放射線治療4週目!!:激動の一週間!!

 2018年9月10日(月)のこと。
本日はTS病院、放射線治療の4週目の治療と診察日。
ふ~む・・・・・・・・・・。
本来ならば、8月20日に、この放射線治療を開始し、週5日を3週(15回)の照射なので、先週の9月7日(金)が最終日・・・・・のはずだった。
しかし、開始二日目の機械トラブルによって一日分順延され、今日この日10日月曜日が最終治療日。

でも、これも・・・・・。
はずだった・・・・・と、言わざるを得ないことが起きてしまった。
実は、先週一週間は私の住むこの北海道に、実に大変なことが起きた。
当然、私の治療もままならず、日常生活にまで支障が出てしまうほどの・・・・・・・。

それは・・・・・。
まず、前回の診察日の翌日、9月4日(火)のこと。
この日は全国的にも猛威を振るった、あの台風21号が北海道を直撃した日。
もともと北海道は、本来台風被害が少ないところ。(確か2004年頃にも、大きな台風に見舞われたけれども)
ところが、今回は観測史上まれにみる記録的な勢いで、この北海道、しかも私の住む札幌市を直撃するという。
ちょうど、その猛烈な台風の衝撃が私の家を直撃したのは、この日の深夜のこと。

私の家は地元でも有名な質実剛健をモットーとした、とある工務店で建てられており、見た目はともかくとして、頑丈さだけはとにかく信頼性の高い家。
その我が家が、この台風の風の猛威により家が揺れた。
これは初めての経験。
風で家が揺れるのだ。
しかも深夜に・・・・・・。
これには、さすがに恐怖。

道外各地の被害状況の映像のように、我が家の屋根も飛んでしまうのかと恐れおののく。
それでも、翌日の仕事のこともあるため、なんとか眠る努力をしようと一夜を過ごす。
結局、我が家の被害は、庭木のシベリア桜の幹が割れたのみ。
でも、このシベリア桜、なんと割れたままでもちゃんと生きている。
大事にしていただけに、ほっと胸をなでおろす。
しかし、恐るべき生命力。
私も見習わねばと。

けれども、気になったのは交通機関の麻痺や、またTS病院の施設が無事に稼働しているかどうかということ。
もっとも、前日の治療の時から「明日は大丈夫か?」という話題で持ちきりだったこともあり、何かあれば連絡がくるだろう。
ここは、そういう病院だ。
でも、来ないということは無事か?ということで恐る恐るTS病院へ向かう。
すると例の試練の階段!!のある地下鉄駅から、続々と職員とおぼしき人達がTS病院へ通常出勤のように向かうのを見て一安心。
確かに、病院に着いてみると、その日はいつもと変わらず、無事に治療ができて難を逃れた。

ただ・・・・・・・。
事件はこれで終わらない。
全国ニュースにもなった、あの胆振東部地震が翌々日の6日(木)の深夜AM3:07に発生。
カレンダー的には翌々日にはなるものの、体感的には翌日のようなもの。
これには台風よりも、精神的・物質面でも衝撃は大きかった。
ここ札幌市は台風と同様に、あまり大きな地震の発生は珍しい。
恐らく私が生きてきた限り、札幌に居住している期間においては最大規模の地震。

物の破損などでは、おかげさまで大きな被害といえるほどのことはなし。
ただし、細かいものは色々と散乱し、実は未だに片付いていないものもある、
でも、家内は精神的にかなりパニックになった様子。
しばらくすると、揺れはいったんは治まったが、余震はしつこく継続されるため、落ち着かずに眠れずにいると今度は停電。
これも一時的なことと、タカをくくっていたが、なかなか復旧しない。
これが我が家での、あのブラックアウトとの遭遇の発端である。

まず、明日の仕事はどうなる・・・・・・・。
今度こそ治療は無理か・・・・・・。
いつ電力は復旧する・・・・・。
長引いたら、まともな生活ができるのか・・・・・。

などと、様々な想いが駆け巡り、なかなか寝付けないまま朝を迎える。

すると、朝を迎えてもなお、停電復旧の見込みはたたず、この停電も、なんと道内全域という大きな被害。
JR・地下鉄・路線バスといった交通網も完全ストップで、道路の信号機でさえ機能していないという状態。
テレビもインターネットもまったく役に立たないため、スマホでのネット情報とラジオにて情報収集を行う。
たった一夜にして、街中がホラーパニック映画さながらの状態に投げ込まれた。

当然ながら、TS病院まで行く手段がない。
よしんば行ったところで、病院のスタッフも出勤できているのか、おそらく自家発電はあるであろうけれど、放射線治療ができるほどの電力量があるのかと、様々な疑問がわいてくる。
なんとか冷静さを保ちながら、あれこれ考えていると、なんとTS病院から携帯に電話が入る。
要件は、やはり治療が無理なこと、回復したら再度連絡という一報。
これはもう、ある意味想定通り。
むしろ、こんな状況でも、出勤している人がいて、わざわざ今日の予定者一人一人に連絡をしているということに驚きと感謝を禁じ得ない。
ちなみに連絡してくれたのは、最初の頃に対応してくれた、一見、頼りなさそうに見えたあのMさんという看護師。

その後、職場の上長からも連絡が来て、自宅待機の指示。
この後は、結構なサバイバル生活が始まるのだが、このブログではそこがメインではないため、そこの詳細については省略させていただこう。

その日の夕方に、あの看護師のMさんから再び電話が入り、治療ができる状態になったとのこと。
さすがに病院施設は復旧は早い。
ただ、行く手段がない。
相変わらず、交通機関は麻痺のまま。
自分の車で行くこともできるにはできるが、今やガソリンスタンドも長蛇の列で燃料の争奪戦のような状態である。
緊急時に備え、あまり消費はしたくない。
本日は遠慮することとし、今しばらく様子を見ることにした。
その日の夜は、ほとんどの道内住民がそうしたように、ありったけの懐中電灯とろうそくを集めて前時代的な夜を過ごした。
ちなみに、幸いなことに我が家では、電気以外で不自由はない。
ガスも水道も正常に使える。
その代わり湯沸かし器等、電気を動力源にするものは使えないため、お風呂はダメ。
暖房も着火に電気を使うため使用不可。
まぁ、今はさすがに暖房を使う時期ではないものの、思わず「これが、もし真冬だったら・・・・」と考えると戦慄すら覚える。
ご飯は電子ジャーではなく、素焼きの釜があったため、それを使ってガスで炊いて、おにぎりでしのいだ。

翌、7日(金)も事態は変わらず。
職場からは自宅待機ではなく特別休暇という指示が出た。
私の職場は昨日から閉庁したまま。
そして、またTS病院から電話があったが、やはり交通機関やら諸々の事情からこの日も遠慮することにした。
さらにHW病院からも電話があり、明日の温熱治療は正常に治療できるとの一報も受ける。

もう、今週は仕事も病院もすべてあきらめよう・・・・・・・。
明日の温熱は予定通り行くとして、月曜日から再開させていただこうという決意をする。
ちなみに我が家に無事、電力が復旧したのは、この日の夜半に入る19:00以降のこと。
この日も覚悟を決め、懐中電灯とろうそくを灯したばかりの頃。

ただし、まだまだ復旧していない地域もあり、震源地では多数の死傷者も出た。
命というものに敏感になっている私は、謹んで被災者のご冥福をお祈りするばかり。
私のように、もう生存が無理だと言わんばかりの扱いを受けながらも、何とか生きながらえる者もいれば、つい今さっきまで元気で普通に暮らしている人が、突然の災害によりその命を終えてしまう。
なんと、この世は無慈悲な世界なのか・・・・・・。
もし、神がいるとしたら、ぜひ一度、膝を突き合わせて、その真意を聞きただしたい。

そして、この日、9月10日(月)。
なぜか、いつしか週の始めが定例の診察日になってしまっている。
8日(土)のHW病院もそうであったが、このTS病院も出会うスタッフから、ことごとく「地震大丈夫でしたか?」の話題が挨拶代わり。
なんでもこの病院の地域は、道路(国道)がめくれ上がるほどの被害があった。
逆にこちらから病院の状況をうかがうと、自家発電はあるものの、病院の全てではなく重要部署のみが対象エリアになり、他はやはり電気のない中でアナログ処理で業務をこなしていた様子。
出勤はどうされたのか聞くと、これもまた、この後の辛い時に救われたもう一人の看護師さんIさんは、家がこの区域なので自転車で通ってきたとのこと。
いやいや、頭が下がる。
自分の家のこともままならなかったでしょうに・・・・・。
人のために働くって、こういうことなんだとシミジミと実感。

とにかく無事治療は終了。
そしてTG医師の診察。
TG医師は「地震大変でしたね・・・・・」といったきり、それ以上、この話題には触れず、治療の話に集中。
さすがにプロ。

まずはスケジュールの再確認。
当初の予定より、機械トラブルにより1日、地震の災害により2日、計3日遅れになることを確認。
つまり、この肺の最終治療日は、9月12日(水)になるということ。
そしてその日は、とりあえず肺治療の最終日になるので、そこでまた診察をしましょうということになる。

さらに、私の体調確認。
さすがに喉のつかえが、ちょっとやっかいになってきたので状況を告げると、それは放射線治療による火傷なのだそう。
治療が終わるとじきに消えるということのよう。
なるほど、治療開始前の副作用の説明に、そういうのがあったような気がする。
前にも伝えている腹部の不快感が増していること、体重も減少しているということも告げると、話題は次の肝臓部への放射線照射のことに切り替わり、この肺の治療が終わったら、少しブランクを空けてから開始しましょうということに。
まぁ、私が訴えた症状を、すぐに直接どうにかするという手段はないのかもしれない。

とりあえず、私は残る2回分の肺への治療にまい進することにする。
とにかく先週は、私の闘病ということだけではなく、結構、すごい1週間だった。
正直やや疲労気味。
仕事も治療も生活全般も含めて、いち早くなんとか日常ペースに戻すことを考えよう。
ついでといってはなんだけれども、この時点ではまだスーパー等には満足に商品が並ばず、食料補給が正常に戻る見通しはまったく立っていない。
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テーマ : 末期がんの闘病記
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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