KY病院の定期健診!!

 2018年10月19日(金)のこと。
状況は相変わらず・・・・・かな。
日々、例の倦怠感に悩まされている。
前の投稿で書き忘れていたが、10月14日(日)の朝から、あまりの私のこの体調のため、内服抗がん剤エスワンタイホウテイエスワン)の服用を、私の独断で中止した。
さすがにこの体調では、この薬の服用は無理と判断せざるを得ない。
この時ばかりは、KY病院のM医師の言ったこと、判断は正しかったのかと思った。

この状態での、およそ月一回のKY病院での定期健診。
今日のTS病院の放射線治療は、その後の午後になる。
この日は、ここ最近のこの体調のしんどさから、一日まるごとの有休扱いにさせてもらった。
さすがに、この状態での通院ダブルヘッダーは厳しい。

さて。
いつものように朝早くKY病院へ到着、7:45頃には受付完了。
採血を済ませて、診療待ち。
ここは、もう診察も形骸化している感じ。
確かに、今までのことには大変感謝もしているが、あの標準治療の終焉を告げられた後のM医師の態度では、もはや私には消化試合といった気分。

診察が始まる。
相変わらず、肝臓の状態は横ばいという表現で説明される。
毎度のことながら、何がどう横ばいなんだか皆目わからない。
血糖値は7.4とやや高め。
しかし、目くじらを立てるほどでもなく、今の栄養状態を考えると、気にせず食べた方がよいとのこと。
ひと月前の時と同じく、まだ塩分が足りないとのこと。
できるかぎり水分を摂ってとのこと。
体重も口頭で確認される。
私からは、現在の倦怠感のことについて、どうせ他院のことと思われるかもしれないが、必要最低限のことは、一応、報告しておく。
それでも、私の状態を危険な衰弱と感じたのか、「何かあったらすぐに言ってきてください」と、珍しく愁傷な言葉を聞く。

その後は、TS病院へ向かい、いつもの放射線治療に。
またしても、治療室付きの看護師Mさんに、泣きつくように状況報告。
しっかりと、状態を聞いてくれて、それでも治療は通常通り開始。
たまたま、この日は倦怠感もそう酷くはない日だったので、Mさんもいつもよりは安心していた様子。

これも、前の投稿で書き忘れたが、前回のTG医師の診察時には、やはり私の状況を診て、TG医師もなにやら迷いもあった様子。
でも、「後、2週間なので、このままがんばってみましょう」という言葉が出て、私もここまで来ての治療中止は、まったくもって本意ではないので、治療の継続に完全同意している。
正直、この闘病中で一番と言ってもよいほど、厳しい毎日を送る中、さすがの私も心も折れそうになる。
やはり、身体からくるダメージは、気持ち的にも確実に響いてくるということが、とてもよくわかった。

しかし・・・・・。
シンドイ時のピーク時は、どう考えても、もうこのまま終焉を迎えてしまのではとも思えてしまうのだ。
職場でも、普段、まず見せることのない、私のボロボロの姿を露呈してしまっている。
先が見えない。
もう、一か月後の自分が見えなくなってきている。

ただ・・・・・・・。
こんな終わり方はありえない。
私のイメージしている終焉の迎え方はこうではないのだ。
私のイメージする終焉は、こんな治療の副作用とか、肺炎のような合併症ではない。
やはり最後は癌と真っ向勝負し、とどめは癌に刺してもらいたい。
そして、何度も述べているように、私の体ごと火葬場で癌細胞を焼き尽くすのだ。
それでも、私の精神は消滅することなく、あの世で勝利の雄たけびを上げるのが、私の終焉のシナリオなのだ。
例え、肉体は滅んでも、精神は絶対に屈しない。

こう考え直すと、不思議に力も湧いてくる。

ここはTG医師の判断を信じるしかない。
それと、私の癌への対抗心と意地も少しは見せては行かねばならない。

とにかく・・・・・。
幸いにも今日の倦怠感は比較的軽い。
ただ、気持ちは少し疲れてもいるようだ。
この後は帰宅し、寝ることにしよう。
先月は、この二つの病院の掛け持ちの後に出勤していたが、さすがに今日はここのところの疲労を癒すことを最優先にする。
後は家に帰って寝るだけということからか、気分もかなり楽な気持ちで安定してきている。
また、周囲の景色の見え方が変わってきた。
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放射線治療(肝臓部)4~5週目、まさに試練!!

2018年10月10日(水)~同年10月17日(水)までのこと。
肝臓部の放射線治療、4週目と5週目をまとめてみた。
毎朝出勤前のTS病院への通院も、肺の時から考えると、ほぼひと月近く経過している。
通勤ラッシュピーク時の地下鉄も、あの試練の階段!!も、もう慣れたといえば、慣れてもきた。

しかし、体の倦怠感の症状が、さらに急速にひどくなってきている。
特に第5週目の頃となると、ほぼ毎日がこの倦怠感に悩まされる。
普通の体がだるいというのとは明らかに次元が違う。
もう、全身のエネルギーを奪われてしまったかのよう。
それでも、仕事は休まず毎日出勤。
仕事も始まってしまえば、なんとかなっており、2時間立ちっぱなしのセミナーなんかを担当しても何とかこなしている。

ただ、この症状がひどくなってきたきっかけは・・・・・。
この期間のとある日、放射線治療を終えて職場に着いてから、急にその倦怠感に襲われる。
ちょっと、今まででの中では最大規模。
さらに首から肩にかけて凝ったような感じになり、ガチガチに筋肉が堅くなってしまう。
こっ、これはなんだ・・・・・・。
なんとか仕事をこなして家に帰るが、すぐにマッサージ機に乗り、夕食も食べずに唸りながらもベッドに横になる。
その後、少し楽になり、お風呂にゆっくりと浸かるとさらに症状は軽くなり、寝る前には首から肩、背中じゅうにロイヒ壺膏を貼りまくった。

この日を境にして、単なる倦怠感のみならず、肩・背中・腰の凝りがセットになって症状として現れてくるようになる。
これは、かなり厳しい現実となった。
職場でもお客さんのいる時こそは、なんとかシャンとしていられるが、いなくなった途端、体を支えきれないほどの状態に。
隣の席の人も、私の病状の詳細は知らないにもかかわらず、「大丈夫?かなり辛いの?」と心配しだすほど。
傍から見ても、どうみても正常な状態ではないらしい。
街中での歩き方も超スローモーになり、歩いては立ち止まり、フラフラしていたり、とさながらゾンビのよう。

この状態での朝の通院と通勤。
かなりしんどいというのは、言うまでもない。
地下鉄の中でも、とにかく座わりたい。
吊革につかまって重い鞄を持ち、人混みにもみくちゃにされていると、倒れてしまいそうになる。
それは、地下鉄の専用席(札幌市では優先席ではなく専用席)に、堂々と座れるようにヘルプマークをもらうおうかと思ったほど。

でも、私自身の体の状態はこの状態なのだけれども、傍からの見た目は、とてもそうは見えないらしい。
黙っていると、一応はシャンとして見えるようなのだ。
おまけに体もでかいほう。
とりあえずは、辛くても混雑の中、立ったまま頑張っていた。
ヘルプマークも、「これはまだ早い・・・」と、なんとか手を付けずに耐える。
私の悪い癖で、この症状に対する私の意地が出てしまっている。

しかし・・・・・・。
この通勤を乗り越えた後は、あの試練の階段!!が待っている。
もう病院へ行くのを辞めて、引き返したくなることもしばし。
まるで、高齢者のように手すりにつかまって、一段一段、階段を踏みしめて上がる。
もう、悲鳴を上げそうだ。
上がり切ったら、バス待合スペースのベンチにへたり込み、しばらく休まないと、次の行動には転じられない。

その後は病院まで徒歩。
私は普段歩くのが早いほうなので、信号につかまらなければ、およそ7~8分で病院にたどり着く。
しかし、この頃の私は、おそらくこの倍の時間を要して歩いていたと思う。
病院職員と思われる人達が、さっそうと歩いているのを横目に、私のことを病人と思わない人は、朝からダラダラと「なんとやる気のない人なんだろう・・・」と思われていたに違いない。

そして、なんとか病院に到着。
毎朝の体調チェック表の『からだのだるさ』欄には、当然『ある』に印をつける日がほとんどとなる。
その後は、治療室で担当看護師さんから状況を確認される。

ここで、前にも述べた看護師さんのMさんと、Iさんの、献身的で親身な対応に心底癒される。
特に何ということはなく、状況を聞いてくれるだけなのだが、その私への向き合い方の真摯な姿勢に、この傷ついた私の心身の状況においては、このお二人がまるでオアシスと言ってもいい存在になる。
この2週間、IさんとMさんが一週ごとにこの部屋付きの担当であったからこそ、私はがんばれたのかもしれない。
人との向き合い方・・・・・・。
私も自分の仕事に置き換えて、この人達に今更ながら目を覚まされた思いでもある。

この4週目では10月10日、5週目では10月17日にTG医師の診察もあった。
いずれも、この状況は報告済みで、TG医師も認識しているところ。
ただ、毎度毎度の採血上の結果では、多少、肝臓の数値が下がることもあるが、治療に支障はなしということで、とりあえずこのまま継続して様子を見ていこうということに。
しかし、採血結果では、やはり腫瘍マーカーの数値は相変わらず上昇しているとのこと。
なぜか、この頃からTG医師も具体的な数値は口にしなくなる。
やはり、数値による、余計な心理的プレッシヤーをかけないためだろうか。

そして、食欲不振も進んでいるせいか、体重もまたさらに落ちてきた。
とうとう、体重も72~71kg台になる。
この食欲不振については、TG医師もやや心配はしている様子。

後からわかった話だが、この頃、TG医者は、私の入院の処置も考えていたとのこと。
ただ、私の仕事も含めて、私の日常生活を配慮してとのことで、なんとか気をつけながら治療を進めようと決断していたみたい。
私自身も自衛策として、10月14日からは栄養補給のため、市販ながらもプロティンを毎日牛乳に混ぜて飲むことを日課とした。
場合によっては、通販などで、もっと強烈なプロティンの使用も考えようかと。
とにかく、毎朝、目に見えぬ、まさに正真正銘の重い十字架を背負った私の姿を、まだしばらくは、あの界隈にさらし続けていくことになる。
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放射線治療(肝臓部)3週目!

2018年10月4日(木)のこと。
肝臓部への放射線治療を開始して3週目に入った。
放射線治療そのものについては、特に問題が無いように感じるのだが、体のだるさ・倦怠感が際立ってきた。
もちろん、毎日のことではないのだが、しんどい日が2~3日くらいに亘って続くことも。
以前も投稿したが、しんどい日は、とにかく病院まで通うのも一苦労。
平らな道路を歩く歩調も、罪人が重い十字架を背負わされているような状態で、誰の目にも健康な人間には見えないだろう。

それにともない、食欲もさらに落ちる。
今までは食欲が落ちたといっても、それぞれの量を減らし、何とか出されたものは食べていた。
しかし、今回は、出された物をすべて食べきれないことも珍しくなくなった。

その一因として、味覚障害。
以前よりも、より強くなったような気がする。
やはり和食がダメで、出汁の風味の強いものに敏感だ。
この味覚障害が食欲不振の原因の大部分なのかもしれない。

食べれないという時は、本当に体が受け付けない。
でも、空腹感が消失してしまっているわけでもないようなのだ。
この食べれないという状態から少したつと、なんだかお腹の方は物足りなさも感じてくる。
こういう時は果物や、無難なお菓子を食べてやり過ごすことが増えてきた。
まだ体重は、かろうじて73kg台を保っているが、時として72kg台になることもあり、このままだと減って行くのはあきらか。

単に肺の治療の時とは違うと思っていたけれども、もしかしたら治療部位の問題ではなく、肺・肝臓とも連続して放射線を浴びている(通算するとこの日で27日目)こと自体が問題なのかもしれない。
しかし、私自身のもうひとつの不安は、これが放射線治療の副作用によるものか、この治療中もなお上昇し続けている腫瘍マーカーが示す、癌の進み具合による影響なのかがわからない。
もし、後者の場合だと、この治療の効果や目的は達成されていないということになる。

さて、こういう状態での治療3週目。
体の状態は毎朝治療前に看護師さん達に報告している。
今日はTG医師の診察日。
採血は昨日実施。

たまたまこの日は、そんなに体調が辛い日でもない。
TG医師にも、ここ最近のこの体調の変化を報告。
私の不安である、放射線の副作用か癌の進行によるものかを尋ねてみたが、さすがにTG医師も即答は困難な様子。
とりあえず、採血の数値上は特に問題ないとのことなので、このまま続けて様子を見ましょうとのこと。

話は変わるが、家内がここ最近、癌治療の遺伝子治療のことを見つけた。
もし可能ならTG医師に聞いてみたら・・・・とのことだったが、話の流れ的にはTG医師に聞く内容ではないであろう。
この先生は、なんでも話しやすい先生だが、本業は放射線治療の専門医。
聞くなら、腫瘍内科の医師たちだろう。
そう思うとなかなか切り出せず。

とにかく、一日一日の治療を頑張ってみることに。
残すところ、あと18日。
どうやら、本格的に闘病らしくなってきたようである。
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近藤理論について・・・・・・

2018年10月放射線治療中(肝臓編)の頃のこと。
さて、今回は治療のことからはちょっと離れて、ちょうどこの期間のTS病院への通院中に読んでいた本のことについて。
それは、『がんは治療か、放置か 究極対決』という本。(以下画像)
帯に書かれた副題には『抗がん剤は本当に寿命を延ばすのか?健診、手術、放射線、緩和ケア』ともある。
《表紙》《裏表紙》



















特段、この対立構造のテーマに関心があったわけでもないけれど、末期癌患者で余命宣告を受けている身としては、目を通しておいてもいいかな・・・・・・という程度の関心で手に取ってみた次第。

そして、読み終わった後の感想を一言で言うと、『不快感』ということにつきるだろうか。
まず、私の立ち位置というかスタンスについては、癌治療を進めるべきか放置がよいのかということに関して言えば、そのどちらでもない。
私は、こんなことは、どちらかが正しいとかいう問題ではないと思っている。
ただ、私自身の病状に限って言えば、私は治療をしたことによっての今があるため、治療派が否定されるいわれはないという感情はある。
でも、治療を放置して生きながら得ている人もそのこと自体が事実だし、私のように治療を継続しながら生きながら得ている人もまたそのことが事実。
こんなことを、どこの誰が、どんな数値を使って、どんな意図でまとめたかもわからないデータで統計を出して、やいのやいのという議論には何の意味もない。
例え、統計的にどちらかが99%という結果であったとしても、残り1%の当事者にとっては、そのこと自体がまぎれもない事実なのだ。
そして、その1%が誰になるのかは誰にも分らないこと。
こういう前提がありながら、主義主張の違う人を論戦と称して本にまとめ上げることになんの意味があるのだろうか。
この本の企画意図を測りかねる。

この本の登場人物。
癌治療の放置派:近藤誠氏。
近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来所長。
癌の標準治療に敢然と異を唱え、早期発見→早期治療は無意味、無駄な手術はするな、抗がん剤は百害あって一利なし、結局、癌は放置するのが一番という主張の持ち主。
近藤理論と言われるこの説は医学界にも大きな波紋を呼び、反近藤理論、近藤否定論者も数多く出てきている。
氏はこれら反対論者に対して対論を求めてもいるが、いざ面と向かっての直接対決となると、大多数の反対論者が尻込みをしてしまうという事実もあるそう。
余談だが、私は名前が既にこの方の性格を現わしており、思わず新選組か?と思ってしまった。

癌治療派:林和彦氏。
東京医科大学がんセンター長。
この本の性質上、対立構図を煽るためか、癌治療肯定派のようにも見受けられるが、よくよく主張を読み取って行くと、決してやみくもの積極推進派ではなく、癌患者の状況に応じて慎重に手法を選びながら、癌治療を否定することなく最善策を選択しているという見方が正しいと言えよう。
現代の医療基準としては、まったく平均的な普通の考え方の持ち主。

Amazonなんかでのこの本のレビューを見ると、結構、近藤氏を支持しているレビューが多い。
論理的であるとか、説得力があるとかといった見方である。
でも、癌患者当事者の私からすると、それは近藤氏の言葉の圧が強いというだけで、その主張が正しく現状を現わしているとは到底思えない。
所詮、日和見立場の人たちの、この本を表面的に見ただけの読後感であろうか。

私の感想としては、まず近藤氏の主張には大いに疑問がある。
もし、この近藤氏の主張が正しいとするのなら、率直に言うと、私は今、生きてはいないだろう。
癌は治療するな、抗がん剤は百害あって一利なしというのが本当ならば、私の2016年の1月~2017年の7月あまりまで続けていた、私のシスプラチンゲムシュタビンの治療は何と説明をつけるのであろうか。
そして、17年10月からは内服の抗がん剤エスワンタイホウテイエスワン)を今も服用し続けている。
それは確かに、特に内服に変えてからは、色々と副作用も出てきてもいる。
その副作用に悩まされることも、決して少なくもないが、近藤氏の言うような癌治療が寿命を縮めるというほどの症状も実感もないし、どの医師からもそのような指摘は受けていない。
「いや、それはすぐには出てこないし、時間の経過とともにダメージが蓄積されているんだ」と言われるかもしれないが、私にしてみれば余命を宣告された身であって、もともと根治を期待しているわけではないため、その経過時間(時間稼ぎ)こそが延命の効果であり、私個人の期待する治療効果と言えるのだ。

もし、近藤医師の言うようにあの2015年の暮れに癌と認識された時点で放置していたならば、結果はどうなっていただろうか。
おそらく、私の命はとうに尽きていたであろう。
放置か治療かについては、統計的な癌患者全体から取得する相対値データはあったとしても、一個人の絶対値データの収集とその検証は極めて困難なことぐらい素人でも想像がつく。
せいぜい、参考値となる腫瘍マーカーの数値くらいのもので、固有の患者の体が一つしかない以上、治療をした場合としなかった場合の客観的な比較は不可能なのだ。

そして、その症例も個人ごとの免疫システムの差といえばそうなのだが、ではなぜ、個人ごとにその免疫システムが違うのか?
DNAの構造?
では、なぜその人にとってそのDNAが存在しているのか?
これは、もう神の領域なのである。

とにかく、私の体感としては、治療をしなければ今の自分はなかったと、私自身の体験としてそう断言できる
治療をすると、死期を早めるという近藤医師の理屈は、どう考えても私には当てはまらない。
それと、このブログ内で私も再三、標準治療とは?ということも投げかけているが、林氏側の標準治療についても同様のことが言える。
私自身の体験としては治療の効果はあったと言えるが、万人にとってどんな医師と対峙するかもわからないという前提からすると、林氏側の理論を積極的に支持するつもりもない。
つまり、治療をした方がいいのか?放置した方がいいのか?については、私はあくまで個人のケースと、その治療環境によるもので、そもそもがどちらがいいという結論を安易に出すべきものではない。
私に言わせると、この本の企画自体がナンセンスであり、それに踊らされて、どちらか一方の理論を持ち上げるのは甚だ愚かなことかとも思う。

そして、もう一つ・・・・。
これは私の完全な主観であるが、上述したようなこをすべて飲み込んで、この本を読んでみても、どうしても私はこの近藤氏の人間性が好きになれない。
まず、人と議論する場合での、好ましくない態度・姿勢、発言の仕方を、私自身は反面教師として見させていただいた。
議論の当事者はやはり、感情的にも熱くなるもの。
これは理解できる・・・・・。
でも、この近藤氏の振る舞いを第三者の目線で捉えると、非常に見苦しい。
とても、分別のある大人に見えない。
林氏との議論で、とにかく主義主張の優劣を競おうとし、相手に隙ができると見るやいなや、人を見下したような態度をとっている。

どちらの主張が正しいとかいう以前に、近藤氏のその姿勢の厭らしさが前面に出てしまい、近藤氏の主張に共感できない。
ある意味、ドヤ顔をするためだけに精力を傾けてきた(後述)かのようで、その裏面の必死さが露骨がゆえの幼稚さも見えてしまうのだ。
それを最近ネットでの与太話でも多様されている論破という安っぽい観念のみで、反論者に対峙することが至上の使命とまで思われているご様子。

例えば、林氏の主張に対しても、最後の方で「それにしても、林さんは教授職に就いていて、医学者でもいらっしゃるのですから『感じている』とか『信じている』などという根拠不明なことを言わず、もっと具体的な指摘をされたらよかったのに」などと言及する。
まさに勝ち誇った勝利宣言のつもりなのかな。
でも、懸命な読者は議論の勝敗に興味を持っているのではなく、神のみぞ知る領域への科学の手がどこまで迫ったのかということ。

基本、林氏は論客ではない。
本業は医療従事者・研究者である。
確かに、がん検診を車検に例えてしまったのは、ある意味、こういう人を前にしては失策だったかもしれない。
しかし、反面、近藤氏の方にも、議論が白熱した時に海外のデータを唐突に引用をしてくる場面があったが、人のことを言うわりには、その引用データの信憑性に信頼を置けるものでもなかった。
はっきり言って、その会話の前後での会話の勢いで押し切っているだけなのである。

知っての通り、データとは、ある種、作り手が思う方向に表現しようと思えば、その数値の拾い方、何を分母とし何を分子としているか、まとめ方によってどうとでも操作できるもの。
よほど、そのデータの出典や集計意図、誰がどこでなんのために作って、その引用者もどうしてそのデータを引用したのかもしっかりと表明しなければ、ただの借り物データの濫用で引用者そのものの論拠も軽くなる。
つまり、私に言わせればどっちもどっちなのだ。

そして、近藤氏自身の後の個別インタビューで明らかにされた、自らライフワーク?とも思える、自らの論点に一つでも穴があったら大変と日夜神経をすり減らしていた・・・・とのこと。
いつ誰がどんな議論を吹っかけてきても対応できるようにと神経を尖らせていたようである。

今現在の氏の立場は、大学での講師であり、大学の職員でもあるということ。
診療をするのは義務ではなく自発的サービスなのだという。
一方の林氏は、プロのガイドとして患者に寄り添う姿勢を全面的に見せている。
プロのガイドとは言いえて妙だが、医者は神ではなく、どんな病気も100%完治させることはできない。
この日常の両氏の姿勢の違いが、この議論での強弱を現わしているのであり、議論での発言の強弱が事の正しさを指し示しているわけではないと私は思っている。

近藤氏も自説にそぐわないケースの存在も認めている節も見られるが、それにしては自説の論調全体が強すぎる。
確かに近藤氏の考え方も、まったく否定できることばかりでもない。
何も考えずに、ただただ一定の手続き優先でベルトコンベアー式に手術に持って行くという、何でもかんでも切ってしまう医師もいるのであろうし、もしかしたら、そういうことへの警鐘を鳴らす意味からこの理論がスタートしたのかもしれない。

ただ、100%の数値が意味するものは、その一人一人が人間であり、その1%ごとにそれぞれの人生が凝縮されているということを忘れてはいけない。
例え例外が1%の確率でも、今、目の前にいる患者が、たまたまその1%である可能性は充分にあるのだ。
これを忘れては医師とは言えない
と思う。

繰り返すが、私は治療派でも放置派でも、そのどちらでもない。
どちらの方法も個人にとっては有効な方法としてあり得るし、対決させる議論でもないと思う。
それと、一つの考え方を絶対的な正論として昇華・創出していくことの愚かさも、我々患者は冷静に見つめるべきだと思う。
人間のできることに絶対はないのである。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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放射線治療(肝臓編)2週目に突入!!

2018年9月26日(水)のこと。
放射線治療第2弾、肝臓編の第2週に入った。
今日は、TG医師の診察日。

既に述べているが、随分と肺の時と違って、治療を開始してからの倦怠感、食欲不振がひどい。
特に、倦怠感については日によっては、まったくなんともない日もあることにはあるのだが、酷い時には、通勤、このTS病院に来るまでが、もうこの世の地獄を徘徊しているように思えることが目立ってきた。
肺と肝臓部では、こうも違うものなのか?
正直、治療台に横たわる時の、わずか15~20分の一時ではあるものの、体が休まるということに安堵感で一杯。
ただ、先週の金曜日からは少し楽になっていたため、今週は少し様子を見ていたところ。
これは一過性のものだったのか・・・・・。

さて、今日の治療後のTG医師との診察。
肺に引き続き、肝臓部の照射もまだ始めたばかりではあるものの、照射している部分については効果が現われている様子。
ただ・・・・・・。
先週も話があったが、先日のCT結果から、肺の周辺に新たに転移された癌細胞の話に今回も触れる。
でも、今回もTG医師に動じている様子もなく、「これは後で考えましょう、一度にはできないので、今は、今やっていることに集中しましょう」とのこと。
まるで、TG医師も自分自身に言い聞かせているかの様子。
やはり、TG医師としても、私の状態が予想よりも手ごわいと感じだしているのだろうか。
まぁ、私も本音の部分では、そう思わないことないのだが、しかし、今はそんなことは考えないようにしよう。
どんな状況でも、前に進むという、このTG医師の姿勢に賭けてみよう。

けれど、先週感じた異様なまでの倦怠感については症状を訴えた。
TG医師は黙って話を聞いていたが、ここ数日治まっているのであれば、このまま治療を続けて様子を見ていくということに。
食欲不振については、人によって二日酔いのように感じる人もいるとのこと。
なるほど、そう言われると食べたくない時の感じは、似ているといえば似ているが、私の場合はそうとも言い切れないかな。

そして、先週の初めあたりから起きていたことで、背中のかゆみがある。
これも話をしてみると、すぐに「左側の背中ですか?」と、ピンときたみたい。
どうも放射線が体に当てられて、突き抜ける側にこの症状が出ることもあるらしい。
ちょうど肺のあたりの裏側。
シャツをめくって、目視で皮膚の状態を確認もされる。
依然として、毎週月曜日に皮膚の状態の写真を撮って確認はされているので、見ただけでは特に問題はない様子。
「かゆみ止めの軟膏を出しておきましょう」とのことで、リンデロンVG(下図)というものの処方を受ける。

《軟膏リンデロンVG》








それにしても、今頃、こんな症状も出るのだということに驚き、この先の肝臓部についても思わず身構える。
とりあえず、この後も治療を継続しながら様子を見ていくことに。
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放射線治療(肝臓編)の開始と体調の変化!!

2018年9月21日(金)のこと。
12日に肺の治療を終えて、13日~17日まで3連休を挟みながらもしばしの治療の休息。
そして、18日(火)から肝臓部の放射線を開始。
ちなみにこの日、格闘家の山本KID氏の訃報を耳にする。
またしても癌によるもの・・・・・、合掌。
思いは複雑。

肝臓部の治療に関しては、肺の時と、あまり実感としては変わらない。
治療スタッフも同じ顔触れ。
私の体の型を取った固定具もそのまま使用。
治療自体も、相変わらず大きな装置が目の前をグルグルと周り、「息を止めて~」の掛け声とともに、なにやら動作しているという感じ。
治療中は、やっぱり痛くもかゆくも何も感じない。
ただただ息止めの瞬間がシンドイだけ。
でも、放射線の照射時間としては、気持ち、肺の時よりは短いのかな?
これは、治療前の説明通り。
でも、設定や私の体の位置決め等の時間を含めると、やっぱり20分くらいはかかっている。
とりあえず・・・・・・。
18日(火)から治療は開始された。

ただ、この日までの休息中に少しだけ体調に変化も現われた。
喉がいがらっぽく、痰がでるようになり、咳も軽いながらも出るように・・・・・。
これはちょっと・・・・・。
よくKY病院のM医師からも、会う度に確認されている肺炎の徴候なのだろうか?
一過性であることを祈るのみ。
あまり続くようだと、TG医師に相談しよう。
けれど、この症状はあまり続かずにいつの間にか消滅。
ほっと胸をなでおろす。

しかし、もっと顕著に変化が現れたのが、体のだるさ。
これも日によって、なんともない日もあるのだけれども、かなり強い倦怠感に襲われたりという日が出てきた。
これは、放射線治療の副作用か?それとも腫瘍マーカーが上昇していることからの癌の影響なのか?
さらに、せっかくの15日~17日までの3連休中は、極端に食欲も落ちた。
当然ながらも、体重もさらに減少。
とうとう73kg台になってしまった。
少し気になる状況だ。

こういう状況下で、その18日からの治療に入ったわけであるが、毎日の治療前の簡単な問診票に、体のだるさの欄にチェックを付けることが増えてきた。
そして、治療室内での看護師さんとの会話でも、直接、体の疲労感を訴えることも。
TG医師には報告を上げるということと、来週の診察時に確認しましょうということで、まずはこの日、21日(金)までの4日間、治療が継続されたという状況。
さらに、もう一つ気になる傾向として、今までにも何度か述べているが腹部の不快感。
これはもう2~3ヶ月前から出ていた状況だが、ここにきて少し強くなってきた。
昨日は仕事中に少し辛くなり、カロナールを3錠も飲んでしまうほど。

そして、この日の21日(金)を迎えた。
またもや、明日からは3連休。
でも今日は、いつものKY病院の定期健診。
もう、M医師の対応は、相変わらず毎度のことなので、あえて不毛なことは、あえて記載するのは辞めよう。
M医師からは採血の結果をいつものように通知されるだけ。
ちょっと、いつもと違ったことを言われたのは、少し脱水気味で、塩分補給が必要とのこと。
普段は、腎臓のことを考えると控えるべきところではあるけれども、この日の状況では、少し塩分も必要とのことらしい。
これは珍しい、初めて言われること。

それと、TS病院で行っていることが少し気になるのか、治療内容のことや、それにともなう体調の状況を聞かれる。
正式には私の体調というよりは、TS病院での治療効果が気になっているようで、「もし、向こうでCTを撮影しているようであれば、CDで最近の画像データがもらえないですか?」と言ってきた。
この後、午後からはTS病院へ行くため、そのことは伝えるということで終了。
「特に急がないので、今度の診察時でも構いません」とのこと。

この後、本日のTS病院は午後からの治療。
いつもは、この治療の後は家に帰って休んでいたが、今日は、この後は仕事に出る予定。
前回の午前中KY病院、午後のTS病院という通院パターンで、やはり、時間に余裕が出てくることが判明した。
多少の体のだるさを感じるものの、まだまだ仕事の手は止められない。

TS病院に着いて、冒頭で述べたようにこの一週間の体調の変化と、KY病院からのCT画像データの件を看護師さんに伝える。
幸いにも、今日は調子がいいのだけれど、ここ最近、体の倦怠感が目立ってきたこと。
看護師さんも心配そうであったが、「来週の診察で・・・・」とのことで、取りあえず治療を行って、この日は終了。
明日から3連休、ゆっくりと休むとしよう。
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放射線治療(肺)最終日!!

2018年9月12日(水)のこと。
本日、いよいよ肺の放射線治療の最終日。
そしてTG医師の診察。

まずは、最後の肺の放射線治療。
治療自体はいつもと何も変わらず。
終了後、技師さんからは「どうもお疲れ様でした~」との声がかかる。
そして私も、まだまだ今後のこともあるため、丁重に返礼。

この技師さんも、私とほぼ同年代くらいの男性で、非常に気さくな人で治療期間中も色々と気を使ってくれた人。
この15回の治療期間中、色々なアクシデントが起こったが、この人との時々する世間話が、結構、楽しかった。
また、TG医師の診察室詰めの看護師さんたちが、シフト制なのか、ほぼ一週間毎に交代でこの部屋付の担当になる。
だからちょうど、気心も知れてきたところで、これで終わりとなると何だかこれはこれで物寂しい。
しかし、おそらく来週から、今度は肝臓の30回コースという長丁場で、再びお世話になる。
取りあえず、一区切りということで、今日はいったん締めくくる。

そして、TG医師との診察。
まずは、肺への治療効果について。
「今日の時点では、まだ腫瘍が残っていますが、これからどんどん小さくなっていき、最終的には消えると思います」とのこと。
どうも、私の肺の腫瘍への放射線は効きが良いみたいで、開始直後から予想以上に小さくなっていったらしい。

ただ・・・・・・・。
放射線を当てたところには、確かに効果が現われた。
しかし、私の肺には他にも腫瘍が何個も現れてきているとのこと。
CT画像を見せられ、確かに腫瘍とおぼしきものが無数にポツポツと画像で確認できる。
その中で一番大きいのが、今回のターゲット。
そして、それより、ひと回り、ふた回りぐらい小さいのが2~3個確認できる。
他に細かいのが無数に散らばっている。
これを見る限り、私の肺は癌に侵食されきっている感じ。
おそらく、これだけ治療しても腫瘍マーカーの数値が上がりつづけているのは、多分、このせいとのことらしい


なるほど・・・・・・。
やはりイタチごっこか・・・・・・。

全身に癌が廻ってしまっている状況では、打つ手はないと言っていた、KY病院のM医師の言葉には確かに間違いはなかったようだ。
でも、TG医師、この状況にまったく動じている様子はない
「これらの転移部は、また後で考えていきましょう・・・・・」と、まだまだ戦闘態勢を緩める気はないようだ。
この力強い言葉に、私の気持ちは大きく震える・・・・・・・。

それよりも、次の攻撃目標の肝臓部の放射線について。
またしても、今回は肝臓部の治療説明と同意書を兼ねた用紙が提示された。

今回、記載された内容は以下の通り。

・病名:胆嚢癌、肝浸潤
・治療部位:肝門部
・治療目的:腫瘍縮小
・放射線治療法:VMAT
 平成30年9月18日~平成30年10月31日 週5回、計30回 総線量60.0Gy
・期待される効果:局所制御


とある。
そして、副作用のところでは・・・・・。

・皮膚:発赤・ただれ(急性・晩期)
・十二指腸・大腸・小腸:腹痛、下痢(急性)
・肝臓:肝機能異常、倦怠感(急性・晩期)、肝不全(晩期)
・胆のう・胆管:黄疸・胆道感染症(急性)
・その他:組織修復低下(急性)


急性:急性有害事象(~3か月):発生率は高いが、治癒しやすい
晩期:晩期有害事象(3か月~):発生は稀だが、治癒しにくい


ということ。
なるほど、なんとなくこれを見ただけでも、素人ながらTG医師が慎重になるのもわかる。
肺の時とは、確かにえらい違いである。
特に副作用のところは、なんだか怖い感じもする。
ただ、TG医師としては、肝機能異常とか肝不全は、滅多にないことと考えているとのこと。

まぁ、私としては、少しドキッとしたが、まったく躊躇はない。
即座に、承諾のサイン。

そして、治療法、目的や効果について注目すると、肺の時とはやはり微妙に違う。
TG医師からは、口頭で丁寧に説明を受けてはいたが、書面で見るとまた違った感じがする。
特に治療法は、今回は3D-CRTというのはやらないみたい。
私には、なんのことだかわからないが、とにかく照射するターゲット以外を傷つけないように、一回の照射は肺の時よりは軽く、そのかわり治療回数を多くとるという方針のよう。

とにかく、肝臓の放射線治療の詳細が決まった。
TG医師からも、「今日の分までは、お疲れ様でした、また、来週から始まりますので週末はゆっくりとお休みください」との言葉。
来週、9月18日(火)から開始するので、一応、明日から5日間の休息期間があるというわけ。
とにかく一息つける。
あの、朝のラッシュと試練の階段!!からは、しばしの解放。
これは、少しうれしい。

で・・・・・・・・・。
とりあえずは、今後の方向が確定したことで病院を後にし、仕事を終えて帰宅した後・・・・・・。
やはり、度々話題に出ていた、腫瘍マーカーの上昇は気になる。
この腫瘍マーカーに関してだけ言えば、どこの病院のどの医師も、あまり細かくは言ってくれない。
それは、KY病院のM医師も、HW病院のA医師も、ここのTG医師も同様。
おそらく、あまり患者が数値に敏感になって、神経質に数字を追いかけるようにならないようにという配慮からなのだろうか。
でも、いくら参考値とはいえ、度々指標として使われている以上、やっぱり気になるというもの。

そこで私は、今まで度々(非定期に)もらっている血液検査の記録から、腫瘍マーカーの数値を拾って、病気発症の頃の測定を開始した2016(平成28)年の1月から、ここ最近までの私が入手できている分でのデータにおいての変移状況をグラフ化してみた。
それが以下。
かなり間延びした大きなU字型を示している。












元々、腫瘍マ-カーを一番最初に測定したのは、最初に診てもらっているKY病院。
この時は、CA19-9とCEAという数値を見ていた。(数値の詳細については、前の投稿を参照)
でも、ここのTS病院はCEAしか測定していないようで、グラフはそれに合わせて、CEAのみのグラフとしてみた。
そして、この数値は時期によっては、測定した病院が違う。
こういうデータは採血結果もそうだが、微妙に病院によっては違うもの。
しかし、私の手元には、一つの病院からだけのデータが集約されているわけではないので、とにかく各病院から収集したあるだけのデータを時系列に並べている。
そのため、元データの精度としては、それほど安定している数値ではない。

でも、参考値としては、大変、興味深いものとなった。
このCEAの一般的な正常値は0~5と言われている。
こう見ると、病気発症の頃の数値は驚異的に悪い状態で、これならば、最初のT病院のKM医師、KY病院のM医師の反応も理解できる。
そして、ここ最近のこのTS病院で8/27に測定したデータは、まさに、その頃に迫る勢いで上昇しているのがわかる。
グラフ化したデータを眺めていると、今まで私がこのブログ内で長々と書き連ねていた内容とピッタリ一致する。

最初の頃に一気に下がったのは、あの点滴の抗がん剤(シスプラチンゲムシタビン)によるもの。
その後は、しばらく平穏な日々が続いたが、昨年の7月にあの間質性肺炎を起こし、点滴の抗がん剤を中止。
すると、9月、10月頃に、グラフで見るとわずかであるものの、数値の上昇の兆しが見えてくる。
あのKY病院のM医師から、「これから悪くなっていきます・・・・・」と告げられた頃。

そして標準治療としては最後の選択、内服の抗がん剤エスワンタイホウティーエスワン)の服用により再び下降したが、今年の4月に、またまた上昇の兆しを見せて現在に至るということ。

まぁ・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
数値だけ見ると、絶望的ですな・・・・・・・・・。
やはり、この先待っているのは、残されたたった一つの結論しかないということか・・・・・・。

でも、私は私自身の体と精神を信じることとしよう。
腫瘍マーカーはあくまでも参考値。
今はTG医師もがんばってくれている
ここの病院の、関係するスタッフさん達総員の心のこもった手厚い援助も受けている

何より、私の気力体力は、まだまだ衰えていない。
こと、ここに至った今でも、相変わらず、まったくもって、私のメンタル面は微動だにしていない。
それは、人間である以上、突発的なアクシデントには驚くし悩みもするし、世の中の見え方、人生についての考え方がガラリと変わる瞬間はある。
でも、落ち込んだり、ふさぎ込んだりとか、この病気の発症以来ずっと、余命を宣告されていながらも、特段にネガティブ思考に走ったりということが、微塵もない。
私がこんなに鋼(はがね)のメンタルを持っていたとは、自分でも露とも思っていなかったのだが、天性の楽天思考なのか、どうやらこの気性というか性格が、実は私の最大の武器なのかもしれない。

しばしの休息の後、放射線治療の第二弾、肝臓編が来週から、また幕をあける。
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放射線治療4週目!!:激動の一週間!!

 2018年9月10日(月)のこと。
本日はTS病院、放射線治療の4週目の治療と診察日。
ふ~む・・・・・・・・・・。
本来ならば、8月20日に、この放射線治療を開始し、週5日を3週(15回)の照射なので、先週の9月7日(金)が最終日・・・・・のはずだった。
しかし、開始二日目の機械トラブルによって一日分順延され、今日この日10日月曜日が最終治療日。

でも、これも・・・・・。
はずだった・・・・・と、言わざるを得ないことが起きてしまった。
実は、先週一週間は私の住むこの北海道に、実に大変なことが起きた。
当然、私の治療もままならず、日常生活にまで支障が出てしまうほどの・・・・・・・。

それは・・・・・。
まず、前回の診察日の翌日、9月4日(火)のこと。
この日は全国的にも猛威を振るった、あの台風21号が北海道を直撃した日。
もともと北海道は、本来台風被害が少ないところ。(確か2004年頃にも、大きな台風に見舞われたけれども)
ところが、今回は観測史上まれにみる記録的な勢いで、この北海道、しかも私の住む札幌市を直撃するという。
ちょうど、その猛烈な台風の衝撃が私の家を直撃したのは、この日の深夜のこと。

私の家は地元でも有名な質実剛健をモットーとした、とある工務店で建てられており、見た目はともかくとして、頑丈さだけはとにかく信頼性の高い家。
その我が家が、この台風の風の猛威により家が揺れた。
これは初めての経験。
風で家が揺れるのだ。
しかも深夜に・・・・・・。
これには、さすがに恐怖。

道外各地の被害状況の映像のように、我が家の屋根も飛んでしまうのかと恐れおののく。
それでも、翌日の仕事のこともあるため、なんとか眠る努力をしようと一夜を過ごす。
結局、我が家の被害は、庭木のシベリア桜の幹が割れたのみ。
でも、このシベリア桜、なんと割れたままでもちゃんと生きている。
大事にしていただけに、ほっと胸をなでおろす。
しかし、恐るべき生命力。
私も見習わねばと。

けれども、気になったのは交通機関の麻痺や、またTS病院の施設が無事に稼働しているかどうかということ。
もっとも、前日の治療の時から「明日は大丈夫か?」という話題で持ちきりだったこともあり、何かあれば連絡がくるだろう。
ここは、そういう病院だ。
でも、来ないということは無事か?ということで恐る恐るTS病院へ向かう。
すると例の試練の階段!!のある地下鉄駅から、続々と職員とおぼしき人達がTS病院へ通常出勤のように向かうのを見て一安心。
確かに、病院に着いてみると、その日はいつもと変わらず、無事に治療ができて難を逃れた。

ただ・・・・・・・。
事件はこれで終わらない。
全国ニュースにもなった、あの胆振東部地震が翌々日の6日(木)の深夜AM3:07に発生。
カレンダー的には翌々日にはなるものの、体感的には翌日のようなもの。
これには台風よりも、精神的・物質面でも衝撃は大きかった。
ここ札幌市は台風と同様に、あまり大きな地震の発生は珍しい。
恐らく私が生きてきた限り、札幌に居住している期間においては最大規模の地震。

物の破損などでは、おかげさまで大きな被害といえるほどのことはなし。
ただし、細かいものは色々と散乱し、実は未だに片付いていないものもある、
でも、家内は精神的にかなりパニックになった様子。
しばらくすると、揺れはいったんは治まったが、余震はしつこく継続されるため、落ち着かずに眠れずにいると今度は停電。
これも一時的なことと、タカをくくっていたが、なかなか復旧しない。
これが我が家での、あのブラックアウトとの遭遇の発端である。

まず、明日の仕事はどうなる・・・・・・・。
今度こそ治療は無理か・・・・・・。
いつ電力は復旧する・・・・・。
長引いたら、まともな生活ができるのか・・・・・。

などと、様々な想いが駆け巡り、なかなか寝付けないまま朝を迎える。

すると、朝を迎えてもなお、停電復旧の見込みはたたず、この停電も、なんと道内全域という大きな被害。
JR・地下鉄・路線バスといった交通網も完全ストップで、道路の信号機でさえ機能していないという状態。
テレビもインターネットもまったく役に立たないため、スマホでのネット情報とラジオにて情報収集を行う。
たった一夜にして、街中がホラーパニック映画さながらの状態に投げ込まれた。

当然ながら、TS病院まで行く手段がない。
よしんば行ったところで、病院のスタッフも出勤できているのか、おそらく自家発電はあるであろうけれど、放射線治療ができるほどの電力量があるのかと、様々な疑問がわいてくる。
なんとか冷静さを保ちながら、あれこれ考えていると、なんとTS病院から携帯に電話が入る。
要件は、やはり治療が無理なこと、回復したら再度連絡という一報。
これはもう、ある意味想定通り。
むしろ、こんな状況でも、出勤している人がいて、わざわざ今日の予定者一人一人に連絡をしているということに驚きと感謝を禁じ得ない。
ちなみに連絡してくれたのは、最初の頃に対応してくれた、一見、頼りなさそうに見えたあのMさんという看護師。

その後、職場の上長からも連絡が来て、自宅待機の指示。
この後は、結構なサバイバル生活が始まるのだが、このブログではそこがメインではないため、そこの詳細については省略させていただこう。

その日の夕方に、あの看護師のMさんから再び電話が入り、治療ができる状態になったとのこと。
さすがに病院施設は復旧は早い。
ただ、行く手段がない。
相変わらず、交通機関は麻痺のまま。
自分の車で行くこともできるにはできるが、今やガソリンスタンドも長蛇の列で燃料の争奪戦のような状態である。
緊急時に備え、あまり消費はしたくない。
本日は遠慮することとし、今しばらく様子を見ることにした。
その日の夜は、ほとんどの道内住民がそうしたように、ありったけの懐中電灯とろうそくを集めて前時代的な夜を過ごした。
ちなみに、幸いなことに我が家では、電気以外で不自由はない。
ガスも水道も正常に使える。
その代わり湯沸かし器等、電気を動力源にするものは使えないため、お風呂はダメ。
暖房も着火に電気を使うため使用不可。
まぁ、今はさすがに暖房を使う時期ではないものの、思わず「これが、もし真冬だったら・・・・」と考えると戦慄すら覚える。
ご飯は電子ジャーではなく、素焼きの釜があったため、それを使ってガスで炊いて、おにぎりでしのいだ。

翌、7日(金)も事態は変わらず。
職場からは自宅待機ではなく特別休暇という指示が出た。
私の職場は昨日から閉庁したまま。
そして、またTS病院から電話があったが、やはり交通機関やら諸々の事情からこの日も遠慮することにした。
さらにHW病院からも電話があり、明日の温熱治療は正常に治療できるとの一報も受ける。

もう、今週は仕事も病院もすべてあきらめよう・・・・・・・。
明日の温熱は予定通り行くとして、月曜日から再開させていただこうという決意をする。
ちなみに我が家に無事、電力が復旧したのは、この日の夜半に入る19:00以降のこと。
この日も覚悟を決め、懐中電灯とろうそくを灯したばかりの頃。

ただし、まだまだ復旧していない地域もあり、震源地では多数の死傷者も出た。
命というものに敏感になっている私は、謹んで被災者のご冥福をお祈りするばかり。
私のように、もう生存が無理だと言わんばかりの扱いを受けながらも、何とか生きながらえる者もいれば、つい今さっきまで元気で普通に暮らしている人が、突然の災害によりその命を終えてしまう。
なんと、この世は無慈悲な世界なのか・・・・・・。
もし、神がいるとしたら、ぜひ一度、膝を突き合わせて、その真意を聞きただしたい。

そして、この日、9月10日(月)。
なぜか、いつしか週の始めが定例の診察日になってしまっている。
8日(土)のHW病院もそうであったが、このTS病院も出会うスタッフから、ことごとく「地震大丈夫でしたか?」の話題が挨拶代わり。
なんでもこの病院の地域は、道路(国道)がめくれ上がるほどの被害があった。
逆にこちらから病院の状況をうかがうと、自家発電はあるものの、病院の全てではなく重要部署のみが対象エリアになり、他はやはり電気のない中でアナログ処理で業務をこなしていた様子。
出勤はどうされたのか聞くと、これもまた、この後の辛い時に救われたもう一人の看護師さんIさんは、家がこの区域なので自転車で通ってきたとのこと。
いやいや、頭が下がる。
自分の家のこともままならなかったでしょうに・・・・・。
人のために働くって、こういうことなんだとシミジミと実感。

とにかく無事治療は終了。
そしてTG医師の診察。
TG医師は「地震大変でしたね・・・・・」といったきり、それ以上、この話題には触れず、治療の話に集中。
さすがにプロ。

まずはスケジュールの再確認。
当初の予定より、機械トラブルにより1日、地震の災害により2日、計3日遅れになることを確認。
つまり、この肺の最終治療日は、9月12日(水)になるということ。
そしてその日は、とりあえず肺治療の最終日になるので、そこでまた診察をしましょうということになる。

さらに、私の体調確認。
さすがに喉のつかえが、ちょっとやっかいになってきたので状況を告げると、それは放射線治療による火傷なのだそう。
治療が終わるとじきに消えるということのよう。
なるほど、治療開始前の副作用の説明に、そういうのがあったような気がする。
前にも伝えている腹部の不快感が増していること、体重も減少しているということも告げると、話題は次の肝臓部への放射線照射のことに切り替わり、この肺の治療が終わったら、少しブランクを空けてから開始しましょうということに。
まぁ、私が訴えた症状を、すぐに直接どうにかするという手段はないのかもしれない。

とりあえず、私は残る2回分の肺への治療にまい進することにする。
とにかく先週は、私の闘病ということだけではなく、結構、すごい1週間だった。
正直やや疲労気味。
仕事も治療も生活全般も含めて、いち早くなんとか日常ペースに戻すことを考えよう。
ついでといってはなんだけれども、この時点ではまだスーパー等には満足に商品が並ばず、食料補給が正常に戻る見通しはまったく立っていない。
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放射線治療3週目に突入!!

2018年9月3日(月)のこと。
肺の放射線治療を開始してから、いよいよ3週目に入る。
予定では今週で終了。
今日はTG医師の診察。
本当は、毎週火曜日が診察の日だったはずなのだが、今日は治療後に「今日、この後、診察、よろしいですか・・・」と看護師さんから告げられる。
特に支障もないため快諾。
多分、先週、TG医師が不在だったため、週明けの今日、早めに診察をしたいということなのだろうか。
ということは・・・・・、なんかあるのかな・・・・・・と、一抹の不安もないわけではない。

私の体調的には、治療前から起きていた腹部の不快感(痛みというほどのものでもなく、幸いなことに継続性はない)が、少し悪くなってきている気がする。
そのため、前からKY病院でもらっていたカロナール(解熱剤・痛み止め)を飲むことが多くなっている。
さらに、喉になにかつかえるような(軽い嚥下障害?)状況も自覚されてきた。
これは放射線治療の副作用なのか?
まぁ、まだこれは軽いので様子を見ているところ。
でも、息切れについては、少し軽減されてきた気がする。
これは、治療の効果なのだろうか。

さて・・・・・・。
TG医師との診察。
なんだか、久しぶりの対面。
この先生、あいかわらず診察室へ入るにしても何をするにしても、足取りのステップが軽く小気味のいい動きをしている。

対面してまずは、私の状況確認。
治療中の日常的な変化や、特に、咳や発熱の症状の有無について確認される。
咳は時々あるものの、それほど気にするほどでもなく、発熱に関しては今のところまったくない。
多分、肺炎は大丈夫そう・・・・かな。
食欲についても確認。
食欲については、もともと下降気味だったのが、ここ最近、さらに落ちてきている。
それに伴い、体重の減少も進んできている
それでも、このTG医師と接していると、なんだか、ひさしぶりに診察らしい診察を受けている感じ。

話題は代わり、例の肝臓部への放射線治療について。
TG医師としては、できるだけ負担のかからないやり方で、実施する方向で考えているとのこと。
前回の私の決意を受け止めてくれ、実施に向けての検討は進んでいるようだ。
今の肺の治療と同時に進める方法もあるが、この肺も今週で終わる予定のため、まずは肺の方を先に片付けてから肝臓部へということに。

今度は、回数も多く30回位の放射になりそうとのこと。
今やっている肺の倍の回数で、これには正直なところ私も驚く。
「回数についてはもう少し検討しますが、大丈夫ですか?」と聞かれる。
私も治療時間的なことは、今と変わらないのであれば問題はないし、副作用も大きく実感することもないため「大丈夫です」と返答。
「いずれにしても、もう少し詰めさせてください」とのことで、今日の診察は終了。

もう何度も述べているが、この医師の力強い言葉や治療に向かう姿勢には、ホントに頭が下がる。
「できない」とか「難しい」という、絶望的な言葉なら今までにも、もう何度も聞いてきた。
でも、「やるためにどうする」という姿勢には、非常に新鮮味を感じるのだ。
とにかく頼もしい。
この今の私の状況にとって、本当にいい医師と出会えた。
ここのそれぞれのスタッフも含め、心より感謝したい。
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HW病院、A医師の去った後・・・・・

 2018年9月1日(土)のこと。
今日はHW病院でのこと。
このHW病院での温熱治療の詳細については、毎度毎度、このブログで取り上げてもいないが、基本的に毎週土曜日に相変わらず通い続けている。
無事にというか、なんというか、相変わらず効果の実感は特に得られないのだけれども、よほど何かの都合がない限りは、休むこともなく治療を受け続けている。

基本的にHW病院でのことは、特に大きな変化がない限りは、ここでも取り上げることもないのだけれども、今日は先月少し元気をもらった、あのA医師がいなくなって以来、初めての診察日。
今日の担当はKT医師と言う人。

さて、温熱治療の前に診察。
番号を呼ばれ、診察室に入り、そのKT医師と対面。
結構、年配の方。
A医師からは、ちゃんと後の担当に引継ぎをしているとは聞いていた。

とりあえず、問診からで状況の把握から・・・・・・。
しかし、この医師、私のカルテには、まったく目を通していないということがすぐにわかった。
まずはTS病院でのことから始まり「重粒子線?」と聞いてきたので、普通の放射線と答える。

重粒子線・・・・って。
う~ん、どこの病院で何をやっているという情報ですら、あまりお持ちではないようだ。
そして、KY病院のことについては、まったく触れられず「抗がん剤治療は長いの?」と。

えっ・・・・・。
あっ、いや・・・・・。
そこからですか・・・・・・と。

どうやら、な~んにも、引継ぎなどはなされていないよう。
それより、結構、深刻な状態の患者のカルテにすら、興味もお持ちではない様子。

少しカチンと来たため、病気発症から点滴抗がん剤、間質性肺炎から内服抗がん剤へ。
そして、肝機能障害を起こし、腫瘍マーカーも上昇し、KY病院からは標準治療の中止を言い渡されたこと。
しかし、ここの病院の!!お辞めになったA医師より!!「まだできるのでは・・・」という判断から、KY病院には内密にということで内服薬をもらって服用している!!ということを説明。

KT医師は一言、淡泊に「そうですか・・・・」と答えたのみで、華麗にスルーされる。
そして、唐突に次回の診察日が、なんとほぼ2カ月後の10月27日に設定される。
2か月後って・・・・。
それよりも何よりも、人に質問をしておいて、それを受けての私の説明に何のリアクションもなく、いきなり次回の話って・・・・。
もう返す言葉もない。

ただ、私もこの脱力感と闘いながらも、かろうじて抗がん剤のストックが少なくなってきたため、処方をお願いする。
すると、「ああ、いいですよ」と。
「血液検査は向こうで(多分TS病院のこと?)やってるでしょ、特に問題ないでしょ・・・・」と、まるっきり他所まかせ。

まぁ、私も色んな病院や医師とのかかわりも、結構豊富と言えるほどに経験を積んできているため、もう、この手の人とはこちらもまともに相手にしないことに限ると、「はい」とだけ答えて、診察を終了。
この間、わずか4~5分のこと。

この後の温熱治療開始までの時間が大幅にあまってしまった。
A医師・・・・・。
「後は心配しないで・・・・」って、言ってたよね・・・・・・・。
なんだろう、この無為な時間を過ごした感覚は。

そして、温熱治療を終えて会計。
すると処置室から、おもむろに看護師さんが出てきて「今後は固定の先生に診てもらいますか?」と、思わず耳を疑うような問いかけ。
あまりのことに、私は固まり、今の若者特有のイントネーションで、思わず「はぁ?」と返答。
なにを言っているんだこの人達は・・・・・。
A医師、ホントに引継ぎしたのか・・・・・・。
やっぱり、ここはこの程度か・・・・・。
等々、一瞬にして、様々な疑問が脳裏を駆け巡る。

精一杯、大人の対応をと、心を穏やかに保ち、「私もここを入れて3か所も病院に通院していて、複雑な状況であるし、病状も決して良いわけでもないため、できればそのほうが・・・・」と返答。
本当なら、「何を言ってる!!A医師がそのように手配していたんじゃないのか!!今日のあの診察はなんだ!!」と怒りをぶちまけてもいいところと思う。
でも、今の私には、もはや年も重ねたせいか、この状態ではそんな元気はない。
やや、しょげたようにも見えたかもしれない。

その看護師さんはなんの疑問も持たず、明るく「わかりました、では・・・・・」といいつつ、いったん引き下がる。
すぐに戻ってきて、次回からの担当医師は消化器外科のKSという医師であることを告げられる。
これも、口頭だけなので、慌てて名前を忘れないように、立ったまま、手荷物の中からスマホを取り出し、そのメモ欄にその名を打ち込み、バタバタあたふたとする。
でも、消化器外科・・・・・って。
とも思ったが、私はこれ以上の思考をとめた。

これが、ここの病院の対応であり、情報伝達・連携のシステムなのである。
まぁ、実はここでのこれに似たようなことは前からしょっちゅうあった。
とにかく、各部門ごとの連携やら情報管理がなっていない。
そして、それが前提で、まったく悪びれることなく運営しているのだ。
それを受ける利用者がどう思うか、どうとまどうかという考えはここには皆無なのだ。

温熱治療のスタッフは丁寧・親切・真摯さを感じるが、ここの医師の態度も異様なほど尊大だし、入院した時にも感じたが病棟スタッフも同様、外来はもちろんこんな程度。
また、患者との情報伝達の要となるクラークや事務は最悪。
誤りをまず認めない。
「絶対に、違っているよね」ということを指摘しても、まず、「すいません」という言葉は絶対に出てこない。
まるで、対応マニュアルで決められていて、その遵守精神のかたくなさを感じるほど。
以前、あまりの対応のひどさに、家内は院長宛に抗議のメールを送ったほどである。

ただ・・・・・。
私は、もう、いいかな。
こういうことに神経を使うのは馬鹿らしい。
良く言えば人間が丸くなった?悪く言えば病魔に骨抜きにされたともいえるであろうか。
せいぜい、私にできることは、おかしいよねと思うことをこうして記録に残すくらいのこと。

医療機関って、本当に不思議なことがある・・・・・・・。
誰のために何のために診察をしているのだろうか。
医師サイドとしても忙しい中でのことだからこそ、患者と向き合う時間を有効に使おうとは思わないのであろうか。
ただ、単純に面談したという事実だけを残しておけばいいのだろうか・・・・・。

私は本当なら、前任のA医師と同じく、TS病院での放射線治療の現状を伝えながらも、ここで抗がん剤を処方してもらっている以上、体調全般の相談もしたかったところ。
まぁ、それは、もうどうでもいい。
今後は、ここは割り切った付き合い方をしよう。
私は次のKS医師という人にも、全く期待をしないことにした。

とりあえず、A医師の去った後のHW病院はこんな展開になってしまった。
今更、驚くことではないのだけれども。
抗がん剤を薬局で受け取り、この日は終了。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
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プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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