放射線治療(肝臓部)4~5週目、まさに試練!!

2018年10月10日(水)~同年10月17日(水)までのこと。
肝臓部の放射線治療、4週目と5週目をまとめてみた。
毎朝出勤前のTS病院への通院も、肺の時から考えると、ほぼひと月近く経過している。
通勤ラッシュピーク時の地下鉄も、あの試練の階段!!も、もう慣れたといえば、慣れてもきた。

しかし、体の倦怠感の症状が、さらに急速にひどくなってきている。
特に第5週目の頃となると、ほぼ毎日がこの倦怠感に悩まされる。
普通の体がだるいというのとは明らかに次元が違う。
もう、全身のエネルギーを奪われてしまったかのよう。
それでも、仕事は休まず毎日出勤。
仕事も始まってしまえば、なんとかなっており、2時間立ちっぱなしのセミナーなんかを担当しても何とかこなしている。

ただ、この症状がひどくなってきたきっかけは・・・・・。
この期間のとある日、放射線治療を終えて職場に着いてから、急にその倦怠感に襲われる。
ちょっと、今まででの中では最大規模。
さらに首から肩にかけて凝ったような感じになり、ガチガチに筋肉が堅くなってしまう。
こっ、これはなんだ・・・・・・。
なんとか仕事をこなして家に帰るが、すぐにマッサージ機に乗り、夕食も食べずに唸りながらもベッドに横になる。
その後、少し楽になり、お風呂にゆっくりと浸かるとさらに症状は軽くなり、寝る前には首から肩、背中じゅうにロイヒ壺膏を貼りまくった。

この日を境にして、単なる倦怠感のみならず、肩・背中・腰の凝りがセットになって症状として現れてくるようになる。
これは、かなり厳しい現実となった。
職場でもお客さんのいる時こそは、なんとかシャンとしていられるが、いなくなった途端、体を支えきれないほどの状態に。
隣の席の人も、私の病状の詳細は知らないにもかかわらず、「大丈夫?かなり辛いの?」と心配しだすほど。
傍から見ても、どうみても正常な状態ではないらしい。
街中での歩き方も超スローモーになり、歩いては立ち止まり、フラフラしていたり、とさながらゾンビのよう。

この状態での朝の通院と通勤。
かなりしんどいというのは、言うまでもない。
地下鉄の中でも、とにかく座わりたい。
吊革につかまって重い鞄を持ち、人混みにもみくちゃにされていると、倒れてしまいそうになる。
それは、地下鉄の専用席(札幌市では優先席ではなく専用席)に、堂々と座れるようにヘルプマークをもらうおうかと思ったほど。

でも、私自身の体の状態はこの状態なのだけれども、傍からの見た目は、とてもそうは見えないらしい。
黙っていると、一応はシャンとして見えるようなのだ。
おまけに体もでかいほう。
とりあえずは、辛くても混雑の中、立ったまま頑張っていた。
ヘルプマークも、「これはまだ早い・・・」と、なんとか手を付けずに耐える。
私の悪い癖で、この症状に対する私の意地が出てしまっている。

しかし・・・・・・。
この通勤を乗り越えた後は、あの試練の階段!!が待っている。
もう病院へ行くのを辞めて、引き返したくなることもしばし。
まるで、高齢者のように手すりにつかまって、一段一段、階段を踏みしめて上がる。
もう、悲鳴を上げそうだ。
上がり切ったら、バス待合スペースのベンチにへたり込み、しばらく休まないと、次の行動には転じられない。

その後は病院まで徒歩。
私は普段歩くのが早いほうなので、信号につかまらなければ、およそ7~8分で病院にたどり着く。
しかし、この頃の私は、おそらくこの倍の時間を要して歩いていたと思う。
病院職員と思われる人達が、さっそうと歩いているのを横目に、私のことを病人と思わない人は、朝からダラダラと「なんとやる気のない人なんだろう・・・」と思われていたに違いない。

そして、なんとか病院に到着。
毎朝の体調チェック表の『からだのだるさ』欄には、当然『ある』に印をつける日がほとんどとなる。
その後は、治療室で担当看護師さんから状況を確認される。

ここで、前にも述べた看護師さんのMさんと、Iさんの、献身的で親身な対応に心底癒される。
特に何ということはなく、状況を聞いてくれるだけなのだが、その私への向き合い方の真摯な姿勢に、この傷ついた私の心身の状況においては、このお二人がまるでオアシスと言ってもいい存在になる。
この2週間、IさんとMさんが一週ごとにこの部屋付きの担当であったからこそ、私はがんばれたのかもしれない。
人との向き合い方・・・・・・。
私も自分の仕事に置き換えて、この人達に今更ながら目を覚まされた思いでもある。

この4週目では10月10日、5週目では10月17日にTG医師の診察もあった。
いずれも、この状況は報告済みで、TG医師も認識しているところ。
ただ、毎度毎度の採血上の結果では、多少、肝臓の数値が下がることもあるが、治療に支障はなしということで、とりあえずこのまま継続して様子を見ていこうということに。
しかし、採血結果では、やはり腫瘍マーカーの数値は相変わらず上昇しているとのこと。
なぜか、この頃からTG医師も具体的な数値は口にしなくなる。
やはり、数値による、余計な心理的プレッシヤーをかけないためだろうか。

そして、食欲不振も進んでいるせいか、体重もまたさらに落ちてきた。
とうとう、体重も72~71kg台になる。
この食欲不振については、TG医師もやや心配はしている様子。

後からわかった話だが、この頃、TG医者は、私の入院の処置も考えていたとのこと。
ただ、私の仕事も含めて、私の日常生活を配慮してとのことで、なんとか気をつけながら治療を進めようと決断していたみたい。
私自身も自衛策として、10月14日からは栄養補給のため、市販ながらもプロティンを毎日牛乳に混ぜて飲むことを日課とした。
場合によっては、通販などで、もっと強烈なプロティンの使用も考えようかと。
とにかく、毎朝、目に見えぬ、まさに正真正銘の重い十字架を背負った私の姿を、まだしばらくは、あの界隈にさらし続けていくことになる。
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テーマ : 末期がんの闘病記
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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