)
この日の朝も体温は37℃。
それ以外は全て正常。
でも、しばらくして体温を測りなおすと、平熱状態に安定してきた。
朝食後、看護師さんに食事は摂れているか?を確認される。
やはりマークされているみたい。

しかし・・・・・・。
午前中の点滴から異変が・・・・・。
最初の抗生物質の点滴を開始した直後、すぐに皮膚のあちこちにかゆみが現れる
今まで、ずっと入院以来続けている点滴だが、こんな症状は初めてのこと。
徐々に体にダルサも出てきた
看護師さんを呼ぼうかとも思ったが、たまたまの変化かと思い、少し様子を見ることにした。
その次のステロイドの点滴の時には収まったが、今度は異様なまでの寒気が急激に発生
もう、ガタガタ震えるほど。
さすがにこの時は「やばい、死ぬかも・・・・・」と思う。
それほど震え方が尋常じゃない
点滴が終了し、看護師さんがやって来た時に状況を訴える。
体温を測ると38℃
急きょ、厚めの布団をもらって寝込むことに。

その布団にくるまって寝込んでいると、全身の震えはやがて収まる。
しかし、熱は下がらず、頭が少し朦朧としてきた
お昼ご飯もムリそう・・・・・。
看護師さんが解熱剤であるカロナールの粉末薬を持ってきた。
しかし、午後になっても熱はひかず。
ちょうどM医師がやってきたため状況を訴える。
さすがに、38℃超えの状況には、驚いている。
何かを考える仕草を見せつつも、「とりあえず、このまま様子を見ましょう」とだけ言い残して去って行った。
一瞬、私も「それだけかよ・・・・」とは思ったものの、なすすべはない。

そして、その後すぐに看護師さんが様子を見にやって来た時に、また体温を測るとなんと39℃に上昇
さすがに看護師さんもあわてて飛び出していく。
そして、戻ってくると、先程の解熱剤の効果がないと判断したのか、座薬を持ってきた。
さらに「採血をします」とのことで、いつものお馴染みの採血管の3倍はあろうかという極太の物を持ってきて、両腕から一本ずつ血をとった。
これは肺炎以外の原因がないかとのことで、M医師の指示によるものらしい。

この時、意識がないわけではなかったが、かなりの朦朧状態になる。
正直なところ、「もはやここまでか・・・・・」というのと、「私は癌に殺られるのではなく、肺炎に殺られてしまうのか・・・・」と思ったほど。
そして、私は前にも少し述べたが、根拠のない希望をなかなか持てないという、人生観を持っている。
人様への支援では「まず、想わなければ、それ以上の結果は出ない!!」と、ポジティブな檄を飛ばすこともしょっちゅうなのだが、私は自分自身のことになるとからきしダメである。
それは、幼少の頃からの原体験が、私の脳裏に刷り込ませたものでもあり、長い人生の中では、本人の力では絶対にどうしようもない業というものがあると思っている。
だからこそ、どんな状態でも客観視できるという利点もあるのかと、この病気になってからは思うところ。

この時も、「一瞬、これで終わりかな・・・・・」という想いも頭をよぎったが、「ん・・・・待てよ・・・・」と高熱の中で別のある想いもよぎってきた。
それは私の運命を司っている者がいて、今までの私の人生に関しても悪意を持って采配をしていたとしたら・・・・・。
あくまで勝手な妄想ではあるのだが、もしも、そのような存在の者がいたとしたならば、おそらくこんなことで私の命を終焉にはしないだろう。
変な話だが、「もう少し、私をいたぶってから命を奪うに違いない!!」と思い始め、やがてそれは確信に繋がって行く。
そう、「同じ死ぬ運命としても、このタイミングではないだろう!!」と思えてきたのである。
そう考えたとたん不思議と体が楽になっていく。
いや、単に座薬が効いてきたのかもしれないが、不思議とこのネガティブパワーによって、この難局も乗り越えられたとも思えるのだ。
あまり褒められた考え方でもないし、前例もないかもしれないが、こんな闘病の考え方もあるのだと実感した次第。

ちょこちょこ連絡を入れていた家内が、やっと会社を抜け出してやって来た。
病院に向かうという連絡をもらった頃には体調も嘘のように回復。
体温も平熱で、昼食を抜いている分、空腹感も大きく感じる。
ここまで来るとステロイドの後押しもあるのか、なんだか爆食いしたい気分。
夕食の時間まで我慢できないため、さっぱりとした軽い食べ物を家内に持ってきてもらうことに。
体調的にはどうやら復活したようである。

家内が到着。
持ってきてもらった食べ物をむさぼるように食べる。
それを見て、家内は安心した様子。
まるで、死肉に群がるゾンビのようだとのことらしい。
すると、看護師さんがやってきて、しばらくの間、新たに整腸剤を服用していくことに。
M医師が感染症の疑いがあるかもしれないとのことで、指示を出したということらしい。
さらに、夕方からの抗生物質の薬の種類が変わった
これもM医師の指示なのだろう。

夕食後、家内が食後のデザート代わりに冷やしトマトを持って、再びやってきた。
相当、心配していたようだが、私の食べている状態を見て一安心したようでもある。

この日はさすがに早めにベッドに横になってテレビを見ていたが、気が付かないうちに寝てしまったらしい。
夜中にふと目が覚めると、テレビも部屋の電気も消えていた。
看護師さんが消してくれたのであろう。
とにかく、この日は、結構な一日であった。

7月27日(木)
昨日は容態の急変もあったが、この日の朝は快調そのもの。
病み上がりのけだるさみたいな感じはするものの、食欲もあり体温も正常。
朝のうちに無事、採血も完了。

ただ、まだ油断はならない。
昨日も午前中の点滴中から様子がおかしくなったのだ。
本日の昼の担当看護師は昨日と同じ人。
昨日の事情を知ってくれているだけにこれは心強い。

午後にはCT撮影。
午後になっても、検温・血圧・酸素量・聴診器による胸の音、すべて問題なし。
どうやら昨日のことは、解決したと思ってもいいようだ。
しばらくしてM医師がやってきた。
CT撮影の結果である。

まず・・・・・・。
肺の状態はよくなってきているとのこと。
おぉ・・・・・・。
昨日が昨日だけにホッとする。
しかし、良くなっているのにあの発熱はなんだったんだ?という疑問は残る。
明日、肺の専門医と相談して、今後の薬の量をどうしていくのかを決めたいということらしい。
また、血液検査の結果も、少し菌が出ているがそれほど気にする量ではないとのこと。
しかし、昨日、熱が出ているので注意は必要で、まだしばらくは、このまま様子を見ていきたいとのことであった。
ただ、気になるのは血糖値が高いので、薬で調整していきたいとのこと。

肝心の肺炎が回復の兆しがあるというのは、とても喜ばしい。
入院以来、初の朗報でもある。
さっそく家内にも連絡。
かなり安心したみたい。

夕方、看護師さんがやってきて、先日追加されたオングリザという薬を25gから倍の50gに増やすことに。
確かに血糖値はもとからの持病でもあり、かつて大きな治療をした眼と心臓への影響がでないか心配でもある。

この日、点滴を交換する日ではないのだが、こっそりと腕を濡らさないようにシャワーを浴びる。
いつもはこの点滴針を交換するタイミング(2~3日に1回)と同時に、シャワーを利用している。
でも、昨日は発熱でタップリ汗もかいたので、内緒でシャワーを浴びた。
看護師さんのなかには、濡らさないように注意すれば、点滴したままでもいいというようなことを言っている人もいたのもこの行為の後押しとなる。
確かに凄く気を使えば、濡らさずにシャワーを浴びることも可能だ。
とにかく、昨日の今日なので、とても気持ちがいい。

7月28日(金)
この日も朝から快調。
ただ昨夜は少し寝つきが悪かった。
寝てからも何度か目を覚ましてしまう始末。
おかげで、少し寝足りない気分。
おそらく今日は、タップリと昼寝をしてしまいそう。

さて、今日は肺の専門医と協議した結果が出ると思われるのだが、その結果を見て職場に休暇の取り方について連絡しようと思う。
今思っているのは、今後のことを考えて、ある程度の有休を残して、休職を使わずに病欠と欠勤扱いでやりくりをするというイメージ。
当然、病欠と欠勤の対象日は無給となるのだが、傷病手当の申請とあわせてどうしようかということを考えてもいる。
いずれにしても、肺の専門医との協議の結果を待ちたい。

そして、すっかり週末の外出に味を占めた私は、明日と明後日の連続2日間、外出をお願いできないかと画策している。
今週は例の謎の発熱の件もあったし、2日連続の外出は無理かな?とも思うのだが・・・・・。
ただ、まぁ、申請だけはしてみようと思う。
すると、たまたま看護師さんとの話の中で、明日・明後日の予定のことになり、事のついでにこの外出の件を話してみた。
いとも簡単にこの看護師さん、先生に確認してくれるとのこと。
「用向きは?」と聞かれたので、今までと同じく「私用で・・・・」と答えると、「仕事で!!」と言った方が許可されやすいとのアドバイス。
ありがたし。
午後になって、この看護師さんが外出の届用紙を2日分持ってきてくれた。
やった!!許可がおりたみたい。

しかし、午後になってもなかなかM医師が現われないため、先に職場に電話することにした。
休暇の考え方は、先に述べた、私のプランでお願いすることにした。
まだ具体的な日数がはっきりせず、何日の欠勤になるかはわからないが、それに合わせて傷病手当も申請することに。
ただ、日数が具体化しない今では、まだ申請はできない。
具体化したら、またすぐに連絡を入れることとし、とりあえず方針だけを連絡した。
あ~、いったい、いつまでこの入院生活が続くのか・・・・・・。
ただの長期入院というだけではなく、メドがないというのは結構堪える。

しばらくしてM医師が登場。
お話としては、昨日の話とほぼ同様。
肺炎がよくなっていること、明日からステロイドの量を減らすこと、抗生物質の薬の種類を変えていること等を伝えられる。
ただ、やっぱり状況としては、「このまま入院で様子を見ていく状態であるため、もうしばらくご辛抱ください」とのこと。
それから、「外出については、充分にお気をつけください」との念押しをされる。

この日はこれで特に変わりなく一日が終了。
明日、明後日の外出が楽しみである。
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間質性肺炎入院(1):長期入院生活の始まり・・・

 2017年7月15日(土)~7月21(金)までのこと。
入院翌日から1週間目までのまとめ。
昨日の入院から早くも1日が経過。
さっそく、昨日からステロイド抗生物質の点滴開始。
1日中、とっかえひっかえ点滴づくし。
本来、私の胸にはポートが埋め込まれているのだが、何だか今回の点滴はポートを使うとよくないらしい。
でも、これは看護師さんによって認識も違うようで、ポートでの点滴の準備をする人もいた。
私が「ポートを使うんですか?」と問うと、「確認してきます!!」と、結構、アタフタ駆け出していく。
その後も、気にせずポートから点滴しようとする看護師さんもいたが、基本的には腕からの点滴に統一される。
なんでも1日に何度も抜き刺しするような点滴の場合は、ポートは向かないということらしい。
でも、この腕への点滴の場合、シャワーに入れなかったり、トイレや寝ていて寝返りをうつにしても不自由さがあったりして、とってもうざいのだ。
まぁ、それについては我慢しかない。

さっそく、入院初日から1日が明けたこの日の朝、私の血糖値は食前で318という恐ろしい数値。
完全にステロイドの影響だそう。
そのため、看護師さんがあわててインシュリンを持ってきて、腕に皮下注射をしてもらう。
私は、血糖値の調整も、もうかれこれ10年を超える長きにわたって続けてきているが、全て内服薬のみの調整で注射は初めて。
よく話には聞いていたが、意外に簡単なものだと驚く。

そして、私の体調はいたって健康・・・・・・。
に、見える。
本人の自覚としては、まったく肺炎という病気の自覚がない。
ないというか、持てないのだ。
体温も血圧も、指先から酸素量を測るパルスオキシメーターの数値もまったく正常。
なにより本人自身がステロイドの影響もあるのかもしれないが、体力気力とも非常に充実している
肺炎はおろか、本当に癌患者か?と思うほど。
病室から夏の日差しがサンサンと輝く外の景色を眺めていると、窓を突き破って飛び出したくなる。
それくらい快調で健康と、自分では思える。
後に、ある看護師さんに「肺炎の患者さんには見えない」とまで言われてもいる。
「先生、本当に入院必要なの?」と声を大にして訴えたいところだ。

そして・・・・・。
私にとって喜ばしいことに、急の入院で旅行もキャンセルして気落ちしている私を見てなのか、家内からなんと、ノートPC購入の許可が出た。
あまりにもせせこましくタブレットをのぞきこんでいる私の姿に、このいつまで続くかわからない入院生活を思って、よほ不憫にも見えたのだろうか。
ただし、価格は50,000円台までの物という条件付き。
さっそくネットで対象機器を探しまくり、ヒューレットパッカーのPCを指定。
一応、この価格帯でメモリが8GBを積んでいるという優れもの。
Officeこそ入っていないが、そこはなんとかするとしよう。
自宅にあるPCのサブPCと考えれば、もう充分すぎるスペック。
さっそく発注をお願い。
すると、なんと翌日には到着するという。
私は病室から一歩も出ずに、PCが翌日に手に入るという、ホントに便利な世の中になったものである。

7月16日(日)
この日も体調は変わりなく快調。
特に変化もなく、退屈な一日だった・・・・・・。
だったというのは、この日の午後、家内が昨日注文したノートPCを持ってやってきた。
早い・・・・・・。
本当に早い。

そして、さっそく開封してニンマリ顔の私。
これで私の退屈を補える、いいツールが手に入った。
すぐにネット接続やら初期設定に没頭。
看護師さん達も、さすがに「長居する覚悟を決めたのだろうか、なにやら持ち込んできたな、このオヤジ・・・」という感じ。

しかし、この時、病室がネットの使える部屋から使えない部屋に移動することとなった。
さて、これは困った。
なんとかならないかと、スマホで調べてみるとなんと、レンタルのWiMAXがあるということで、さっそくそれを手配。
8,000円/月ちょいで済むという。
これも入院生活のための必要経費と割り切ろう。

そして、7月17日(月)海の日
あまりにも突然の入院と、入院中の体調も良好なことから、一時的に家に行かせて欲しいと、この日外出の申請をした。
「あまり、あちこち出歩かないのならば・・・・・」という条件付きで外出の許可がなされた。
やった・・・・・・。
この日の朝早く自宅に戻ると、突然姿を消した私を見て、ワンコ達が駆け寄ってくる。
私も思いっきりワンコ達を抱きしめる。
一息着いたら、さっそくノートPCに必要なソフトをインストールし、自宅のメインPCとの同期をとる。
そして、持ち出すべき必要データを外付けHDへ移行し、病室に持ち込む準備を完了。
これで、私の入院ライフは、大幅に充実するというもの。
さらに細々とした必要なものをカバンに詰め込む。
やはり自分にしかわからない必要なものってあるものだ。

昼食はステロイドの影響もあってか、食欲も爆裂状態。
すでに病院食に飽き飽きしていた私は、おもいっきり外食を提案。
まるで癌になる前の私に戻ったかのような恐るべき食欲を取り戻した。
まぁ、そうはいっても普通に一人前の食事ではあるのだが、質が結構、ガッチリ系なのだ。
いや、久しぶりの味わいと、娑婆の食事ということもあってかおいしさも倍増。

が・・・・・・。
病院に戻って血糖値を測定すると、案の定、信じられないほど高い。
まぁ、食べたものを考えると、当然といえば当然。
実際にはそれほど爆食いしたわけでもないのだが、やはりステロイドとの相乗効果なのであろう。
おかげで、インシュリンの単位を増やされ、明日から内服薬も増やされることに。

7月18日(火)
朝、昨日あれだけ高かったのに不思議と血糖値は正常に戻っている。
インシュリンはなし。
午前中にレントゲン撮影。
そして、やっと状況も落ち着いてきたので、職場に私の今の状況の連絡と業務上の確認。
ありがたいことに、職場側でも有休と合わせて休職がいいのか、病欠がいいのか、色々と調べてシュミレーションしてくれるそう。
ただ、診断書の準備はしておいて欲しいと言われる。
さらに、近日中に職場の責任者も病院に来てくれるとのこと。

午後、M医師がやってきて、レントゲンの結果として、肺炎の状況は悪くはなっていないとのこと。
ただ、悪くなっていないというだけで、決して良くなっているというわけではなさそうだ。
まだまだ、この治療の行く末は見えない。
そして、昨日の予告通り血糖値対策として、オングリザ25gという内服薬も追加されることとなった。
とりあえず、血糖値の様子をみながら、これでも変わらなかったらインシュリンの単位で調整しようということに。
まぁ、昨日、高かった理由は外食によるものだろうけれども、その辺はぼんやりとごまかしておいた。

7月19日(水)
この日の朝も血糖値は低い。
絶好調である。

この日も変わらぬ一日かと思いきや、ネットの使える病室(403号室)が空いたとのことで、またまたお引越し。
う~む、ネットが使える部屋・・・・・。
せっかくのレンタルWiMAX、頼んじゃったんだけれどもどうしよう・・・・・・・。
今更、キャンセルもできないので、到着したらしたで、そのWiMAXを使用していくことに決める。
多分、速度的にはこちらの方が早いであろう。

午後に頼んでおいた診断書を受付に取りに行っての戻りに、エレベーターの中で偶然M医師とばったり。
エレベーター内で立ち話。
まずは、状態を聞かれ、まったく変わりがないことをお伝えする。
今週末の金曜日にまた血液検査とレントゲンを撮って、今後どうするか、点滴を減らせるかどうかの判断をしていくとのこと。
これはもう、仰せの通りに。

夕方、職場の所属長がお見舞いに来てくれた。
この人とはこの4月からのお付き合い。
休日申請の事務的手続き関係を持参され、今後の状況を見ながらどう申請するか決めていくということに。
そして、私は診断書を手渡す。
業務上、何か私がいないことで滞っているようなことがないか確認するが、「今は、気にしないで療養に集中してください」とのこと。
これはもう、素直に頭を下げるのみ。
ただ、入院生活とはいえ、心身ともに状態はとても元気なため、一日中病室に閉じこもっているシンドさを吐露。
でも、とにかく無理をせず、「職場に来られるのを、待ってます・・・・・」ということでお帰りになられた。
とても、ありがたくもあり、私なんぞにもったいないお手間をかけてしまった。
またもや感謝である。

ちなみにこの時の診断書を以下に示す。

《その時の診断書》

なんとも簡単な文章である。
これで何千円もお金がかかっているのだ。
まぁ、こういうものなんだろうね。

すると、家内が家に届いていた、レンタルのWiMAXを持ってやって来た。
さっそく設定しネット接続完了。
快適快適。
私の場合、この何度目かの入院生活を通して、例えネットの繋がらない環境であっても、なんとしてもこのネット環境を構築するということが、なによりも重要なこととなってしまったようだ。

7月20日(木)
特に変化のない一日。
午後にM医師がやってきて容態の確認。
明日のレントゲン撮影の結果、肺の専門医に診てもらって専門の見解を貰うとのことらしい。
そして、明日から3日間、このM医師は不在となり、その間、サブのO医師が担当するとのこと。
このO医師は前回の入院時に面識がある。
そして私は、しばらくこの安静状態は続くとのこと。
まだ、この先のことは見えないらしい。

そして、私もこの間のことで味を占めており、今度の日曜日にまたもや外出したいということを申し出る
熱があったり呼吸が苦しいとかなければ大丈夫とのこと。
そこは、「O医師と相談しながら、外出の手続きを進めてください」ということに。

その日の夕方、血糖値が400台と、結構高い。
お昼がうどんで軽かったため、差し入れのゼリーを食べたせいだろうか。
またもや、インシュリンの単位を増やされた。

7月21日(金)
本日で入院から丸一週間が経過した。
これを早いというか、長いというか・・・・・・・。
微妙な感慨である。
朝の血糖値は141と、昨夜よりはかなり落ち着いたようで、インシュリンはなし。
そして、予定通りレントゲンの撮影。
その後は、職場へ休暇の取り方について、まだ検討中であることと、私も企画メンバーだったイベントがうまくいくよう祈っているということをお伝えする。

夕方、M医師の代わりのO医師がやって来て、レントゲンの結果を肺の専門医に診てもらっていることを告げられる。
そして、「明日からステロイドの量を軽くして様子を見ていきましょう」ということになる。
今は60gを使用しているが50gにするとのこと。
ただ、「10gの減なので、あまり実感はないかもしれませんが・・・・・」との注釈付き。
もし数値が悪くなったら、また戻すかもしれませんとのこと。
これも私は、ただただ従うのみ。

それと、日曜日の外出について申請をしておく。
こうして、私の入院生活の一週間が、とりあえずは無事に過ぎていく。
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やはり抗がん剤は味方ではなかった!!間質性肺炎発症!!

2017年7月14日のこと。
この日、いつもと同じように抗がん剤治療の日。
前の投稿で記載したように抗がん剤の薬が1種類となって、治療は非常に楽になっている。
しかし、肝心の癌への抑制効果は?と気になるところはあるものの、今のところは大きな変化もなく、相変わらず良い状態で癌の進行への抑えは効いている様子。

しかし、ここでとうとう、味方のはずの抗がん剤のほうから、ついに牙を剥かれることになる
それは・・・・・。
間質性肺炎
抗がん剤の副作用の一つとして、肺炎を起こす可能性があるということは、最初の導入前の時点で聞いてはいる。
でも、まさか、こんなタイミングでこんな状態で、それが現れてくるとは予想だにはしていなかった。
私のイメージでは病棟のベットで横たわった状態で、徐々にこういった病気がやってくるものだとばかりに考えていた。

予兆らしい予兆といえば、この日の1~2週間前くらいから微熱が出ていた。
しかし、体温もだいたい37℃をちょっと超えた辺り。
それほど高いというわけでもなく、特にこれといって何も支障もないため、一過性のものと考え放置。
でも、この微熱も連日、続くこととなり、さすがに少し気にはなっていた。
そして、職場で時々、異様な寒気がするようにも。
暑がりの人が多い職場なので、エアコンの効き過ぎかとも思ったが、これは何かあるのかも?と。
ただ、それ以上、日常的には特に支障もないため次の治療日まで、様子をみていたところ。

そこでこの日、主治医のM医師に状況を訴える。
すると「CTを撮ってみましょう」と、いつにない反応。
CT室では、この日の予約もなく飛び入りの撮影のために、結構、待たされる。
そうそう、私の場合、腎機能が不調のため、もうこの頃には造影剤を使用しないで撮影するのが常となっている。

そして、その撮影結果にて、とうとうその間質性肺炎という病名を宣告されたということ。

なんでもこの間質性肺炎とは、通常の肺炎よりたちが悪いらしく、悪くすると死に至るとも。
また、死の宣告か・・・・・・・。
一瞬、戸惑いもしたが、その言葉を出された以上は、こちらも身構える。

M医師曰く、すぐに入院が必要で、治療期間はわからない。
「基本的に長くなります。早い人でも、最低でも一か月は見込まれます」とのこと。
もちろん、抗がん剤の治療は中止
治療の主体は抗生物質とステロイドの投与
ステロイドの副作用として、血糖値が上がること。
私の場合、もともとが血糖値調整が必要な身のため、インシュリンを打って調整をはかっていくとのこと。
さらに、骨が弱くなったり、胃潰瘍が起きやすい
また、感染に弱くなり、夜眠れなくなる
顔もむくみ、ムーンフェイスになる人もいるのだそう。

私自身としては軽い微熱があるのと、たまに寒気に襲われるくらいしか自覚症状はない。
特に咳や痰が出るということもないのだ。
食欲も特に落ちてはいないし、夜は相変わらずよく眠れてもいる。
そのため、私の自覚としては入院が必要な状態なのか?という感じでもある。

でも、M医師としては緊急事態並みの対応。
おそるおそる「入院は今日からですか、来週からとかにはならないですか?」と聞いてみるが、M医師はゆっくりと首を横に振り、「今日からの入院です」と答えるのみ。
今日、この後、職場へ行ってやらねばならい予定もあり、人と会う約束もしている。
プライベートでは明日から2泊3日の旅行を予定していた。
これらが全部白紙になる。

あまりにも突然のため、「どうしたものか・・・・」という戸惑いの渦の中でもあったが、私も死という言葉が出た以上、これは観念するしかない。
全て病院におまかせすることとした。
まず家内へ連絡。
当然ながら絶句。
そして、職場へも状況を説明し、本日より期限未定で最低でも一か月というお休みをもらうことをお願いする。
関係者には業務の引継ぎもお願い。
私の仕事の性質上、引継ぎでは対応しにくいものなのだが、この状況では致し方がない。
幸いなことに、この時期私の予約対応者がほとんどいない。
ただ、この時期、私も企画の一員であるイベントが控えていた。
これについては、他のメンバーに託すしかない。
落ち着いたらまた詳細は連絡することとして、とりあえず職場へは最低限の事実のみを報告。
おそらく、職場にはこの4月に来たばかりの人間として、何が起きた!!と激震が走ったであろう。

とにかく、着るものも持ち物も、普通に通勤スタイルのまま、まさに着の身着のまま入院病棟へ連れていかれた。
入院生活として、最低限必要なものを再度家内に連絡する。
ただ、今度は、期間がわからない。
少なくても長期であることだけははっきりしている。
家と病院が近くて本当によかった。
さっそく、家内は職場の昼休みに抜け出して、状況を確認しにやって来た。
通勤用のジャケット、革靴、カバン、地下鉄のICカード、腕時計その他を持って帰ってもらうことに。
かわりに、携帯の充電器、前回の入院でとても重宝した、病室内をWi-Fi環境にするためのポケットルーター、タブレットを持ってきてもらうことをお願いする。
家内も、一通り状況を把握すると「夕方に、諸々の必要なものを持ってくる」と、すぐに職場へ戻って行く。
私自身が意外とケロっとしているためか、今回の入院はそれほどの動揺はしていないみたい。
病気の性質としては、結構な大事のようなのだが・・・・・。
そして、明日からの旅行はキャンセル。
これは楽しみにしていただけに、私も家内もがっかり。

こうして、突然の間質性肺炎の宣告を受けた。
まず、抗がん剤の中止。
期間不明の入院治療ということに相成った。
初日である今日からすぐに、病室で少し落ち着くと抗生物質とステロイドの点滴が用意された。
病室自体は、以前も入院したところなので戸惑うことはない。
ただ、あまりに突然のことで、やや明日からの展開を見失うことになる。

※これからしばらくの投稿については、この期間の詳細なメモを残していたので、このメモをもとに、間質性肺炎・入院生活に関しての投稿を続けさせていただきます。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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抗がん剤治療に蔭りが・・・・・・

2017年6月9日のこと。
この4月より新しい職場での勤務となり、既に2カ月が経過。
正直なところ、かなり変わった所で当惑する場面も多々あるのだが、直接的な私の実務に関しては、長年にわたって携わってきただけに、まったくそれについては滞りなく順調ではある。
この職場でも、私の病状についてはちゃんと申し送りはされていて理解はされていたが、一応は私の口からもきちんとここの職員たちに説明をした。
こと私の病気に関しては、ここの新しい職員の人たちもすごく寛容に受け止めてもらえた。
私は本当に職場に恵まれている。
何度も何度も、くどいけれども感謝しかない。

抗がん剤治療日の休みについては、今までは便宜上、このブログ内では有休と称していたが、実際のところは土曜出勤の代休を使用していた。
しかし、この6月からは全体の運営方針として、土曜出勤がなくなってしまうので、文字通り本当に有休を使用していかねばならない。
もっとも、私は元々がほとんど有休を使用しない人間のため、たっぷりと有休の残日数はある。
しかし、今後何があるのかわからないため、有休消化はできるだけ控えたいとは思う。
でも、これは致し方がない。
この6月からは本当に有休を使用していくことになる。

そんな中、私の治療に変化が起きた。
それは、毎度、抗がん剤点滴の前には採血をして状態を見てから実施するかどうかを決めていくのだが、この6月9日の日。
私の腎機能の数値がやはり思わしくなく、このまま今のままの抗がん剤治療を続けていくのは危険であるというM医師の判断がなされた。
もっとも、開始早々からこの腎機能の数値については危惧されているところであったが、今までは治療には支障なしとのことで留意するだけに留まっていた。
確かに、ここ最近の採血結果を見るM医師に少し戸惑いのようなものがあったのは私も感じていた。
実際、腎機能の数値が思わしくないということは何度も言われていたし、その度に水を多く飲むこと、カリウムの摂取をできるだけ気を付けることというのは毎度の注意事項でもあった。
しかし、ここにきて、これ以上、腎機能に負担をかけるのは無理という決断をされたようである。
この腎機能への影響の原因ははっきりしている。
抗がん剤の副作用である。
抗がん剤の効用として、癌進行の抑制にはかなり有効に作用してくれていたようであるが、まさに身を切る治療という本来の抗がん剤の正体が、ここにきて現れてきたということ。

これには、私も抵抗のしようがない。
M医師の仰せの通りに頷くしかない。
対処としては、私の抗がん剤として使用していた2種類の薬のうち、シスプラチンの使用を辞めることになった。
残るはゲムシュタビン1種類の投与となる。
ちょうど、私の武器を一つ取り上げられたかっこうである。
M医師によると、今までよりは効果は落ちるという。
くやしいが、これもしょうがない。
私の実感としてはまったく体調に何か負担がかかっていたという自覚はないのだが、一応は、やはり生理検査のデータは正直であろう。
今後はこの残された武器で闘っていくしかないようである。

この処置はこの日当日から実施することとなった。
このことにより、点滴の所要時間が大幅に短縮される。
今までの実際の点滴については、先の2種類の抗癌剤のほかに、副作用防止といった事後対応の点滴も含めて2種類、計4種類を使用しおよそ4時間近く時間を要していた。
この中で、シスプラチン(点滴時間90分)という長い時間を要する点滴が取りやめることになったため、全体の時間が2時間15分とかなり短縮されることになる。
おまけに点滴当日の脱力・虚脱感の原因は、おそらくこのシスプラチンにあると思われ、この日の投与後の状態を確かめて、もしかすると、時間的にも体力面からも、この治療後に職場に出勤できるのではないかとも予想できる。

そして、この日は抗がん剤治療を終えて病院を出るまで、午前中のうちに全てが終了した。
さらに体調面は、私の予想通り、まったくけだるさも何もない。
やはり、あの投与当日の脱力・虚脱感はシスプラチンが原因だったと思われる。
さて、次回からの抗がん剤治療日は半日休にし、午後からは仕事をすることとしよう。
このことは、仕事的には都合がよくなるのだが、肝心の癌対策としては、やや不安がないわけでもない。
ここにきて、抗がん剤治療に陰りが見えてきたというところであろう・・・・・・。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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職場異動!!

 2017年4月のこと。
実はこの時期、私には職場異動があった。
この4月からは新しい職場での勤務。
新しい職場とはいっても、今まで勤めていたビルは同じで、フロア(階)が変わっただけ。
仕事の内容も基本的に変わらず、ただ対象となるお客様が少し変わるということになる。

私の他に一緒に働いていたチーム内の3名も同時に異動があり、そのうちの1名は同じ職場へ。
他2名は、また私とは別のフロアに。
私の所属していたチームのほとんどがバラバラになった。
今までの職場には、私は4年勤務したことになる。

でも、この組織全体にお世話になってからというのは、この年で丸10年目(当時)を迎える。
その間、3か所の職場を体験してきた。
いずれの場所も私にとっては深き思い出の場所であり、私のスキルを磨く上でも、大変貴重な経験をした場所。
今度の職場もその一つになろうかということで、これで4か所目の職場。
また、新たな試練ともいうべき幾多の出来事が私を待ち受けているのであろう。

今回の異動は直接、私の病気のこととは関係がないと思われる。
この年度から、この組織自体の運営も大幅に変わり、土曜日の勤務が無くなったり、早出・遅出の勤務シフトが大きく様変わりもする。
この大きな改変の中での、職場の再構築・再編成といったところなのだろう。
でも、このことにより私の治療スケジュールにも若干の影響も出てくるであろうし、今後の通院治療計画を改めて新しい職場のスタッフにも伝えていかねばならない。
当然、前の職場から、私の病状の申し送りはされているはずである。

しかし、そもそものことでもあるが、とてもありがたいのは、この私の状態(病状・治療の都合)でありながらも、雇用の契約を破棄されずに新たに更新されたということ。
これは、私の病気発覚時に一番最初に事情を伝えた部長や、これら関係各所を管轄する所長をはじめとした、諸々の関係者の配慮とご厚意があればこそのことと思える。
これには、私は土下座もので大感謝。
今の私から、この仕事がなくなってしまうとしたら、おそらく私の死期はかなり前倒しになるであろう。
多分、精神的に死に直結する。

前にも述べたことがあるが、私はそれほど仕事漬けの真人間では決してない。
ただ、残された時間でできることとして、困っている人を助けたい、何かの役にたちたいという想いがより強くなってきているのは確か。
このことは、私自身が存在や役割を自覚したいという、ただの手前勝手な生存本能の現れなのかもしれないと思うこともある。
でも、仮にそうであっても、現実に誰かの役に立てるのであれば、それはそれで、こんな私でも生きてきた意味があったのではないかと思うことにもしている。
生きるということの真の意味は永遠に課題のままで、生きているうちに答えが見つかるべきものではないのかもしれない。

そして・・・・・・。
その、異動前の最終日。
朝礼での挨拶で、今まで抗がん剤治療のためとはいえ、ひと月に何度も金甌日に有休を使わせていただいたことや、そのことによるマンパワー不足で皆様にご負担をおかけしていたこと等、お詫びも含めて私の病状を集まった皆さんに公表した。
同じ仕事をしているチームのメンバーには、すでに知らせていたのは最初の頃に投稿していたかと思うが、フロア全体にはあれ以来、およそ1年半近くの間、ずっと私は沈黙していた。
おそらく、「なんで、こんなに休むのだろう?それも週末に?」と、言葉には出さないものの皆思っていたことであろう。
もちろん、このまま黙って去って行くのもありかとも思ったが、やはりここは最後だし、この1年半あまりの長きのことについて、一言詫びて事情を説明しておくべきであろうと私は決意した。

でも、公表はしていないとはいえ、特に口止めもしていなかったため、さすがにこれだけの月日が流れれば、ぼんやりとみんな知っているものと、私はどこかでそのようにも思っていた。
ところが、ほぼ皆さん、まったく知らなかったようで、事実を伝えるとともに、皆、驚愕というかなんとも言えない表情になり、さわやかな朝の空気の流れを一気に変えてしまった。
これはこれで、「まずかったかな?」と申し訳ないとも思ったが、いや、これはこれで私の決意と想いによるものなので致し方がないとも思い直す。
伝えることで色々な影響も起こりえるが、それに加えても、伝える責任もあると私は考える。
これも以前にも述べているが、正解がないことなのだと思う。

しかし、次の職場では闘病以外にも、またまた新しいテーマが待っていることなのかと思う。
どこへ行って、どんな働き方をしても、私の運命はそう変わらないであろう。
ただただ、私は残された時間を大事に責任を持っていくのみ。
幸いにも、まだ体も順調に動くし、頭も気力もしっかりしている。
私の底力、次の職場でもまだまだ見せられると思う。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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その後の治療経過も順調!!

2016年8月頃~2017年3月下旬頃までのこと。
さて、点滴による抗がん剤治療を開始して1年が経過した。
よくぞ、ここまで無事に来られたもの・・・・・・・。
治療の経緯や採血後のデータ、私自身の体調の実感、ともにすごく順調である。

腫瘍マーカーの数値についても2016年8月の急下降が確認されて以来、その後も、ゆるやかであるが引き続き下降し、ある程度数値が落ち着いてきたことが確認された。
その頃の私の癌の測定値、CEA・CA19-9の数値の状況を以下に示してみる。
またまた、クリックするとこの表は大きく見ることができる。

        <その後の腫瘍マーカー推移グラフ>

2016年の8月以降、同年10月15日、同じく12月10日、年が明けて2017年3月11日といった測定値が載っているが、わずかながらも見事に数値が下がり続けているのがわかる。
腫瘍マーカーはあくまで参考値とはいいながらも、こういう推移の傾向を見ると、そこはやはり安堵感は大きくなる。
これについてはKY病院のM医師も、相変わらず特に資料は出してくれないが、ここの病院での測定値も腫瘍マーカーの下降は認めており、M医師も「抗がん剤が効いていますね!!」と言わしめている。

これは、さすがに治療の経緯を冷静に見続けていた私も気分は舞い上がる。
それは家内も同様。
すっかり表情も明るくなり、家の空気もかつての空気を取り戻したよう。
以前の投稿でも述べているが測定当初の数値は本当に絶望的
生きているのが不思議で、どこかの医師にも言われたが、いつ何時何が起きても不思議ではない状況だった。
それが今や、まだまだ正常値ではないものの治療の成果が出ているということに、こんな私にもある種の奇跡というものが起きているのかと思うところ。
素直な喜びと、もう何度も何度もお伝えしているが、すべての皆さまへの感謝しかない。

この状況から、当然ながら職場での働きぶりも快調そのもので、病気前とまったく変わらないパフォーマンスが発揮できている。
私の事情を知っている人たちも、もはや私を病人としては見ていないようだ。
ただ、時々、抗がん剤治療日の金曜日に休まざるを得ないのは致し方なく、私の事情を知らない人達には、この定期的な休みについては不思議にも見えていることであろうか。

私のところに毎度お見えになるお客さんにも、私の病気のことは一切伝えていない。
ただ、お2人だけ、私の様子が普通じゃないと見抜かれて質問攻めにされた挙句、事情を話してしまった人がいる。
これは、人を見る目が抜群に優れていた人と、友人に私と同じような人がいると言う人達。
この方々についても、大変申し訳ない中、ものすごくご心配いただき心苦しくもあったが、今の私の快調ぶりにはもうそのことは忘れているかのような付き合いをしてくれている。

病院スタッフの人たちも、いつも淡々と作業をしながらも、私の様態についてはかなり気にしてくれている。
「〇〇さん(私の名)、本当に頑張ってますよね・・・・」といった言葉をかけられるようになる。
私自身、あまりがんばっているという意識はないのだが、看護師さん達にしてみると、この治療も1年を超えてきていることから、自然とそう思えているのかもしれない。
いや、多くの患者を目にしているスタッフの方々にとっては、私の状況は悪くなる以外に考えられなかったのかもしれない。
そういう意味では、M医師も私のケースはレアケースとして、なにがしかの記録として残しているのであろうか。

化学療法室のスタッフも、もう私はすっかり常連化していて、私の日常の体調のことはもちろん、仕事のこととかについても、治療中気軽に話しかけてくれる。
この部屋を利用している患者さん達も、定期的にいつもいらっしゃる人達もはっきりとしてきている。
でも、そんな中で私は圧倒的に若い。
おそらく最年少なのであろうか・・・・・。
病気発覚当初の入院時には、病棟内に私と同じような色の点滴袋を下げた若い人の姿もチラチラと見かけている。
どういう状態なのかはわからないが、明らかに抗がん剤の点滴と思われる人で、その若さにはなんとも形容しがたい気の毒さと不条理さを感じたもの。
でも私は、ほぼ1年近くここの化学療法室に通い詰めているが、皆さんご高齢の方たちばかりであり、私より年下と思える人は、この時期までについぞ一人も見かけることはない。

毎度、点滴のセット前に確認されるのが、副作用のこと。
でも、このことに関しても、「〇〇さんは、副作用に悩まされなくていいですね・・・・」という言葉も多くかけられるようになっていた。
ある時、あるスタッフさんから、「〇〇さんだから言いますけど、〇〇さんが使っているシスプラチンって結構副作用に悩む人が多いんですよ~」とのこと。
言うと、意識しちゃって悪くなる人がいるので、今まで黙っていたのだそうだけれども、多くの方は吐き気と食欲減退にみまわれるのだそう。
でも私は、いつもそのことについては「問題なく食べてます」と答えてもいた。

ただ、その言葉で少し思い返してみると、確かに抗がん剤の点滴当日の夜は、不快感がないとは言えないことが思い出されてきた。
しかし、私はこの不快感を感じながらも、まったく食欲が落ちることもなく平然と過ごしていた。
そのため、私本人としては、まったく副作用としての実感がないということだけなのかもしれないということ。
ある時、そのことをスタッフさんに話してみて、「この不快感は、若い頃によく経験した二日酔いに比べたら、不快感だということでさえ気が付かなかった・・・・」と伝えると、スタッフさんも大爆笑。
「不摂生の経験もこういうところで役に立つんですね」と言葉を重ねると、さらに笑いが続くということも。

なんとも、これでいいのか?と思えるほど、ほのぼのとした状況である。
この頃が私のがん闘病の一番いい頃。
本当に「私は癌なのか?」と錯覚してしまうほど能天気なこともしばしば。
でも・・・・・・・・。
癌の真の恐ろしさを身をもって知るのは、このしばらく後のこと。
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私のQOL・・・・・・・

 2016年8月前後の頃のこと。
ここのところ、少しシリアスな投稿が続いているので、ここらでこの頃のユルイ話題も。
この時期確認された腫瘍マーカーの下降により、”一応”、”とりあえず”、”あくまでもこの段階では・・・・”ということでありながらも体調は好調。
このことについては、実は腫瘍マーカーの数字を見るまでもなく、少し前から薄っすらと実感もできていたため、この頃、少し食事療法も緩んできていた。

本当はきっちり続けるべきだろうけど、この好調感につられて、次第に外食の機会も増えていき、痩せた分の栄養補給をしようと、ガッチリ系の食事を一部解禁することにした。
「食べたい!!」という食欲が出てきたのである。
そこで、ここまで肉類をできるだけ避けてもいたのだが、わりと食べたい物は自由に食べるという方向に変わっていく。
もちろん、食事療法を100%放棄したわけでもないのだが、あまりコテコテの縛りを無くそうということ。

そして・・・・・・。
この年のお正月明けから、禁酒を決意したというのは、かなり前にお伝えしていたかと思う。
実はここまで、私にとっては奇跡的ともいえる禁酒が続いているのだ。
本当に一滴たりとも飲んでいない、
この病気の前までの私は結構、お酒(おもに焼酎)は、毎晩欠かさず飲んでいた。
アルコール依存症というほどまでではないと思うが、今思うと、ひょっとしたらボーダーだったのかもしれない。
お酒が飲みたいという気持ちはもちろんのことで、飲まないと眠れないという状況。
当時の私には禁酒なんてとんでもない話。
だからこそ、こんな病気を引き込んでしまったというのは、あるのかもしれない。
でも、さすがに今回のことでは、きっぱりとお酒を断っていた。
そして、この禁酒期間中は、思いのほかそれほどツライこともなく、特にお酒が欲しいと思うこともなく、飲まなくてもしっかりと眠れている。
これは、以前の私からするとちょっと考えにくく、もしかすると体自体が拒否していたのかもしれない。

しかし・・・・・・・・。
6月のとある日、国産ワインの小瓶(360ml)を購入し、小さなショットグラスで2杯ほど飲んでみた。
もちろん、肝臓の数値は確認済み。
病気発覚のきっかけこそ、肝臓の異常値から始まったわけであるが、その後すぐに肝臓は回復。
むしろ、今は腎機能の方が不安定。
でも、ここにきて体調が少し良いという実感から、飲んでみたいという欲求がポッコリ顔を出してきたのである。
これも食欲増進と同じ時期のこと。

そして、思い切ってお酒を少しだけ手にしてみた。
当然、家内は最初は渋い顔。
やはり、半年近くアルコールを遠ざけていたことから、飲むというよりはホントに恐る恐る口をつけてみたという感じ。
まるで舐めるように口に含んでみたが、小型のお猪口サイズなのに、久しぶりのお酒はじっとりと体に沁み込む。
懐かしの心地良さに包まれる中で、体調の異変は特に感じられない。

末期癌患者がアルコールを摂取するということについては、恐らく決して良いことではない。
これは百も承知。
ただ、自分なりのQOLを考えたところ、今の状態ならば、本当に微量であることと、絶対にダラダラとした常習化しないことを念頭に少量のワイン限定ということで、アルコールを摂ってみることにした。
具体的には1か月に1度という頻度から、後には少し間隔が狭まるが、量を絶対厳守するという管理のもと、ワイン限定で今も飲み続けている。
ある時、KY病院のM医師に「お酒は飲んでますか?」と聞かれた時に正直に答えたが、特に何も言われなかったので黙認してもらったと理解している。
まぁ、これで病状に何か支障があっても、これは自己責任との納得済み。

これと同じくして、甘い物も食べるようになった。
『糖分は癌のエサ』という、癌患者なら誰しも理解していることではあるが、この病気になってから時々甘いものが食べたくなる。
特にアイスクリームやらソフトクリーム、チョコレートといった類。
これについては他の患者さん達でも、よくアイスやケーキを食べるようになったという話をよく耳にする。
私についても、このことは同様の現象かと思われる。

元々、私は血糖値管理のこともあり、あまり甘いものは食べなかった。
食べなくても、なんら困らなかった。
せいぜい、夏期にたまにアイスを食べるくらいのもの。
それが、この病気になってから、能動的に食べたくなってきたのである。
これは癌が欲しがっているのであろうか?
これも、私は食べ過ぎには注意はするものの、あまり我慢はしないことにした。

おそらく、お酒のことも甘いモノのことも、ストイックに癌の闘病をしている方々からすると、私のこの判断は非難の的でもあろう。
でも、これも前の投稿でも述べている、私の癌との闘い方のテ-マである「ムキにならないこと!!」の一端ともいえるのかな。
あくまで無理のない範囲での自然体ということ。
一口に癌と言っても人それぞれで、その闘病もまたしかり。

ただ、このことはあまり他の方はマネしない方がいいし、決してお薦めはできない。
あくまでも私の闘病であり、私のQOLの考え方によるもの。
当然、何かあっても自己責任。
もはや余命宣告をされている身でもあり、体に不調を感じない限り、精神の安定を優先してみるという考え方。
しかし、反面、あまり調子に乗りすぎないように、自戒のバランスが必要であろうか。
気を付けながら、しばし、この方向で様子をみてみたい。
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新たな決意!!

2016年8月以降のこと。
腫瘍マーカーが激下がりしたのは、この前の投稿でお示しした通り。
私の癌の部位には、数100種類あるといわれる抗がん剤の中でも、たったの2種類しか使えない。
そして、この抗がん剤でさえも、最初の説明では副作用がありながらも、その癌への対抗策として必ずしも有効とは言い切れない、とまで言われていた。
つまり、まったく効かないというケースもあるということ。

それが・・・・・・・。
こんな形で、効果として現れてくるとは・・・・・・・。
正直なところ、私には寝耳に水といったところ。
決して、この闘病に対して悲観していたわけでもないのだが、どうにも私の中には改善するというイメージがなかなか持てなかった。
奇跡が起こりえるということは、話としては理解していたものの、それが私個人に及ぼされることとは、どうにも私のこれまでの人生観からは、どうしても考えにくいことでもあった。
他の多くの癌患者の方々のように、「なにがなんでも・・・・・」とか、「必ず癌に打ち勝つ!!」というような気持ちが、私にはどうしても湧き上がらないのである。
ただ、淡々と流れに身を任せるしかない。
来るべき時が来たら、それを素直に受け入れようという、よく言えば自然体。
諦めが早いというか、消極的人生観ともいえるのかもしれないが、その実、それほど、あきらめの極致に達しているというわけでもない。
局面が変化すれば普通に動揺もすれば焦りも覚える。
でも、この私の心情は、5年後の生存率が3%にも満たないという、あまりにも強力・強大な敵を前にした、私のある意味、無意識下の対抗手段でもあったのかもしれない。
だから私の場合に限ったこととお断りさせていただくが、私の癌闘病のテ-マは「むきにならないこと!!」というのが、やはりここで、どうにも確立されたようでもある。
これが、人に言わせれば「その姿勢が、却ってよかったのでは・・・・・」とも言わしめてもいる。

何にせよ、この効果が現われたというのは、私一人の力ではない。
家内をはじめとして、各医療機関の皆さま、生きる糧となる仕事を与えてくれる職場の皆さま、またその私を支えてくれる仕事仲間、ともに成長させていただくお客様、そしてさらに私の数少ない友人たちのおかげであることは、ここに改めて記しておきたい。
本当にありがとうございます。


そして・・・・・・・。
ここ最近、私には目に見えない何者かに、「もしかして守られているのでは・・・・・」という実感が生まれてきてもいる。
我が家には神棚も仏壇もあるが、実はお恥ずかしながら、それほど熱心な信者でもない。
神仏や、スピリチュアルな世界に、特別に傾倒しているわけでもないのだ。
この闘病で特に何かを祈願したり祈とうしたりということもない。
せいぜいお正月に初詣でに行ったくらいのこと。

でも・・・・・・・。
ここにきて、なにか見えない法則というか、力学のようなものがあるのかもしれないという感じがする。
こんな気持ちは生まれてこのかた初めてのこと。
これは単なる私の今のメンタル上の想い過ごしかもしれないけれど、ここにも、こんな私にもなにかのご加護があるのならば、やはり感謝という気持ちは忘れてはならないと思うようになってきた。

さて、私の実質上の体調はすこぶる良い。
食欲も出てきたこともあり体重も増加中。
体のだるさ辛さも一切ない。
ただ、治療については、この腫瘍マーカーの数値が下がったとはいえ、相変わらずのパターンで継続。
しかし、この頃の私の実感としては、HW病院のA医師に、恐れ多くも「なんだか病気ということを忘れてしまいそう・・・・・」とも訴えるほどに好調。
本当に、正直なところ何がなんだかわからない。

しかし・・・・・・・・・。
絶対に忘れてはならないのは、この抗がん剤もいつかは効かなくなるということ・・・・・・・・。
効果は永遠ではないのだ。
おそらく、このことに関しては、私の場合も決して例外はないだろうと思う。
そのため、どんなに今いい方向に向かっていたとしても、誰に励まされても、私には老後のイメージは持てない。
おそらくは、いや、まちがいなくそこへ到達する前に私の命は尽きるであろう。
それも、そう遠くはない将来かもしれない。

今、私の残された命が、少しばかりどうやら長らえることができたらしいということだけで、決してそこは忘れてもいけないのだろうと思う。
だからこそ、ただ浮かれるばかりではなく、残された時間を大事に考え、今まで生きてきた、また生きている意義を改めて考えて行かねばならないとも思う。

そう・・・・・・・。
私にはなすべきことが、まだまだあるということなのだ。
幸いにも私には仕事がある。
この体験から得ている恩恵に応えられるべき舞台・ステージがまだあるのだ。
私と今向き合っているお客様、これからも残された時間で出会うであろうお客様達。
基本的には縁もゆかりもない方々ではあるものの、こんな状態の私と向き合うのも、これもまた、何かの運命の力学が働いているのかもしれない。

まさに残された時間・命の中で、私がなにか報いることが残されているというのは、これは私にとっては、たいへん幸せなこと。
我が身の延命やら生存ということも、確かにそれが実現すれば幸せなことなのかもしれない。
しかし、それが叶わないこととしても、生存している意義、生きてきた証を残せるということは、これはこれで私には充分な幸せ感がある。
まだ、どうやら時間はあるようだ。
いつ何時、何が起こったとしても、思い残すことがないように、報いることに専念させていただこう。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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なんと、腫瘍マーカーが!!

2016年8月頃のこと。
あれ以来、淡々と相変わらずのペースで癌治療を継続中。
さすがに、これだけ定期的に病院に通っていれば、特にKY病院については滞在時間も長いだけに、徐々に各所のスタッフさん達とも顔なじみになってくる。
最初の採血後の近況確認をする看護師さん達は、すっかり私の顔を覚えてくれているとみえて、私の名前を呼ばずに近寄って来て声をかけてもらうほどになっている。
ただ、建前上の本人確認はしなければならないため、形式上での名前は確認されるのだが、実態はもうほとんどお馴染みさん扱い。
特に、毎回状況を見守るように確認してくれる看護師さんがいて、やはり私の場合、年齢的なこともあってのこの状態のため、それとなく気を使ってくれているのがよくわかる。
話を聞くと、この方のご主人も私と同じような状況らしく、他人事には思えないらしい。

また、化学療法室のスタッフさん達も、いつもいつも副作用に関して、すごく気を配っていただきながら、毎回テキパキと点滴をしてくれる。
ここでは特に4時間という長い時間の滞在のため、お忙しい合間をみながら、ちょこちょこ話しかけてくれて、こちらも私の闘病を見守ってくれているという様子。
どちらのスタッフの方々も、とてもありがたい接し方をしてくれていて、私にしては、ほぼ毎週金曜日(2週続けて1週休みというサイクル)の通院が、ほとんど気持ち的な負担を感じずに続けられている。
こういう仕事をしている人達って、本当に頭が下がる思いでもあり、心より感謝の気持ちで一杯となる。
私自身も、人と直接深い対面をしていく仕事なので、この方々の執務姿勢には見習うことも多い。

さて、こんな状態が続く中、珍しくいい展開が降って沸いてきた。
それは、温熱治療で通っているHW病院のA医師から、腫瘍マーカーのデータが示されたこと。
なんと、この8月にきて、マーカーの数値を示すグラフでは、急激にその数値が下げっていることが確認された。
以下にその時の、資料を掲載してみた。
小さくてわかりにくいかもしれないが、画像をクリックすると大きく表示されるので、興味のある方はご確認いただければと思う。

         <腫瘍マーカーの変移グラフ>
 
私の癌の場合、CEAという値と、CA19-9という値をみるものらしい。
これは癌の発症部位によって違うみたい。
このマーカーの値は、あくまでも参考値という断りがあるものの、癌の状態を見る目安として確認はできるとのことで、その数値の変移を説明される。

それによると測定はこの年の2月、4月、8月となっている。
そして治療当初の2月ではCEAが1608.2とあり、正常な人の値は0~5という範囲。
CA19-9については22048.6で、こちらの正常な人の値は0~37という範囲。

私にしては、この腫瘍マ-カーの数値は、この癌を宣告されて以来、初めて目にするもの。
実際のところ、この数値の意味する知識はほとんど皆無なのであるが、このCEAとCA19-9、それぞれの2月時点の数値がいかに異常な状態だったかくらいは、さすがに手に取るようにわかる。
これは・・・・・・・。
本当にいつ死んでもおかしくはなかったのではなかろうかとも思われ、一瞬、今更ながら戦慄すら覚える。
だから、あの超クールなKY病院のM医師でさえ、治療当初「早く治療を!!」と焦っていたのであろう。

この数値に驚愕しながらも、4月には一気にCEAが201.6、CA19-9が3916.7と急降下。
さらに、この8月の値が、CEAが23.3、CA19-9が504.1となっていた。
まだまだ正常値にはほど遠いが、あの最初の頃からの異常値と比べると、抗がん剤治療は成功しているとみていいのだろう。
正直なところ、例え参考値とはいえ、この事実にはもう祝杯もの。

ただ、それでも決して油断できないとみえて、この数値を以てしてもA医師も手放しで良い経過ということではなく、冷静に「経過を見ていきましょう・・・・・」と言わしめるのが、この癌の恐ろしさなのであろうか。
こんなものでは、根本的にダメージを与えたということにはならないということなのであろうか。

ただ、それでも、あの4時間点滴直後の虚脱感を耐え、温熱療法の熱さに堪えていたこの半年あまりのことを思い出すと、私にしては、それはそれは感慨深いものがある。
それはそばで私の状況を見守り続けてきた家内もそうであろう。
家に帰って家内に告げると、当然ながら喜び、本当にここ久しぶりに我が家に明るい空気が流れた。
本当にKY病院・HW病院の各関係者の方々には、治療や精神面の両面で支えていただいていることには感謝の言葉以外見つからない。

ただ、こういうデータがどちらかというと補助的に利用しているHW病院から出てきて、メイン治療のKY病院からではなかったことにはやや違和感を持つ。
このKY病院のM医師は、的確な診療と治療計画を立てているという実感はすごく感じるのだが、基本的に必要最低限のことしか話をしてくれない。
こちらから質問をすれば答えてはくれるが、大体が、結果をズバっと言って終わり。
そのため検査結果を書面で渡してくれるわけでもないし、机上のPCモニタに映ったものをチラチラ見せながら淡々と(ホントに文字通り淡々と)説明してくれるのみ。
これはこのM医師の何かポリシーがあるのかもしれないが、情報量としては少し物足りなさをいつも感じてはいるところ。
聞けば答えてくれるとはいうものの、やはりこの手のことは聞く側にしてもかなりの勉強が必要でもある。

まぁ、色々と諸事情はあるのかもしれないが、こういうことも踏まえて複数の病院を同時利用するということは、いいことなのかもしれない。
なんにせよ、このブログ内でも初の朗報の投稿。
私の癌闘病で、もっとも良好な時期だった期間が、この頃から始まることになる。
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テーマ : 末期がんの闘病記
ジャンル : 心と身体

患者の立ち場、病院との関係について・・・・・・

2016年4月~6月頃のこと。
私の癌治療は基本、シスプラチンゲムシタビンという2種類の抗がん剤を週1回、2週続けて1週休むというパターンで投与中。
それと、既に述べてもいるように、温熱療法(ハイパーサーミア)を40分の加温で週1のペースを続けてもいる。
さらに家庭での取り組みとして、食事療法を始めとした民間療法(日常の取り組み・・・・・・)も同時に継続中。
これについては、長く続けるためもあって、あまり無理をせず、できることをできるだけという取り組み。
副作用については、これまでに何度も述べているように、幸いにも特段、苦しめられることもない。

この頃、癌への効果としての大きな成果は未だ聞かされてはいないが、実に淡々と治療が継続されている。
ただ、ここまでの変化として、どうやらCT画像上では少し腫瘍は小さくなったということが伝えられてはいる。
しかし、一時的な効果とも思われているのか、その事実を一度だけポツリと伝えられただけで、正式にはそれ以上の判定はなされていない。
でも、体調についての私の自覚としては、それを耳にした精神的な影響もあるせいか、不調感がほとんど感じられないようになり、食欲も増進し体重も増えてきた。

この体重・・・・・・・。
思えば、当初の病気発覚時には体重が最大9kgも減少し、私のお尻が小さくなったとみえて、スラックスがダブダブになってしまい、今思えば、誰がどう見ても重病人の様相を呈していたと思われる。
しかし、今はその時に買ったスラックスがきつくて入らなくなってきている。
メタボ的にはどうか?ということでもあるが、この癌の病気的にはいい傾向なのであろう。
ただ、血糖値の調整とのからみは気にしなければいけないところなのだけれども、食事療法の功も奏しているのか、こちらも安定していて順調。

しかし・・・・・・・。
やはり白血球の減少と貧血はある。
さらに腎機能の不調を、時々告げられるのは変わらない。
それによって、別の病気にかかりやすいとか、傷が治りにくいとかの症状は、今のところ特に起きてはいない。
ただ、腎機能についてはクレアチニンの数値が高いことが多く、「とにかく水分を補給して!!」と、クドいほど毎度告げられる。
また、カリウムの摂取も控えるようにと。
これ、調べると、野菜や果物に多く含まれているようで、私の今の食事療法との兼ね合いが難しくなる。
この調整は、素人には無理かな・・・・・・。

ただ、ほとんどの場合は抗がん剤治療に支障がないということで、そのまま治療は続けられたが、この期間、時々数値が悪くて抗がん剤の投与を中止することが数回発生。
私のスマホのカレンダーには、同年5月13日、6月17日に、その血液検査の結果から抗がん剤治療を中止しているというメモが残っている。
大きく全体的に見ると、いい流れのようには見えるが、やはり毒を体内に入れているのだということには、改めてその想いも強くなる。

それと、余談ではあるが、温熱治療を受けているHW病院。
この4月~5月の間で、やや小さなトラブルが発生。
それは治療上のことではなく、必要な連絡や調整について不備が目立つということ。
担当医と医師事務作業補助員、医事課事務との連携が悪いため、それぞれの言うことが違い、非常に流れも悪く、病院へ来てみると話が違っていた!!ということが度々発生。
これは、一番最初にここの病院へ足を踏み入れた時に、いみじくも感じていたことが現実となったということ。
おかげで、2日続けて高額なCT検査を行うことになったり、事務からも必要な連絡が当日の朝、もう病院へ行くために家を出た後の時間帯に家電へ連絡をしてくるといったことがあり、本人との意思疎通よりも電話をかけたという事実だけで、ご自分の仕事の義務を果たしたという主張をされるということも発生。

実は、これはほんの一部のことで、細かいことを言えばキリがなく、ここまでにも色んなことでお世話になっているという立場から、ずっと首をかしげながらも我慢を続けてきていたという経緯がある。
ただ、これは患者と病院ということのくくりだけではなく、もはや普通に社会人としてどうか?というレベルにも達してきたため、ついに家内がキレて、病院へ苦情として連絡。

すぐに院長から謝罪の連絡があり、事実関係を調べられていらっしゃったようで、病院側の不手際のお詫びを伝えられる。
そこで驚いたことに、なんと!!このドタバタの元でもある担当医が退職するということがここで判明。
前回、対面したのが最後だったということである。
家内が驚くと、院長も「お伝えしていなかったんですか・・・・・」と絶句。
「この後は、後任に責任を持って担当させますので・・・・」と、ものすごく丁寧にお話をいただいたため、とりあえず私達も「今後ともよろしくお願いいたします」ということで落着。

この件は、このブログに載せるべきかどうかはものすごく迷ったが、『追い詰められた末期がん患者とその家族のクレーマー』という誤解を恐れることなく、やはり起きたことは起きたこととして、事実は載せておこうと決断。
当然、関係者に必要以上の迷惑がかからぬよう、表現については配慮しつつ、客観的な視点からの事実を記することにした。
これは、やはり患者と医療サイドの関係として、どうしても患者は弱者であるということが背景にある。
基本的に患者は、言われることに従うしかないし、医療費についても実際の請求と実際の体感に差があっても異の唱えようもない。
もちろん、その病気の性質も専門的見地が高くなればなるほど、患者は無力である。
しかし、ここは冷静になる必要があり、お世話になっているからといって、人としての存在感まで失うものでもない
患者としては、どんなに相性や感覚的な不一致があったとしても、その技量やサービスにはある種の信頼をもってお願いをしている。
それをふまえて、一般常識の観点を失うことなく、時として感じたことへの意見を主張するということは、私はこれも患者としての大事な闘病の一部なのだとも思う。
私はこの病気によって、様々な面で色々な分野への感謝の念が新たに生まれた。
もちろん、医療関係者にも心温まるほどの恩恵も受けている。
ただ、その想いは、それはそれとして大事にしつつも、理不尽と感じることにはモノを言う勇気も必要だ、ということを今回学ばせてもらった。

ちなみに、これ以降のHW病院との関係は極めて良好であり、後任のA医師には、KY病院のM医師とはまた違った方向から大変お世話にもなっている。
現在も信頼のおける医師ということで、いつも大変、感謝の気持ちでお付き合いをさせていただいている。
また、この病院の心あるスタッフたちの名誉のために、温熱治療室や処置室のスタッフさん達や看護師といった、現場サイドの方々は、すごくていねいで配慮の行き届いたサービスをされているということだけは忘れずにお伝えしておきたい。
プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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