手術の後・・

2019/1/31(木)手術の次の日・・

本日血圧140とやや高め。昨夜は、夜中何回か目覚めたがそこそこ眠ることができた。
お昼にようやく食にありつくことができた。うどんが意外とおいしかったが、脂っこくて少し残した。
ただ、何か物足りなく、家から持ってきたお菓子とカフェオレを楽しむ。

昨夜からの点滴を交換。これで一応は、最後の点滴とのこと。
この点滴は、前の抗がん剤の時にも使用していたソリューゲン。

ダラダラと過ごしているうちに夕食。夕食はおかゆとおかず2点ほど。
これもまたおかゆが意外とおいしく、夕食は完食できた。

しかし、この後、腹部が変な重さと不快感に襲われる。
さっそく、頼みの綱のカロナールを服用した。
痛くて苦しむというほどではないが、じっとりと重いという感じ。
二日酔いの翌日の後遺症のような感じがした。
寝れば回復するかなとは思ったが、夜中でもこの感触は残ったままだった。

2019/2/1(金)
体温36.9度、体重63.95kg
朝食が出たが、ほとんど一口ずつ、口をつけたのみ。そしてすぐに横になる。

この日の看護師さんはまた新しい人でなんとなくいい感じの人。
ゆうべからの状況報告をした。
色々と心配されるが、吐き気が出るようだったら言ってくださいとのことだった。

体に力が入らないのは栄養不足のせいか?
朝の体重測定ではいよいよもって63.95kgと、私の体はどうなっていくんだという感じ。
体を触ると、あちこちが骨ばっているのがわかる。
鏡を見るとガリガリである。
それでも胴回りの腹部は出ている。これは腹水が溜まっているせいなのだろうか?
昨日、それほど寝れなかったわけではないが、やたらと眠い。
トイレにいくにもふらつくような気もする。

しばらく横になっていると、さっきの看護師さんが丸山ワクチンを打ちに来てくれた。
この頃になると、腹部の不快感は不思議と消えてしまった、これはラッキーと喜ぶ。
でも、だからといってお昼も食べる気もしない。
仕方なく、家から持ってきたココナッツジュースで栄養補給。
そして、まだ眠いのでベッドで横たわり仮眠。
PCに向かう気力がまだ起きない。

気が付くとお昼御飯が近づいてきて、お茶が出ていた。
しかし、お昼ご飯は全く食べる気がしない。
そしてお膳も届くが、テーブルに向かう気もなくウジウジしていたら、家内がやってきた。
家内は自分で食べようとサンドイッチを買って持ってきた、それを見ると私も幾分食べようという気になり、売店でサンドイッチを買ってきてもらうことにした。
お膳についてきた桃の缶詰とサンドイッチをひと切れ、そして家から持ってきていたリンゴを食べてお昼は終了。サンドイッチはまだ二切れ残っている。これは、夕食の時用に取っておくことにした。

すると、またすぐに腹部の不快感が復活。
すぐさま、カロナールを飲んで横になって、家内を見送ってしばらくすると、今度は割と早めに復活。
やっと、このPCに向かう気になったという感じ。

さて、明日・明後日の外出を依頼しよう。
そして15:30頃からは出張で来てくれる床屋だ。
これで頭はすっきりするだろう。

2019/2/2
とにかく体がかゆい。このかゆみは入院してから却って酷くなった気がする。食事もできない。
そのためか、何をするにも億劫で動きも鈍い。今日と明日は自宅へ外出する。

2019/2/4
特に変化はないが、かゆみによる寝不足がひどい。いったん起床しても、ちょっとすると直ぐにウトウト
してしまう。
今日から朝の病院食をパンに切り替えてもらった。パンにジャムをつけた流し込む。おかずは手を付ける気もなく、デザートだけ食べて撤収した。
ただ昼も食事する気もなく、自宅から持ってきた栄養ゼリーを食べてなんとか過ごす。それでも日に日に体力の衰えを激しく実感する。しばらくするとM医師が様子を見に来た。食事ができないとうことから24時間の点滴をすることにした。家内が帰った後、38℃の発熱。今夜から全身のかゆみ対策として、生まれて初めての眠剤を使用することになる。

2019/2/6
この数日、眠剤を飲んでも寝不足で起きてもねむい。今日は朝から採血をする。

午後M医師がやって来て近況報告。採血の結果はあまり良くない。近日中カメラを使っての処置を考えているとのこと。
前回はステントを入れただけなので、多少消化液が流れるようにしたが、これでは黄疸の進行を止められない。
今度は、部分的に切るところを切って、ステントを2本入れようと考えている、それで何とか肝臓の40~50%の消化液を流れるようにしたいとのことだった。これでまたダメな場合は次の手を考えましょうとのこと。
・・・?次の手って、いわゆる体の外に袋をつける方法のことかな?・・・あれは、避けたい・・・
不安はあるが、少しだけ先が見えた。
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そして手術の日

2019/1/30(水)1回目のステント術・・

36.8度で平熱。昨夜はなかなか寝付くことができず、夜中に何度も目を覚ました。
今朝は若い看護師さんが昨夜から担当、血糖値144と大した食べていないのに高いほう。
パンと紅茶をお腹に入れる。
昼は208と高かった、インシュリン打たれる。
手術予定の14:00までは時間がある。
私も家内も暇を持て余し、病室でスマホをさわり時間をつぶす。
だが予定の14:00になっても声がかからない。

少し予定時刻を過ぎたところに、検査室から声がかかりましたとのことでようやく看護師さんがやってきた。その後は、徒歩で内視鏡室へ。
ここまで家内はついてきて、病室に戻る。当然のことながら心配そう。
いざ内視鏡を通しても、詰まりがひどくてできなかったという結果が正直怖いところ。
そうなると明日からの、未来を絶たれるのと同じこと。
ただ私はもうなるようになれと思うしかない・・。

間もなく処置室へ入ることに。
ここの担当看護師さんが私を中へ誘導し、これからのことを説明し始める。
しばらくするとM医師が術着を着て登場してきた。
この医師、施術もするんだと改めて驚く。


体温、血圧を測定し、腕にシールを貼られる。
M医師はいつも私が貼っている、イソブルデテープを貼っていないことに驚いた様子で「どうして貼っていなかったんですか?」と聞いてきた。
私は病棟の看護師さんから全部の薬をやめるようにとの指示があったのでと答えた。
これは、昨日のあの変な看護師さんの仕業である。

次に私はマウスピースを咥えて、処置台にうつぶせになる。
「それでは、始めます」ということで、睡眠導入剤のようなものを点滴内に入れられる。
私は、もともと寝つきというのが悪いため、こういうの効くのかな?とぼんやりと考える。
すると何を何グラム入れました、という声が何度か聞こえきた。
私はやっぱり効かないやと思うや否や、次に声をかけられた時には処置はすべて終わっていた。
なんと、本当に私はいつの間にか寝ていて、その間に全部終わったようだ。
正直処置中の違和感は、感じる時間さえなかった。

ただこの時の私は、頭も体もボーッとしている。
ストレッチャーに乗せられるのも、頭の上で看護師さん達のかけてくれる声にも、理解はできたものの数秒後には何を言われたかわからないほどだった。

部屋に戻ると家内が心配そうに待っていた。
会話はできるけれども、なんだか言葉があまりよく回っていないようだ。
体は虚脱状態で、横になっているのがやっと。
処置がどのくらいの時間だったかを家内に聞くと、15分くらいだったらしい。
前日の説明からは標準時間で手術を終えたようだ。
手こずる場合は一時間くらいになるとも聞いていたが、うまくいったんだろうか?と考えているうちに、また私は眠いとかいう感覚がないうちに、小一時間ほど眠ってしまった。

再び目を開けると家内はまだそばにいた。私はいびきをかいて眠っていたとのことだった。

しばらくしていると、M医師がやってきた。今日の処置としては順調だったとの報告
ただ、明朝の採血とレントゲンの結果で今後の判断をしましょうとのことを話すと、病室を出ていった。

この頃になると、私の頭は正常に戻ってきたが、体はまだ、ふらつきそうな気分だった。
今日の私の絶食はまだ続く・・・。
担当の看護師さんに確認すると、口にできるのは水とお茶のみ。
¨コーヒーはだめですか?¨と聞くと、胸に手を当てられ、水とお茶です、とやさしく告げられる。
若い看護師さんなのにこの時ばかりは母親のように私には見えた。

そのうち、家内もひと安心したのか家に戻ることに。
その後は、水以外口に入れられない状況で、寂しい夜を過ごした。
ここ最近、体重が減ってきているが、これでまた一層、体重が減るだろうと思った。
暫くして少し起き上がると、腹部に何かしら不快感を覚えた。それでも余り気にせず、寝たら治るだろうという感じだった。
それにしても、気持ちだけは何か食べたい!!

そして入院へ・・

2019/1/29(火) 思いもよらないことが・・・

ここ最近食欲はかなり低下した。仕事には行けそうな感じはするが、家内の強い勧めもあり、KY病院へ行くことに。主治医のM医師が診察することになった。数日前のTS病院の診断結果を伝え、体のかゆみや尿の色、食欲不振や体重減少を私から説明した。
すると、M医師は私の目をのぞきこみ、¨少し黄疸が出ている¨と話す。
急遽、採血とCT画像を撮ることに
した。

CT室の前で職場に連絡。
ここ最近の体調不良のために病院に来ていること、そして最悪、入院の可能性があることを伝える。
職場にはまた急なことでまた迷惑をかけることになろう、これは大変申し訳ない、何度こんな思いに駆られたことか...

間もなく検査結果がでた。採血とCT画像から、やはり肝臓の数値が悪くなっていることが判明した。
そして、入院の必要性を申し伝えられる。
このまま、すぐにでもという空気だったがそこは、一旦家に戻り、準備を行うことにした。
やはり、TS病院から言われた通り、胆管のつまりがあると思われる。
なるほど先週、あのTG先生のいつにない煮え切らない雰囲気はわかるような気がしてきた。
そういう意味では、今日病院にきて大正解だったのかもしれない。
入院期間を問うと、最低でも一週間は必要とのこと。
外出という扱いで家に帰り入院準備を行ない、一時間ほどで、終了し病院へ戻った。

病室に戻って間もなく担当の看護師さんがきた。
この看護師さん、どう考えても患者への対応が変である。
普通の人が聞いてこないことを聞いてくるし、聞いたその情報をM医師はとっくに理解している。
この人が私の発病から現在までの膨大な情報量を把握しきれるのだろうか、聞いてどうするつもりなのか、単なる興味本位なのか・・・・・・という気さえし始め少し、イラッとしてしまう。
そう思っているや否や、肝臓を保護する点滴を投与し立ち去った。

その後すぐに薬剤師さんがやってきて、薬の確認。
ここの病院に黙ってエスワンタイホウ(テイエスワン)を使用している以上、お薬手帳はあえて持ってこなかった。
この薬剤師さんには、最近の私の状況を伝えた。¨今、HW病院で丸山ワクチンを打っていること、入院中はここで打ってもらえないか¨をお願いしてみた。内心私は断られるかと思いきや「この病院で過去にワクチンを接種していたという実績があるため大丈夫だと思います」とのこと。えっ?とはおもったもののさっきの変な看護師さんにはこういう話は頼みにくいので、とりあえずホッと一安心。

間もなくM医師が再び現れて、今後の予定を口にする。
夕方16:00からMRIの検査を実施し、この結果により、今後の具体的な治療の方向性が示唆される。

そして検査後夕方にその結果をM医師から家内と聞くことにした。
正直いい話ではないだろうと、ある程度は覚悟していたが・・・。
もう、何度も何度もこのブログ内で表明しているが、ここまで来ていること自体が奇跡なのだ。

さて、CTの画像とMRIの画像を並べて説明が始まる。
やはり、肝臓部の転移は相当に激しいようだ。造影剤を使っていない撮影なので、素人目ではわかりにくいが、結構な転移と増殖の状況が見て取れる。
話は淡々と進み、やはりこの肝臓転移部分が今回の胆管のつまりを引き起こしているとのこと。
肺については、まぁ、確かに転移はあるがそれほど悪さはしていないらしい。
一部、肺炎のできかけのような傾向も見えるが、これは、今は気にするほどではないとのこと。

そしてM医師は人体の臓器のイラストを使い現在の状況を説明し始めた。
その内容は・・胆のうと肝臓を結ぶ胆管の数は人によっては差異があるが、私の場合、ほぼ全部の胆管が目詰まりを起こしており、医師関係者の世界ではそれを¨閉そく性黄疸¨といい、とりわけ現在のその状態はかなり進行しており悪い状況であるとのこと。
それは、閉塞している胆管内の全ての詰まり部分を貫通させなければならず、そしてその対策としてステントを使い、管の通りをよくする処置を行うことが一般的な例らしい。

でも、私の場合は、箇所が多すぎて、物理的に全部というのは不可能。
改めてMRIの画像をじっと見ると、確かに胆管が詰まっていて、どれもこれも影が映っていない。
さらに狭窄部手前の胆管は膨れ上がって今にも破裂しそうに写っている。

M医師の話は続く・・十二指腸や膵臓の方にメスを入れステントを設置するという方法もあるが、もしかするとこの十二指腸部も複雑に詰まっている可能性もあり、これは直接内視鏡で見てみないと何とも言えない。
またこのステントにも色々と種類があり、プラスチック製については、術後また詰まる可能性も高いが、取り換えが効く。
もうひとつの金属製ステントは、プラスチック製に比べると詰まりにくいが、一度設置すると取り換えが効かないという弱点もある。ただこれも個人差があるため、なんとも言えないとのこと。
M医師曰く、現在の私にできることは、代表的な胆管2本に着目し、臓器の機能を維持できる最低限の道筋を確保して、様子を見ていくことらしい。
そのターゲットとなる2か所の胆管部を示され、とり合えず試みるようだ。
ただ、内視鏡で観察した状態によっては、処置ができなかったり、またほかの臓器を傷つけ、処置した箇所から感染症を起こすリスクもあるとのこと。。

さらに、私の場合このままだと黄疸がどんどん進んでしまうため、すぐに明日2か所とも、処置したいところだが、あいにく私は血をサラサラにする薬を2種類飲んでいるため、休薬しても1週間はその効用は残る。
そのため、出血の伴う処置は避けねばならず、だからといって一週間もおいてしまうと、黄疸の進行が進むし、これはまた、別の問題が出てくるとのこと。

そこでとにかく緊急を要するということで、明日は出血を伴わない、胃カメラのようなものを飲み、内視鏡で、まずは1本だけステントを留置し、体調変化を確認していくことに。
そして、休薬した薬のサラサラ効果が無くなった概ね1週間後に、本格的にもう一本の胆管の処置をするという計画になった。
リスクは他にも色々あることを説明されるが、とりあえず内視鏡的逆行性胆道膵管造影(ERCP)及び関連手技説明書と、承諾書に署名する。
もうこうなったら、やれること、可能性のあることに賭けるしかない。

ただこういう結論になるのなら、T病院の放射線治療も、今実施している丸山ワクチンもそれほど効果は出ていないということなのだろうか?
結果的にはM医師が家内に言った通りであるということか・・

でも私は後悔などしない。
やってみる、¨可能性に賭けてあらがってみるというプロセスが大事なのだ¨と思っている。
それは現在も過去から常に変わらない私の一つの信念である。

とにかく明日朝は軽く食べて、午後の14:00くらい開始予定。
全身麻酔ほどではないが、睡眠を伴う処置をして、手術を行うとのこと。ただ人によっては痛みが残ることもあるらしい。

医師の説明を聞いたあと病室に戻ると、またあの変な看護師さんがやって来て明日の説明を始めた。
そしてその話のついでに、あろうことか先の見えず落ち込んでいる家内に「万が一の時の準備をしていますか?」などと、聞いてきた。
??????万が一って、私が亡くなったことを前提に言っているようだ。
えっ、普通、このタイミングでこんな話題を看護師さんたる職業人が口にするだろうか?
「特に、銀行口座の暗証番号はわかるようにした方がいいですよ・・・・」とこんなことまで言いだした。
家内は追い打ちをかけられたように、ショックを受けたようである。

まぁ、さっきから話のかみ合わないことが多かった人物だが、ここまで無神経とはいくら何でも思わなかった。
さすがに私は後で、家内には、「ねっ、変な人だって言ったでしょう」とフォローするしかなかった。
例え、それが本当にそうであっても、話をするタイミングやら、立ち場やら誰が言うか、聞いた側がその状況下でどう受け取るかそんな基本的なことが、というか当たり前のことができない職業人が多いことは確かである。
ただ正直私は内心、早く別の看護師さんに変わらないかなと願うのみだった。

話題は戻り専門家たちから見ても、今回はそれほど難しい処置なのか。
成果の出ない結果があり得る確立が高いというのか、そう考えておかなければならない気がした。
とりあえず結構、軽い気分で病院に来たのだが、かなり重たい怒涛の一日になってしまった。
この病院、これで通算4度目の入院となる。

入院前の出来事

2019/1/11(金) KY病院定期健診にて
年が明け、出勤前にいつものようにKY病院での定期健診へ。
特に体調に変わりがないことを伝える。
血液検査の結果は特に問題はなく、肝臓の数値が少しよくなっているとのこと。
いつものM医師から食欲、腹痛、下痢などの症状がないか確認される。

私としては、この数日咳が出ていることを訴えると、咳と痰を止めるくすりを処方してくれた。
温熱治療と丸山ワクチンの継続についても訪ねてきた。
このM医師、私が無事なのが不思議なのかもしれない・・・

2019/1/12(土)
原因不明の発熱。38℃。温熱治療は中止することに。
また右の鼻から鼻血がでた

2019/1/13(日)
熱が下がらずやむを得ず、KY病院へ家内の運転で行くことにする。
M医師が対応し、インフルエンザA型と診断される。
薬を受け取り、暫くは自宅で療養する。

2019/1/24(木)TS病院への家内と定期健診へ行く。
血液検査の結果、肝臓の数値はさほど悪くなってはいないといつものTG医師が話す。
ただ少し数値が高くなっているらしく、TG医師は胆汁を出すところが詰まってしまうと、胆管にステントを入れる必要があるかもしれないと話してきた。詳しくは専門医に診てもらった方がいいのでは・・・と
多少曖昧に話してきた。


2019/1/28(月)
横腹付近に不快感がある。また数日前から、皮膚がかゆい。またここ最近職場から戻った直後、いつもより尿の色が濃いのが気になるし、体もダルイ。胆管に異常があるのか?
食事もろくにできず、先のインフルエンザといい、栄養失調気味のように体が思うようにいかない。
HW病院へ丸山ワクチンの接種のために出勤前に行くのも辛い。栄養ドリンクでも買って飲むことにする。

年内最後の定期診察

2018/12/14(木)TS病院へ
今年最後の定期診察を家内の運転で行くことになる。
いつも通りの採血から。今日は、採血も陽子線センターも空いている。
TG先生との面談を家内も一緒に聞くことに、まずは私の体調確認から。
特に問題がないことを伝える。採血結果は、これも問題ないとのこと。肝臓も同じく問題なし。
それからTG先生は前回までの放射線治療のことを振り返って話した。

この先生は言うには、肺と違って肝臓の治療の際は相当に気を使って照射していたとのこと。
私自身も肺の時に比べ、体調が結構きつかったことを話した。
たたTG先生としては、時期を見てまた放射線治療をやることになるかもしれないと話してくれた。
なんともまた前向きな話をこの先生から聞けたことだけでも、家内と二人で心から喜ぶことができた。
また、「テイエスワンはちゃんと入手できていますか?」と訊ねられ、「KY病院では無理なので、HW病院から処方してもらってます」と話した。すると「そこでは血液検査はきちんと行ってますよね?」との問いかけに、家内も私も¨う~ん¨と首をかしげると、TG先生も苦笑いし、来月の診察日を決めて、この日の診察を終了した。

2018/12/15(金) 今年最後のKY病院へ
いつもの親切な看護師さんが、採血後の対応をしてくれる。
色々と仕事のことも聞いてきた。まあ、仕事へ行くスタイルをしての通院なので。
そして間もなくM医師の診察。いつも通り採血の結果は¨横這い¨とのこと。この人、これしか言わないのか?まあ、いいや、いつものことだと私の中で割り切れば・・
そして、食べることができているか、咳や痰、下痢やお腹の痛みがないか確認される。これもいつも通りの内容だ。
採血の結果は、少し許容値を超えているものもあるけど、気に留めるほどのものではないとのこと。
まただ、どこの数値が一体どうなっているのかくらい、説明ができないのだろうか・・

まあ、いい、私からは以前より食べることができている話すと、栄養状態も良くなっているとM医師が話してきた。温熱治療についても、続けているのか確認してきた。
私は「効果は実感できていませんが、精神的に今までと出来る限り変えない日常生活の一つとして通ってます」と伝えると「そうですね、副作用もないのでこのまま続けて下さい」と話してきた。
そして私から話のついでに¨丸山ワクチン¨を始めたことを伝えると、M医師は一瞬、「えっ!」と驚いた顔で私を見た。続けて私から、先月ワクチンを取りに東京まで行ってきたこと、そしてHW病院で週3回摂取を受けていることを話した。私としてはやれるだけのことはやってみようという主義なので・・ともM医師に伝えた。その後はなんのリアクションもなく、この情報を淡々とパソコンに入力していた。
もしかしてこの医師は、私のような世代のこのような患者は初めてなのかもしれないとそんな気がした。
私の行動力や考え方には戸惑っているようにも見えた。
そう考えると、今までの発言も少しわかるような気がした。

あと診察では言わなかったが、鼻血が出るようになった・・


東京へ・・

2018/11/18(日)
東京へ・・丸山ワクチン入手する 
2018/11/24(土) HW病院:丸山ワクチン
総合診療科で今後はワクチンの接種をするとのこと。来週月曜日11/26から開始することに。

ようやく咲きました

桃の花
ひと枝ひと枝大切に冬囲いした桃の花がやっと咲きました・・

皆様、大変お世話になりました。すべてのこと、ありとあらゆることに感謝いたします。

この原稿がアップされたということは、大変残念ながら、もう私はこの世にはおりません。
私に終焉が訪れた時に、家族にこの原稿をアップしてもらうように依頼していたものです。
長らくご愛読いただいた方、また、私自身をよくご存じの方々、本当にありがとうございました。

そして、なによりも、こんな私に献身的に最後の最後まで支えてくれた妻には心より感謝しております。
私亡き後も、ぜひとも前向きに元気に大事な命を全うしてもらいたいと思います。

私は、どんな人にも生まれてきた意味があると思っています。
しかし、私達人間はその意味を誰にも教えてもらえずに、この世に生まれてきます。
それは、生きながら自分で見つけていくというもので、誰かから自分の生き方を教わったり盗んだりするものではありません。
自分で考え、自分で見つけるものなのです。
ですから、想像以上に早くパートナーを失う悲しさは、私が逆の立場であっても、あまりの非情さに全てに失望してしまうかもしれません。
でも、多くの人たちがどうしてこの世に生を受けて、どこへ行くのかもわからない、この不思議な生命の世界を考えると、生きているということ
を本当の意味で真摯に考えるべきとは、私もこの病気で学んだことです。
ですから、いち早くショックから立ち直り、自分のための人生を歩んでほしいと思っています。


そして、息子にも、普段はあまり細かい話はできませんでしたが、このブログを通して、一人の男が仕事とは、人生とは、どうしようもない危機に直面した時、
色々な生き方の選択肢がある中で、こういう考え方をもって生き抜いたということで、今後の人生のなんらかの役に立ってくれればとも思います。

また闘病中の私をサポートしてくれた各医療機関のそれぞれのスタッフの皆様方にも、大変お世話になりました。
どうしても仕事面では厳しく見てしまう私なので、細かいところでは色々と不備や不快感を感じたことは指摘させていただきましたが、基本的にはこの方々達の
献身的なサポートがなかったら、おそらく私は癌発覚から今日までの命はなかったと思います。
本当に心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
そして、人を支える仕事をしている人たちの中で、本当に天使のような人がいることもわかりました。
本当にこの世は不思議なものです。

そして、私の所属した職場の皆様にも随分と助けられました。
私は、全ての状態を正直に述べ、「体が動くうち、私の目の黒いうちは、最後まで仕事を続けさせていただきたい!!」と打ち明け、どの上長も理解を示してくれ、
管轄の歴代の所長にも励まされながら普段通りに仕事を続けさせてもらえることができました。
これも、大変ありがたかったです。
私は決してハイパービジネスマンなどではないのですが、人生の岐路に迷っている人、途方に暮れている人、自分を見失っている人達をどうしても放っておくことはできず、
この難しい社会の中での生き方を示唆・援助することに全力を傾けてまいりました。

特に私自身が余命を意識したあたりからは、その取り組み精神は、一段も二段も昇華していったようにも思います。
ただ、突然の入院から緊急事態へ突入し、退職を選択するしかなく、お一人お一人に事情を説明できなかったのが非常に心残りで残念です。
できるだけの方々には、仕事仲間に引継ぎと事情説明をお願いしましたが、一部の方々には伝えきれなかったかとも思います。
これにつきましては、大変申し訳ありませんでした。

職場の仲間にも一言御礼を申し上げたいと思います。
割と、仕事のスタイルががんこな私は、ある種、皆様にもご迷惑をおかけしたかもしれません。
また、急な休みなども発生し、マンパワー的にもご不自由をおかけしました。
大変、申し訳ありません。
でも、一部の方には最後の挨拶に涙を流してくれる方もいらして恐縮するばかりでした。


・・・ここまでが今は亡き主人の最後の文章となってしまいました・・・

平成31年3月10日未明、KY緩和病棟の一室にて、主人は帰らぬ人となってしまいました。緩和病棟に移動して、わずか6日目でした。
桜を見たいと、きっと見ることができるとそう言っていましたが、きっと今は空の上から眺めていることと思います。
主人と共に闘ってきたこの3年余り、本当にいろいろな方々に私も支えられながら、主人と一緒に生き抜くことができました。特に主人の職場の方々には、¨倒れるまで働き続けたい¨
という思いから最後まで我儘、多大なるご迷惑をおかけいたしましたこと、心からお詫びそして感謝致します。

主人は話していました¨自分の人生に悔いはない・・¨と。本当に最後まで幸せだったと思います。
ただ遺された者からすれば、そんなに慌てずに駆け抜けなくとも、もっとゆっくりと歩んで欲しかったというのが本心です。私の中では、今も時間は止まったままとなっています。

ブログの更新は主人の強い遺志でした。今回の入院中も本人はできる限りその日その時の状況をスマホに遺していました。

先日四十九日を迎え、まずは主人の最後の遺志を皆様にお伝えさせていただきます。本当にありがとうございました。

令和元年五月一日
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テーマ : 末期がんの闘病記
ジャンル : 心と身体

プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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