2018年のスタート!!

2018年1月12日(金)のこと。
2018年分として初投稿。
いよいよ、私の投稿も今年分に追い着いてきた。
実はこの年、相も変わらず色々なことが起きてくる。
でも、それはまだ少し先の話。

今回の年末年始はなんとか無事に過ごせた。
昨年は、投稿の記事には上げてなかったが、初詣に行って高熱を出し、3~4日寝込むという事態に。
その間、食欲もなく、一時的だが非常に不安定な状態に陥る。
さらに一昨年は、激しい腹痛により、夜間急病センターに駆け込むという騒動があった。
そういう意味では、色々と不安を抱えたままではあるものの、今年は平穏な年越しが出来たかというところ。

さて、今年初の定期検査。
今回はなんと嬉しいお告げが・・・・・・・。
まずは、腫瘍マーカー。
M医師曰く「今回、かなり下がっているので、どうひいき目にみても、これは抗がん剤が効いていると思ってもいいでしょう」とのこと。
やった・・・・・・。
しかし、それにしても、この独特の言い回し・・・・・・。

私にとっては残された最後の選択でもあったのだが、ここにきてなんとか功を奏しているようである。
またしても、苦境の中から光明を見出した感じ。
M医師も心なしか機嫌もよくて、この日は結構、よくお話になる。

さらに、血糖値調整の自己注射も、状態が良いので、本日から中止するということに。
おぉ・・・・・・・・。
これも、ありがたい。
あれだけガンガン食べているのに、血糖値も正常に戻っていて安定しているとのこと。
自己注射も確かに慣れてくれば、そんなに苦痛なことでもないのだが、面倒といえば面倒で、その作業が一つ減るだけでもうれしいことにはかわりない。
一応、間質性肺炎の件については、これで完全に一区切りついたというところ。

ただ、油断は禁物ということで、手洗いうがいの徹底と、血糖値もまた上がってくるようであれば再開もあり得るので、器具一式は保管しておくようにとのこと。
いやいや、それでもありがたいこと。

私は、ことこの病気に関しては、非常にしぶとい運の持ち主なのかもしれない。
幼少期から青年期にかけて、私はおせじにも良運に恵まれていたとはいえなかった人生でもあったため、その分の貯金がここにきて顔を出しているのであろうか。
なんにしても感謝である。

しかし・・・・・・。
さすがにここにきて、抗がん剤の副作用らしきものが明白になってきた。
顔色がくすむのと、爪が白くなるという色素の変化は前にもお伝えした通り。
でも、最近は爪の一部分に黒みが出てきたのである。
これは、ネット情報で見られる、エスワンタイホウの副作用と言われる症状が、やっと私にも出てきたというところか。
それと、時節柄のこともあろうかと思われるが、手がカサカサになりひび割れも生じてきた。
結構、酷いあかぎれのような症状も見られるため、ビソフテンローション0.3% 50gという塗り薬を処方される。
私は普段、あまり水をいじる方でもないし、こんな症状は今までの生涯で初めてのこと。

<ビーソフテンローション>




















さらにもう一つ、結構これは深刻・・・・・・。
味覚障害が出てきた。
これは、あの強烈な点滴の抗がん剤の時でさえ、出てこなかった症状。
具体的には、和風だし、醤油、味噌といった素材に微妙な嫌な甘みを感じてしまうのだ。
一緒に食べている家内に聞くと、どうやら私だけが感じているよう。
家食・外食問わずに感じる。
そのため、和食全般がおいしくなくなってしまった。
煮物・煮魚類に始まり、私の好きな、そば・ラーメンも同様。

幸いにも、食欲が減退してしまうほどのものではないが、食事の楽しみが奪われてしまうのは残念なところ。
まぁ、今のところ、我慢して食べてはいるのだが。
ただ、不思議と洋食には今のところ影響はない。
このままの状態で済むのか、もっともっと症状が進んでしまうのかはわからない。

年明け早々、少し明るい兆しも見えてきたが、それに代わる代償も、今回の内服抗がん剤は要求してくるようだ。
点滴の抗がん剤よりは、効き目は薄いとも言われているが、私の場合、体への負担はこちらの方があるみたい。
まぁ、少し胸をなでおろしながらということでもあるが、しばらく様子を見ていこうということに。
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2017年最後の投稿!!

2017年12月22日(金)のこと。
この日はいつもの定期検査に加えてCTの撮影。
ここのところ、3週間ごとの診察サイクル。

ここ最近、あまり投稿に載せてはいないけれども、実はH病院の温熱治療は相変わらず続けている。
あの7・8月の入院期間はさすがにお休みしていたが、退院してすぐに、時々休む日もあるがほぼ毎週、温熱治療を再開している。
効き目のほどは神のみぞ知るといったところだが、私の治療ルーチンとしては固定化してきている。

さて、この日の血液検査とCT撮影を終えて診察。
まずCT撮影では、特に腫瘍が大きくなっているとかの変化はなし。
一応は、小康状態に見えるとのこと。
肝臓・腎機能も問題なし。
血糖値も安定。
肺もきれいになっているとのことで、この日、いよいよステロイド薬のプレドニンがストップとなった。
やった、これでやっと肺炎の治療からは解放された。
ひとつ片付いたという感じである。
しかし、油断しないようにとの注意も添えられる。
ただ、血糖値調整の自己注射は、まだしばらく継続。
でも、明日からは4単位でとのことで、インシュリンの量は減らされる。

が・・・・・・。
一番気になっている、腫瘍マーカーについては、まったく何も言ってくれず。
まぁ、今は何とも言えないのかもしれないが、一応、生き死にのことを発言したのは、このM医師が張本人なのだ。
なにか一言くらいはないのか・・・・とも思うが、そこはあまり考えないことにした。
ここを意識しちゃうと、ストレスになりそう。
この先生のこの態度は昨日今日始まったことではないし、私も付き合い始めてかれこれ2年目を迎える。
悪気もなく、天然なんだと理解することにした。

また、症状的にも、さすがに悪くなっていたら何か言うだろうし、前回の診察では少し下がっているとも言っていたのだ。
まぁ、経過を見るということなのだろう。

でも、この日が今年最後の診察。
思えば、最初にT病院にて、癌と余命を宣告されてから、昨日でちょうど丸2年が経過した。
あの初期の状態からすれば、こうして私が医師の態度に不満を覚えるほど元気なのは、奇跡以外の何物でもない。
本来なら、あのまま終焉を迎えても、なんら不思議ではない状態だったのだ。
こうして今があるのも、なんだかんだいっても、家内の存在は当然のことながらも、この医療機関の関係者たちのおかげでもあるのだ。
色々あるけれども、感謝の気持ちだけは忘れないようにしよう。

2017年分の投稿はこれにて最後。
不安は抱えたままだが、とりあえずノンビリはできそうなので、仕事もプライベートも、ゆっくりと今年1年を締めくくり、いい年越しをしたいものである。
2018年を元気に迎えるためにも・・・・・・。
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エスワンタイホウの効果か?

2017年12月1日(金)のこと。
さて、抗がん剤の内服薬を10月20(金)より、連続4週間続けて2週間休薬期間を設けた。
予定ではこの日の夕方から、また服用の再開で2クルー目に入るところ。

まずは、いつもの血液検査から。
特に肝臓は悪くもない。
腎機能は横這い。(M医師の癖なのか、いつもこういう言い方をするので、何がどう横ばいなのかは毎度のことながらわからない)
抗がん剤治療開始早々の頃は、よく白血球の減少とか貧血のことも言われていたけれども、ここのところ、このことについてはずっと何も言われず。

そして・・・・・・・。
なんと腫瘍マーカーが、少し下がっているとのこと。
おぉ・・・・・・・。
これは喜ばしい。
ただ、今日の下降傾向だけで、抗がん剤が効いているとも言い切れず、次回の検査結果で、尚、下がっていたら抗がん剤が効いていると判断してもいいとのことらしい。
まだ今日の状況だけでは喜べる状況でもないが、少しでもいい傾向が出ているのは、当然ながら悪い気はしない。

実は、ここ数か月間もの間、大きなメンタルへのダメージはないとはいうものの、今までの経過の中でも、結構大きく動揺はしたし、さすがに気持ちはへこんだ。
職場にも(上長のみ)このことの状況は伝えてあるし、いよいよ終息に向かうかもという伝え方をしている。
さらに家内へ、遺書の真似事のようなものまで、こっそりと用意を試みてみた。
しかし、さすがにまだ遺書の用意まではしんどくて(これはさすがに執筆途中で私の感情も崩壊寸前になる)、完成できずに私のPCのデスクトップに未完成のまま、今もなお貼り付いている。

それでも、日常はなんとか維持し、仕事もまだまだ全開モードで取り組めているし、夜眠れないとか、すべてのことにやけっぱちになるとかということにはなっていない。
やっぱり、根っこの所では、私の肝は座っているというか、鈍感というべきなのか、かなりしぶとく頑丈にできているようだ。

それがこの日、まだ小さな変化かもしれないが、腫瘍マーカーが下がっているという現状には、久々の明るい兆しに率直に喜びを感じることができた。
次回、逆に上がっていたらどうしようとも思わないでもないが、私の元々からのスタンス、ジタバタしても始まらないという気概を完全に取り戻せたようでもある。

さらに・・・・・。
肺炎のステロイド薬、プレドニンが1日0.5錠と減薬の指示も出た。
0.5錠って・・・・・。
いっそのこと辞めれないのかね・・・・・とも思うのだが、ここは慎重に指示に従おう。
血糖値調整の自己注射もまだ継続。
まぁ、全体的に見ても、良い方向に向かっているようだ。
危機に瀕しても、まだまだ私は立ち向かえるようでもある。
この数か月間の間での、久しぶりの朗報。
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内服薬を服用してみて・・・・・・・

2017年11月10日(金)のこと。
この日も、KY病院での定期健診。
10月初めの定期健診で、M医師から色々と血液検査の結果から、腫瘍マーカー上昇の傾向が見受けられ、これから悪くなっていくなどと言われてもいたものの、私自身の自覚症状はまったく変わらない。
特に食欲も落ちていないし、妙な倦怠感もない。
体重が落ちるわけでもなく、特段大きな痛みを感じることもない。
ただ、言われてからの精神的な影響もあるのか、時々、腹部にもたれるような不快感を感じることは発生する。
でも、これも一時的なものですぐに消えてなくなるという状況。

さて、前回の健診からの3週間後の今日(祝日の関係上、今回は3週間後に設定されている)、内服の抗がん剤、エスワンタイホウを飲み初めての3週目。
血液検査の数値については、特に問題がないのか何も言われない。
前回から服用開始のエスワンタイホウについて、副作用的なことがないかどうかの口頭確認のみ。
後は、「今まで通りお薬出しておきます」ということで、実にあっさりと診察は終了。
肺炎のステロイドプレドニンも特に変更なし。
血糖値調整の自己注射も現状のまま。
あれだけの生きるか死ぬかの説明があっての、治療経過の診察結果として、こんなもんなのだろうか・・・・・・・と、とぼとぼと病院を後にする。

内服の抗がん剤を飲んだ私の実感としては、確かに点滴の抗がん剤のように、投与日当日にドカンとくる、あの体への負担はない。
しかし、毎日飲み続けるがゆえの、ジワリジワリとした影響は感じられる。
まず、吐き気についてはない・・・・・といってもいいのかどうか微妙なところ。
というのは、これが吐き気なのかな?という食後の不快感は多少ある。
しかし、本当に吐きそう・・・・というほどのことでもない。
これもその昔、重度の二日酔いで鍛え上げていた賜物?でもあるのであろうか。

また、口内炎や下痢と言った症状もまったくない。
ただ、クスリを貰った時の注意書きにもあったように、色素の変化が出てきた。
一番、顕著なのは爪の色が真っ白になったこと。
ネットで調べると、逆に黒くなるという記述もあるが、私の場合は爪全体が、いかにも不健康そうな白色に変化してしまった。
さらに顔の側頭部側(頬の耳側寄り)の皮膚が黒くくすんできた。
これは、あまりにも目立つので、家内のシミ取り用の化粧品を拝借し、毎日塗っているがあまり効果がない。
変化と言えばこれくらいのことであろうか。

肝心の癌の抑制については、主治医もこの調子のため、今のところ皆目わからない。
とにかく今は、残された最後の手段をやり続けるのみということであろうか。
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再び闘いの決意!!

 2017年10月20日(金)のこと。
さて、前回の衝撃のお告げから2週間後の定期健診。
この日は、いつものただの健診と違って、私から答えを出さねばならない。

まずは、いつもの健診結果から。
採血の結果、肺炎の事後経過も、肝臓も腎機能もすべて問題はない様子。
今回はプレドニンの量は変わらずに現状維持のままのよう。
相変わらず血糖値の自己注射も依然として継続ということで、定期健診としての内容はつとめて無難に終了。
腫瘍マーカー以外の検査結果はすこぶる順調のようである。
自覚症状もこれといって変化もなく、食欲も普通にあるし、体の倦怠感も、どこにも痛みなどのかけらもない。
しかし、ここ最近、時々ではあるが一時的に腹部のあたりに違和感を感じるようになってはいる。

そして・・・・・・。
いよいよ、前回、投げかけられた今後の抗がん剤治療についての私の返答。

簡単にここまでの経緯をまとめると、点滴の抗がん剤の副作用による間質性肺炎が発症。
当面は、この間質性肺炎の治療に全力集中し、その間の抗がん剤治療はストップ。
抗がん剤の治療を停めていた期間はおよそ3か月。
ある程度、間質性肺炎も収まってきた時に、腫瘍マ-カーの上昇が認められる。
私の主治医、M医師としては、これからどんどん悪くなっていくという見込み。
間質性肺炎を起こした要因となる、点滴の抗がん剤はもう使用できず。
残された治療の手段は内服薬による抗がん剤のみと告げられる。

しかし、これもやってみないと効果があるかどうかもわからない。
何もせずに経過を見ていくという選択肢もあるにはあるが、もし何もしなければ余命は3カ月から半年とのこと
つまり、病気が発症した初期の状態、振出しに戻ってしまったということらしい。
「さて、どうしますか?」というのが前回の診断時の流れ。

実際のところ、私の中では「どうしますか?」もこうもない。
やれる手段があるなら、例えどんな副作用が待っていようとも、やれることはやる!!というのが、もともとの私の癌に向き合う対決姿勢。
ただし、全てにおいて過度な期待はせず、自然の流れに身を任せ、どんな結果でも甘んじて受け入れるつもりでもある。
それが死という終着点であっても、私は今のところ全く動じてはいない。
だから、毎日よく眠れるし、この癌に対しての直接的なストレスは一切ないといってもいいだろう。
癌細胞からしてみれば、その母体である私の肉体が消滅すれば共倒れである。
私は火葬場で道連れにしてやるつもりでいる。


そして、私の残された時間に関しては、こんな私でも、この世に存在した証を人のお役に立てるという形で、この世での私の役割を成就させたいと思っている。
このことは私の気力が衰えることがなく、成果を出せる状態が続く限り、たとえ体がボロボロになろうと突き進もうと思っている。
これこそが、私の闘病への原動力でもあり、私の背負った運命に対する、ささやかな抵抗でもある。

ただ・・・・・・・。
気になるのは残される家内のことだけ。
家内には、あまり命に関して消極的なことは言えない。
そのため、できることは無理のない範囲で、徹底的にやっていこうという意欲も一方ではある。
そのため、今回の内服薬の抗がん剤。
このことは、一番、最初の入院の時にも話は聞いていて、色々な選択肢の中の一つに入っていたはず。
闘う武器が全てなくなったわけではなし、私は即、受け入れる決意はしていた。
しかし、一応は家内にも、この現状と私の決意を耳に入れておく必要がある。
いったん持ち帰って、家内とも相談し、正式に受け入れる決意を固めた。

効果のほどはわからない。
たとえ、効果があったとしても、点滴の抗がん剤ほど効き目がないのも現実であろう。
でも、何もしないで、指を咥えているのも、私の性分ではない。
そしてこの日、この決意をM医師に伝えた。

M医師としては、この返事を待っていたかのように、「では、今日から処方しましょう」ということで、エスワンタイホウ配合OD25gという薬が出されることになった。
後で、ネットで調べると、この薬、もともとはテイーエスワンという薬のジェネリック薬のよう。
この薬、結構な劇薬のようで、その取扱いは普通の薬とは全く違う。
看護師さんからも定量の服用であることの注意を厳重に受け、薬を受け取る薬剤師さんからも何やら難しい説明をされる。

そして以下のようなカードを手渡される。
《表面》《裏面》









よほどの取り扱いの注意が必要なのか、別紙で飲み方や副作用についての説明書まで手渡される。
特に、このフッ化ピリミジンとかいう舌を噛みそうな系統の薬との併用は厳禁のよう。
まぁ、劇薬と考えてもいいのであろうか。
我が家にはもう乳幼児もいないし、そういう来客者もおそらくいないだろう。
ただ気をつけるべきは、わんこ達であろうか。
彼女(2頭とも♀のため)らは、落ちているものは何でも口に入れる。
つい、うっかりと、薬をポロリと落として、それをわんこ達が口にでも入れようものなら・・・・・・。
結構、大変なことになりそう。
これはかなり気をつけなければならない。

取りあえずは癌と闘う、次なる武器の入手は完了。
どれほどの効果があるのか、どれほどの副作用があるのかはわからないが、さっそく今晩から服用開始。
飲み方は朝夕2錠、4週間続けて2週間休薬期間をあけて、また4週間飲み続けて・・・・・という繰り返しのサイクル。
まずは、やってみるということに。

そうそう、この日、もう一つ特筆すべきことが。
それは、前から少し気になっているM医師の対応姿勢。
言うことは、結構厳しい現実も淡々と言う。
それはいい。
むしろ私はそれを良しとする。
しかし、それにともなう細かいことが、こちらから聞かない限りは何も言ってくれない。
そして、このM医師の風貌や雰囲気が、気軽に質問できる雰囲気でもない。
これも、まぁ・・・・・・いい。
人格まではせめることもできない。
やることはやってくれているので、それなりの感謝はある。

でも、今回のことでも、ただ腫瘍マーカーが上がったということを口頭で伝えるのみで、具体的にどうなのかという資料の一つもない。
私も、大きく状況が変われば職場の人も含めて、色々な方々に報告の義務もあると思っている。
それが、ただの口頭のみの状況報告では、まったく説得力がない。
さりとて、どんな資料があるのかもわからないし、とりあえずはM医師が眺めているPC画面の腫瘍マーカーグラフを印刷してもらえないかとお願いしてみた。
やや、面倒くさそうに、「わかりました~」といって手渡されたのが以下の2種類のグラフ。

《2016.1~2016.10までの偏移グラフ》《2017.1~2017.9までの偏移グラフ》










本当にPC画面のハードコピーだ。
ちゃんとした資料ではない。
でも推移がわかるので、これでも私は良しとした。

診察を終えて、外の待合でじっくり見て、改めてびっくり。
腫瘍マーカー上がっているのは、なんとこの年2017年の8月からではないか!!
まぁ、上がってもすぐに下がるかもと思って黙っていたのかもしれないが、結果論で言えば2か月前から悪くなっていたということ。
そして、前回「上昇の兆しが見えます・・・・」という説明だったが、このグラフの角度を見ると、ちょっとどころではないのがわかる。
正直、私は驚愕した・・・・・・・・。
まぁ、こういうショックを与えないためにも、あえて、M医師は積極的に情報を出さないとう見方もできる。
患者自身があまり数値に神経質になってしまうのも、確かに良くないことというのも理解できる。

ただ、このM医師の振る舞いを、いくら善解釈しようとしても、やはり無理が生じてくる。
それは、この2つのグラフをよく見ると、縦軸の単位が違うのだ。
つまり、上昇傾向を見せるグラフは前のグラフの拡大版だということがわかる。
これも、よく見ないとわからない。
どうしても、視覚的にグラフの角度の方が印象に残る。
こういうことも一切何も説明もしないで、ただ機械的にサッと手渡すだけ。

これは、忙しいから・・・・という理由では済まされない、対応の脆弱さを感じてしまう。
医師としての判断は間違ってはいないのだろうけれど、対人スキルにはかなり問題があるように見受けられる。
これはこういう人だとあきらめるしかないのだろうか・・・・・・・。
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2度目の余命宣告!!すべては振り出しに!!

2017年10月6日(金)のこと。
この日もいつもの定期健診。
先日の腹痛での緊急通院については、確認のみで詳細にはまったく触れられず。
相変わらず肺炎の経過は良好で、例のプレドニンはさらにさらに減薬。
1日1回、1錠の服用となる。
肝臓の数値も悪くなく、腎機能も横ばいで、まぁまぁとのこと。

しかし・・・・・・・。
この日、いつもと違う展開が・・・・・・。

それは腫瘍マーカー。
いつものM医師、表情をまったく変えずに「腫瘍マーカーが上昇の兆しがみられます・・・・」とのことから。
そして、「おそらく、今後はこのまま上昇は続き、悪くなっていくものと思われます」とのこと。
「えっ!!」と私は一瞬にして固まる

ここまで肺炎の経過は良好で、私も自覚症状が何もないため、癌については気にはなっていたものの、すっかり安心しきっていた。
それが、この日突然の、この通告・・・・・・・。
まるで、改めて癌の告知をされたような感じでもある。

「今後、厳しい展開が予想され、この後、残す手段は内服の抗がん剤しか手はありません」と続く。
今までの点滴の抗がん剤については、この6月に腎臓への負担で、2種類使用していた抗がん剤を1種類に減らしている。
そして、この間質性肺炎により、その6月末頃を最後に、抗がん剤の投与は全くしていない状態が続いてもいるのだ。
それは、いったん肺炎を起こしてしまうと、その元凶となる抗がん剤はもう使えないということで、その後も今日に至るまでは、かれこれ3か月近く、ずっと抗がん剤の投与はしていないのである。
M医師からもまずは、間質性肺炎を抑えてからと言われてもいた。

さらに、M医師からは「今までの抗がん剤(点滴)は効いていたけれども、この内服の場合は、どれだけの効果があるのかわかりません。また、副作用として吐き気や食欲不振、そして確率は低いけれど、また間質性肺炎を引き起こす可能性もあります。今度、間質性肺炎になると、2度目は致命的になるでしょう」とのこと。

実に淡々と事務的に会話を続ける。
半分、脅されてもいるような感じでもあるため、私はまだ固まったまま。
「このまま何もしないで経過を見るという選択もあります」と話は続き、「どうしますか?」とのこと。
このまま経過を見るという選択だとどうなるかを問うと、「一般的には、3か月から半年・・・・・」と余命のことをやんわりと。
私が驚いた表情を見せると、「もともとの状態が状態だったので、ここにきて振り出しに戻ったということになります」ということで、今後の内服を使用するかどうかの検討をして欲しいということで話は終わる。

正直なところ、その言葉を聞き、まだ私の体は全身硬直はしたものの、内心「ハハハ・・・・・」と笑ってしまう
ここにきて、また余命宣告か・・・・・・・と。
生涯のうちに、2度も余命宣告をされるって、そうそうないことでもあろう。

それにしても、このM医師、心というものはないのだろうか・・・・・・・・。
確かに、事実関係だけなら、誠におっしゃる通りだろう。
しかし、私も、ここまで抗がん剤治療や温熱療法、自宅での民間療法でがんばってもきている。
これだけデリケートな状況において、このM医師の口上には、「一番、最初の時に言ったでしょ!」というスタンスだけが垣間見られ、「たいへん、お気の毒ですが・・・・」という姿勢がないのである。
もう少し話の展開の仕方もあるのではなかろうかと、私もカウンセラーとしての有資格者でもあるし、人と向き合う仕事に日々勤めている身でもある。

私が、今までのここの治療方針とこの現状に対して、糾弾でもすると恐れたのであろうか?
私としては、ここのスタッフ全員含めて、ここまで命を引っ張ってもらったことへの感謝こそあれ、疑念や不満などありようもない。
自分だったら、もう少し話の伝え方に気を配るかな・・・・とは思うところ。

だが、ここでM医師のことをどうこうと考えていてもしようがない。
実際のところの私の決断としては、その内服薬を使用していく選択の一択の即断ではあったものの、一応、この場では「検討させてください、家族と相談します」と答えておいた。

どうやら・・・・。
私も、ここしばらくは能天気な状態が続いていたけれども、ここにきて急にまたシビアな展開を迎えてしまったようである。
まぁ、末期癌患者としては、当然のことでもあろうし、改めて現実を突きつけられたということ。
確かに私の病気は癌なのである。
それも末期の。
ここからが本当の闘いが始まるのかもしれないと思い直す。

ただ・・・・・・。
家内になんて伝えようかな・・・・・・・・。
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間質性肺炎、その後の経過・・・・・・・

2017年8月25日(金)から同年9月26日(火)までのこと。
さてさて、間質性肺炎のあの入院から無事退院を迎え、仕事にも復帰しなんとか日常を取り戻した。
その後は、今まで通り外来での経過観察となる。

まず、入院時から予定していた8月25日(金)がやってきた。
肺炎の経過は良好のようで、ステロイドの薬、プレドニンを朝2錠、昼1錠と、1錠分の減薬。
少しづつ減らして、最後は止める方向に持って行くとのこと。
ステロイドもあまり長く摂取し続けるのもあまり良くないということらしい。
ただ、肺のCT写真を見せてもらうと、まだまだ肺に白い細かい影が見たくさん見てとれる。
少しづつ良くなっているとはいえ、まだまだ油断がならないようで、手洗いとうがいの励行を勧められる。

その次の診察は2週間後の9月8日(金)のこと。
またまた経過もよく、例のプレドニンはさらに1錠の減薬。
朝1錠、昼1錠ということに。
その他の状態は横ばいで特に異常はないとのこと。
ただ、インシュリンの自己注射はまだまだ継続。

さらに2週間後の9月22日(金)の定期健診。
この日も、特に問題もなく、プレドニンがまたまた減薬され、1日1回、朝の1.5錠だけになった。
間質性肺炎の事後経過は順調のようである。
他のことについては、何も言われず、いつもの処方されて終わり。

でも、ちょっと・・・・・・・。
癌の方も心配なんだけれども・・・・・・・・。
このM医師、相変わらずこちらが何も言わないと、実に淡々と仕事をする。
まぁ、いいけど・・・・・・・。

しかし、週明けの9月25日(月)に、突如として腹痛発生。
場所的には十二指腸辺りで、胆嚢や肝臓のあたりとはどうも違うみたい。
耐えられぬ痛みではないが、気になるといえば気になる。
食欲は普通にあって、食べられないことはない。

でもあまりに気になるため、翌日、いつもと違って飛び込みでK病院へ行ってみることにした。
いつもの曜日ではないため、医師はあのM医師ではなく初老のKという医師。
この先生の見立てでは癌とは関係がなく、急に腸が収縮したのではないか?ということで専用の痛み止めチアトン10mgを処方された。
昨日痛みが発生した時は、自己判断で今までに貰っていた例のカロナールを使用していたが、この薬はこの症状にはもっといいのだそう。
思えば、癌と診断される数か月前に夜中に腹痛でこの病院に来たことがあった。
その時は急性腸炎ということで、一過性のものであったが、今回の痛みはその時とちょっと似ているといえば似ている。
この薬が効いたのか、少し経つとこの腹痛は収まり、また平和な?普通の日常に戻る。
結果として、正味、1日だけの症状で、癌とも肺炎とも関係がなかったのだが、やはりちょっとの変化には敏感になってしまう。
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ひと月ぶりの出勤!!

2017年8月18日(金)のこと。
この日ようやく出勤。
ただ、体が鈍りきっている(遊びまわるには元気なのだけれども)ので、少し大事を取って、この日は半日だけの出勤とした。
多分、職場に出てしまえば、何ということはないのだが、あの混雑の通勤を考えると、ちょっとひるんでしまう。
それでも、なんとか通勤については、人混みをうまくかわして無事クリア。

職場に着くなり、あちこちから、色々と皆さんから声をかけられる。
別の階の普段あまり付き合いのない人まで。
私が思っているより、いきなりの入院一か月というのは、それなりに皆さんを驚かせていたようである。
思わず恐縮する。

そして、朝礼での皆さまへのご挨拶から始まり、面会に来ていただいた方々へのお礼。
実は当初、のしをどうしようか?と悩んだのだけれども、私の病気の性質上『快気祝い』というのもどうかとも思い、『快気内祝い』というのも末期癌ということを考えると、どうにもしっくりこない。
色々と調べた挙句、『お見舞い御礼』とした。

ひととおり、ご挨拶が終わったら、今度は自分のデスクに戻り、休暇届け等の事務的な手続き。
書くものがいっぱいあるし、具体的な日にちを思い出すのにカレンダーとにらめっこ。
色々な書類を書かねばならない。

そして、自分の業務の整理と調整。
たまたまこの時期、私お抱えの予約者がいなかったこともあって、固定のお客様には大きな迷惑は掛からなかった。
しかし、正式なお抱えの方々以外にも気になる人達がいる。
その後の追跡調査や、色々と状況の変化について、後追いながらも一か月分の情報をサーチする。
その中で、私が何か打つ手があるのかという検討と同時に、その打つ手の手段の準備を整える。

でも、今日のところはここまで。
いや、ここまでというか、あっという間に時間が経過してしまったのだ。
気持ちは、はやる部分もあるのだが、取りあえず今日は体ならしと、状況の確認とともに業務のスタンバイということにした。
ここは割り切らないと、ズルズルとフルタイムいてしまうだろう。
そして、明日・明後日の週末をまた休ませてもらって、来週月曜から私の業務の本格始動と自分に言い聞かせる。
頭も体も久しぶりの仕事モードに切り替わると、ちょっと体調がよくなったような気もする。
やっぱり私には、この仕事も大事な治療薬のようである。
こういう環境があるのは、本当にありがたいこと。
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退院後の自宅療養

2017年8月15日(火)~8月17日(木)までのこと。
無事、昨日に退院。

記載を忘れていたが、この入院期間中に使用した、いつも服用している内服薬以外の薬品(おもに点滴)は以下の通り。
メロベン点滴用キット0.5g
プレドニン10mg(水溶性)
ゾシン静注用4.5g
ヒューマリンR注100単位/ml

といったもの。
どの時点で何を使用していたのかまではわからないが、お薬手帳にはこういう記述がなされていた。

さて、15日~17日までのこの期間はちょうどお盆休みを取得していたこともあり、退院日からは、しばし自宅待機の期間。
でも、自宅待機とはいいながらも、15日(火)には帰省していた息子が東京へ戻る日なので、新千歳空港までの見送り。
その間、あちこちで色々のものを食べ漁る。

8月16日(水)
この日も同様で、自宅にじっとなどしていられるわけがない。
やはり色々と出かけて歩き回った。
特に職場や病院に面会に来てくれた人達へのお返し物も見定めておかねばならない。
結構、遊んでばかりもいられず忙しい。
もはや、自宅でのんびりリハビリとかの気分は、どこかへ吹き飛んでしまった。

8月17日(木)
この日は、家内が仕事に行く日なので、さすがに私も大人しく家でゆっくりとした。
退院後初めて、丸一日、自分の部屋で落ち着くわけで、色々と片付けるものや、たまっていたメールを整理したりと、意外とやることはある。
地味に忙しく過ごしているうちに、なんだかあっという間に一日が過ぎてしまった。

退院後の体調については、すこぶる快調。
相変わらず、ステロイドは服用しなければならないため、血糖値調整の自己注射トレシーバも毎日打っている。
もうこの辺は手慣れたものになってきた。
今、振り返ると、あの一か月の入院はなんだったんだろうと思い起こされる。
間質性肺炎
病気としては、大変怖い病気らしい。
でも、あくまで私の場合に関してなのだが、なんだか、あまりよくわからなかったというのが正直なところ。
唯一、謎の高熱を出して、ヒヤリとしたくらいで、それも正味2~3日でケリがついてしまった。

そしてさらに、肝心の癌のほうについては、いまや放置状態。
どうなっていくのだろう。
まぁ、次の外来は8月25日(金)。
この時には、何かわかるかもしれない。

明日は、いよいよ職場復帰。
今晩は、早めに眠るとしよう。
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ジャンル : 心と身体

間質性肺炎入院≪怪奇!!番外編≫

 2017年8月9日(水)のこと。
実は、この話・・・・・・・・。
投稿すべきかどうか迷っていた。
それは闘病そのものの本線とは若干、筋から外れてしまうから。

しかし、この間質性肺炎での入院中のことでもあり、まさに病室の中で起きたことなので、起きたことをありのままに・・・・という私のブログポリシーを貫ぬかせていただくことにした。
もったいつけるのはよして、ズバリ結論から述べよう。

それは、心霊体験!!
・・・・・・のようなもの?

『・・・・・のようなもの?』というのは、私自身がそれがはっきりと心霊体験という確証が持てないからのこと。
ただ、その体験がいかに闘病のさなかの精神状態であるということや、身体への何がしかの負担があったのでは?と考えても、ちょっと普通の現象ではない、なかなかに奇異な体験をしたのである。
私自身、この状況下にあっても、それほどメンタル面も参っていないし、体力も持て余しているということは、今までの投稿の中でも再三にわたってお伝えしているところ。
そんな中で、ごくごく普通の日常を終えようとしたこの日の夜に、ちょっとなんとも言えない不思議な体験をしたのである。

では・・・・・。
まずは、その日に起きたことを再現してみよう。

この日、退院日を目前とした週の真ん中の水曜日。
体調的にも特に変わったこともない日で、しがない一日を過ごした平凡な病院生活の日常の夜のこと。
いつものようにテレビのニュース番組を見て、そろそろ寝ようかと、部屋の電気を消したのが23:00を少し過ぎた頃。
ちなみに、病院の消灯時間は21:00と決められているが、私は個室のためか、どの看護師さんもその時間を過ぎても何も言わず大目に見てもらっている。
そして、私の就寝時はすべての照明を完全に消して、真っ暗の状態にしているのが常。

さて寝ようと、ウトウトと眠りに着くころ、それは突然やって来た・・・・・・・・
まだ、寝ているのか起きているかわからない睡眠状態の中(レム睡眠?)、ベッドの足元の方に一人のご老人の姿が現れる
ここは個室なのに「だっ、だれ!?」と、この上もなく驚いた一方で、意外と私は冷静さもあって、その状態はしっかりと観察できた。
割と、小振りの男性で着ているものは病衣ではなく、いかにもといった水色の縞模様のパジャマ。
その表情は何か思い詰めたような表情で堅い。
お人柄?としてはどこにでもいそうな、人の良さそうなご老人で、こんな場面でなかったら気軽に話でもできそうな感じの人。
しかし・・・・・・・。
私の方を興味深そうな目をして見つめていたかと思うと、徐々に私の頭の方に近寄って来て、私の上半身に覆いかぶさるような状況に・・・・・・・・。

ここまで来ると、さすがに私はびびった・・・・・・・・・。
「うわぁ!!」というような声を出して叫び、手で払ったようで枕もとの台に載せていたプラスチック製の箸箱を床に叩き落としてしまった。
その箸箱が床にガッシャ~ンと落ちた時の音で、私の目も意識もはっきりと覚醒したという感じ。
当然、もう目の前にはそのご老人はいない。

いったい・・・・なんなんだ!!
時計を見るとまだ23:10くらいの時刻だったと思う。
夢というには、あまりにも感覚が違い過ぎる。
すぐに電気をつけてみると、本当に箸箱は床に落ちており蓋が外れてもいる。
そして、その周りの物も乱れていた。
物理的な状況は完全に現実のことのよう。
私の全身は身構えていたせいか硬直しており、大声を出したことも私自身の喉の様子からしてもどうも事実であると断定できそう。

うむむむむ・・・・・・。
大変びっくりはしたが、不思議と怖いという感じはあまりない。
それは余命を宣告されて、死を覚悟している者の身ということもあるからなのだろうか。
ただただ驚いたのと、なにがなんだかわからないといった混乱の状態と言った方が正しいのかもしれない。

少し冷静になってくると、今のはこの病室でお亡くなりになった方の霊なのであろうか?とも思えてきた。
実際のところ、私は霊感などというものは持ち合わせてはいない・・・・・・と思う。
そして霊の存在については、否定派ではないと言い切れるが、さりとて積極的な肯定派でもない。
『あるんだろうかねぇ・・・・・・』という程度の認識。

今までの不思議体験として、若い頃にはよく金縛りにあっていた。
その金縛りの時によく、幻覚のようなものを見ていることが何度かある。
幻覚のない金縛りも数多くあったが(中高年世代になると一切なくなったが)、今でも忘れられない幻覚をともなう体験が二つほどある。

その一つ目。
それは、疲れていて、夕食後にうたた寝をした時、金縛りと同時に部屋の中に黒い影が現れ、すぅ~っと寄って来て、頭の所でかがまれて目が覚めたこと。
その時、部屋の電気は点灯していた状態でのことで、視覚的に見えていたものは部屋の配置も小物類もまったくそのまんま。
私は必死でこたつの足を握りしめていて、目が覚めると本当に、こたつの足を握りしめていたということがある。

もう一つは、久しぶりの帰省で実家に帰っていた時のこと。
その日の前夜に飲み過ぎた二日酔いの朝。
朝起きたものの、少々しんどいので再びゴロ寝をした時、浅い眠りに入った模様。
そのうつろな瞬間、窓の外で小さい子供の集団がワイワイ騒いでいる声が聞こえてきた。
「うるさいなぁ・・・・・」と思っていると、その後すぐに金縛り状態になり、そのうちその集団が私の方に駆け寄って来て、大勢の子供たちに踏まれるかという状況に。
でも、ここは2階で、私は家の中にいる・・・・・・。
それでも、足音は近づいてきて、いよいよやばいなというところで、目が覚めた。
時間にして、朝の10:00ちょっと過ぎの頃であったろうか。

この2つの体験はもう20数年たった今でも、こうして明瞭に思い起こせるくらい、鮮明に記憶に残っている。
やはり夢とは明らかに違うのだ。
しかし、私はこの体験だけでは霊の仕業とは思わなかった。
最初はやや怖さはあったものの、この後も金縛りは継続して起こり、その時はこれほど強烈な幻覚は見なくなったが、金縛りになるにはある一定の傾向があるようにも思えてきたのだ。
そのうち、なるかな?という予想できるようになるのと、なりそうになると意識の上で回避できるようにもなったり、たまに面白がってそのままなすがままになったりと、結構、お気楽にこの現象をとらえていたのである。
これは霊とかなんとかというより、身体的な疲労度も関係しており、それになんらかの脳内の科学的なメカニズムが作用しているのではと思うようになったのである。

ただ、少しゾッとしたのは、その子供たちに踏まれる体験をした数日後に、祖母の家に行った時、私が生まれる前に流れてしまった子(水子)が数人いるという事実を聞かされたこと。
そして、私は一応長男であり、生まれる時にものすごい難産で苦労して出産したという母の話も思い出した。
これは、その因果関係を証明することはできないが、時はちょうどお盆でもあったし、あれは本来ならば私の兄・姉になるべき魂の集団だったのか?と、何かの不思議な巡り合わせなのかな・・・・とは思うところではあった。
もし、そうであるならば、私は無性にその兄・姉だったかもしれない人達に、会いたくて会いたくてたまらなくなったという覚えがある。

でも、今回のこの病室での出来事は、この過去に私なりに割り切っていた体験とは、少し様子が違う。
それは、現われたご老人の服装や表情、体形や動作等のデティールがしっかりとできているということ。
今までの金縛りで体験する幻覚の類は、はっきりとイメージを認識できることはなかったのだ。
う~ん・・・・・・・、まったくお会いしたこともないご老人の詳細を、ここまでリアルに創造することができるものなのであろうか。
そして、その私のリアクション自体、声を出して叫んだことや、実際に物を払いのけて叩き落してしまったという物理的な作用もともなっていること。
また、うまく文章では表現できないが、圧倒的に何かが感覚的に違うのである。

一体、これは何だったのだ・・・・・・。
でも、恐怖を感じているわけでもないので、少し落ち着いたら電気を消して再び就寝。
少しの間、眠りに着く前に考えたことが、そういえばここ数日間、この病室の内部でカタカタと妙な音がしていた。
しかし、ある日においては夜が明けて朝になり、看護師さんが出入りする状態でも、その音は続いていたので、まったく気にはしていなかった。
でも、音の発生原因はわからずじまいで、具体的にどこが鳴っているのかも特定できず。
あれは何かの予兆であったのか・・・・・・。

また、以前どこかで投稿していたとも思うが、私の実父は亡くなる少し前に、死神が来たと言っていた。
それは髪の長い、ずぶ濡れの白い着物を着た女性が布団の中に潜り込もうとしたとのこと。
気丈な父は、その女性がなぜか死神と直感し、蹴り上げてたたき出したとのこと。

さらに義父も亡くなる少し前に、実家の寝室の枕元に、お迎えの人たちが数人来て帰って行ったと話をしていたのを思い出す。
私の死期は近いのか?とも、一瞬、考えてもしまう。

ただ・・・・・・・・・・。
冒頭で、のようなもの・・・・・・・・・。
と、但し書きをつけた理由も明記しておきたい。
このままでは、現在入院中の方や、これから入院しようとしている方を、ただただ怖がらせて終わってしまうかもしれないので、そこは私の本意ではない。

この現象に一つだけ引っかかることがあるのだ。
それは、この入院期間中にはついぞ判明することもなく、退院後しばらく経ってから気が付いたこと。
実は、あの現象を一つの映像、ビジョンとしてとらえてみると、どこかで見たことがあるような気がすることに気が付いたのだ。
登場した、ご老人に関しては、確かに見ず知らずの初めての方なのだが、それはあのシチユェーションそのもののこと。
なかなか思い出せなかったが、やっと記憶の奥底から引きずり出せたのは、子供の頃に見たテレビの映像である。

おそらく、私と同世代くらいの方々には、すぐにピンと来ることかと思われるが、ちょうど私が子供の頃のテレビ事情として、お昼の時間帯にはワイドショーが放送されていた。
それも夏休み期間中は心霊特番が特集されていて、娯楽の少ない当時、それが放映される日は、よく友達同士で集まって食い入るように見ていたもの。
その中での再現フイルムに、今回と似たような場面がよく出てきていた。
ちょうど、この投稿上部に張り付けた写真画像のような(この画像は私が加工して作ったものです)色合いの中で、今回のような夜中の病室内でご老人(女性の場合もある)が現われてくるという構図。

この手の再現フイルムは結構、何度か放映されていたような気がしており、知らぬ間に私の脳内のどこかの引き出しに刷り込まれて格納されており、それが何かの拍子に引き出されてきたものではないのか?という仮説も成り立つことに気が付いたのである。
つまり、まだまだ解明されていない、人体のメカニズム上の現象で科学的な作用の現れなのではとも思えてきたのである。
それが故に、不思議な体験とは思うものの、私としてはこの体験・現象が心霊現象であると言い切れない所以ということ。

ただ・・・・・・・。
この仮説が正しいとしても、あそこまで詳細でリアルに認識できたあのご老人は一体誰なのだ?という疑問は解決しない・・・・・。
どなたか、この辺りにお詳しい方がいらっしゃったら、ぜひともご意見を伺いたいもの。
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プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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