近藤理論について・・・・・・

2018年10月放射線治療中(肝臓編)の頃のこと。
さて、今回は治療のことからはちょっと離れて、ちょうどこの期間のTS病院への通院中に読んでいた本のことについて。
それは、『がんは治療か、放置か 究極対決』という本。(以下画像)
帯に書かれた副題には『抗がん剤は本当に寿命を延ばすのか?健診、手術、放射線、緩和ケア』ともある。
《表紙》《裏表紙》



















特段、この対立構造のテーマに関心があったわけでもないけれど、末期癌患者で余命宣告を受けている身としては、目を通しておいてもいいかな・・・・・・という程度の関心で手に取ってみた次第。

そして、読み終わった後の感想を一言で言うと、『不快感』ということにつきるだろうか。
まず、私の立ち位置というかスタンスについては、癌治療を進めるべきか放置がよいのかということに関して言えば、そのどちらでもない。
私は、こんなことは、どちらかが正しいとかいう問題ではないと思っている。
ただ、私自身の病状に限って言えば、私は治療をしたことによっての今があるため、治療派が否定されるいわれはないという感情はある。
でも、治療を放置して生きながら得ている人もそのこと自体が事実だし、私のように治療を継続しながら生きながら得ている人もまたそのことが事実。
こんなことを、どこの誰が、どんな数値を使って、どんな意図でまとめたかもわからないデータで統計を出して、やいのやいのという議論には何の意味もない。
例え、統計的にどちらかが99%という結果であったとしても、残り1%の当事者にとっては、そのこと自体がまぎれもない事実なのだ。
そして、その1%が誰になるのかは誰にも分らないこと。
こういう前提がありながら、主義主張の違う人を論戦と称して本にまとめ上げることになんの意味があるのだろうか。
この本の企画意図を測りかねる。

この本の登場人物。
癌治療の放置派:近藤誠氏。
近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来所長。
癌の標準治療に敢然と異を唱え、早期発見→早期治療は無意味、無駄な手術はするな、抗がん剤は百害あって一利なし、結局、癌は放置するのが一番という主張の持ち主。
近藤理論と言われるこの説は医学界にも大きな波紋を呼び、反近藤理論、近藤否定論者も数多く出てきている。
氏はこれら反対論者に対して対論を求めてもいるが、いざ面と向かっての直接対決となると、大多数の反対論者が尻込みをしてしまうという事実もあるそう。
余談だが、私は名前が既にこの方の性格を現わしており、思わず新選組か?と思ってしまった。

癌治療派:林和彦氏。
東京医科大学がんセンター長。
この本の性質上、対立構図を煽るためか、癌治療肯定派のようにも見受けられるが、よくよく主張を読み取って行くと、決してやみくもの積極推進派ではなく、癌患者の状況に応じて慎重に手法を選びながら、癌治療を否定することなく最善策を選択しているという見方が正しいと言えよう。
現代の医療基準としては、まったく平均的な普通の考え方の持ち主。

Amazonなんかでのこの本のレビューを見ると、結構、近藤氏を支持しているレビューが多い。
論理的であるとか、説得力があるとかといった見方である。
でも、癌患者当事者の私からすると、それは近藤氏の言葉の圧が強いというだけで、その主張が正しく現状を現わしているとは到底思えない。
所詮、日和見立場の人たちの、この本を表面的に見ただけの読後感であろうか。

私の感想としては、まず近藤氏の主張には大いに疑問がある。
もし、この近藤氏の主張が正しいとするのなら、率直に言うと、私は今、生きてはいないだろう。
癌は治療するな、抗がん剤は百害あって一利なしというのが本当ならば、私の2016年の1月~2017年の7月あまりまで続けていた、私のシスプラチンゲムシュタビンの治療は何と説明をつけるのであろうか。
そして、17年10月からは内服の抗がん剤エスワンタイホウテイエスワン)を今も服用し続けている。
それは確かに、特に内服に変えてからは、色々と副作用も出てきてもいる。
その副作用に悩まされることも、決して少なくもないが、近藤氏の言うような癌治療が寿命を縮めるというほどの症状も実感もないし、どの医師からもそのような指摘は受けていない。
「いや、それはすぐには出てこないし、時間の経過とともにダメージが蓄積されているんだ」と言われるかもしれないが、私にしてみれば余命を宣告された身であって、もともと根治を期待しているわけではないため、その経過時間(時間稼ぎ)こそが延命の効果であり、私個人の期待する治療効果と言えるのだ。

もし、近藤医師の言うようにあの2015年の暮れに癌と認識された時点で放置していたならば、結果はどうなっていただろうか。
おそらく、私の命はとうに尽きていたであろう。
放置か治療かについては、統計的な癌患者全体から取得する相対値データはあったとしても、一個人の絶対値データの収集とその検証は極めて困難なことぐらい素人でも想像がつく。
せいぜい、参考値となる腫瘍マーカーの数値くらいのもので、固有の患者の体が一つしかない以上、治療をした場合としなかった場合の客観的な比較は不可能なのだ。

そして、その症例も個人ごとの免疫システムの差といえばそうなのだが、ではなぜ、個人ごとにその免疫システムが違うのか?
DNAの構造?
では、なぜその人にとってそのDNAが存在しているのか?
これは、もう神の領域なのである。

とにかく、私の体感としては、治療をしなければ今の自分はなかったと、私自身の体験としてそう断言できる
治療をすると、死期を早めるという近藤医師の理屈は、どう考えても私には当てはまらない。
それと、このブログ内で私も再三、標準治療とは?ということも投げかけているが、林氏側の標準治療についても同様のことが言える。
私自身の体験としては治療の効果はあったと言えるが、万人にとってどんな医師と対峙するかもわからないという前提からすると、林氏側の理論を積極的に支持するつもりもない。
つまり、治療をした方がいいのか?放置した方がいいのか?については、私はあくまで個人のケースと、その治療環境によるもので、そもそもがどちらがいいという結論を安易に出すべきものではない。
私に言わせると、この本の企画自体がナンセンスであり、それに踊らされて、どちらか一方の理論を持ち上げるのは甚だ愚かなことかとも思う。

そして、もう一つ・・・・。
これは私の完全な主観であるが、上述したようなこをすべて飲み込んで、この本を読んでみても、どうしても私はこの近藤氏の人間性が好きになれない。
まず、人と議論する場合での、好ましくない態度・姿勢、発言の仕方を、私自身は反面教師として見させていただいた。
議論の当事者はやはり、感情的にも熱くなるもの。
これは理解できる・・・・・。
でも、この近藤氏の振る舞いを第三者の目線で捉えると、非常に見苦しい。
とても、分別のある大人に見えない。
林氏との議論で、とにかく主義主張の優劣を競おうとし、相手に隙ができると見るやいなや、人を見下したような態度をとっている。

どちらの主張が正しいとかいう以前に、近藤氏のその姿勢の厭らしさが前面に出てしまい、近藤氏の主張に共感できない。
ある意味、ドヤ顔をするためだけに精力を傾けてきた(後述)かのようで、その裏面の必死さが露骨がゆえの幼稚さも見えてしまうのだ。
それを最近ネットでの与太話でも多様されている論破という安っぽい観念のみで、反論者に対峙することが至上の使命とまで思われているご様子。

例えば、林氏の主張に対しても、最後の方で「それにしても、林さんは教授職に就いていて、医学者でもいらっしゃるのですから『感じている』とか『信じている』などという根拠不明なことを言わず、もっと具体的な指摘をされたらよかったのに」などと言及する。
まさに勝ち誇った勝利宣言のつもりなのかな。
でも、懸命な読者は議論の勝敗に興味を持っているのではなく、神のみぞ知る領域への科学の手がどこまで迫ったのかということ。

基本、林氏は論客ではない。
本業は医療従事者・研究者である。
確かに、がん検診を車検に例えてしまったのは、ある意味、こういう人を前にしては失策だったかもしれない。
しかし、反面、近藤氏の方にも、議論が白熱した時に海外のデータを唐突に引用をしてくる場面があったが、人のことを言うわりには、その引用データの信憑性に信頼を置けるものでもなかった。
はっきり言って、その会話の前後での会話の勢いで押し切っているだけなのである。

知っての通り、データとは、ある種、作り手が思う方向に表現しようと思えば、その数値の拾い方、何を分母とし何を分子としているか、まとめ方によってどうとでも操作できるもの。
よほど、そのデータの出典や集計意図、誰がどこでなんのために作って、その引用者もどうしてそのデータを引用したのかもしっかりと表明しなければ、ただの借り物データの濫用で引用者そのものの論拠も軽くなる。
つまり、私に言わせればどっちもどっちなのだ。

そして、近藤氏自身の後の個別インタビューで明らかにされた、自らライフワーク?とも思える、自らの論点に一つでも穴があったら大変と日夜神経をすり減らしていた・・・・とのこと。
いつ誰がどんな議論を吹っかけてきても対応できるようにと神経を尖らせていたようである。

今現在の氏の立場は、大学での講師であり、大学の職員でもあるということ。
診療をするのは義務ではなく自発的サービスなのだという。
一方の林氏は、プロのガイドとして患者に寄り添う姿勢を全面的に見せている。
プロのガイドとは言いえて妙だが、医者は神ではなく、どんな病気も100%完治させることはできない。
この日常の両氏の姿勢の違いが、この議論での強弱を現わしているのであり、議論での発言の強弱が事の正しさを指し示しているわけではないと私は思っている。

近藤氏も自説にそぐわないケースの存在も認めている節も見られるが、それにしては自説の論調全体が強すぎる。
確かに近藤氏の考え方も、まったく否定できることばかりでもない。
何も考えずに、ただただ一定の手続き優先でベルトコンベアー式に手術に持って行くという、何でもかんでも切ってしまう医師もいるのであろうし、もしかしたら、そういうことへの警鐘を鳴らす意味からこの理論がスタートしたのかもしれない。

ただ、100%の数値が意味するものは、その一人一人が人間であり、その1%ごとにそれぞれの人生が凝縮されているということを忘れてはいけない。
例え例外が1%の確率でも、今、目の前にいる患者が、たまたまその1%である可能性は充分にあるのだ。
これを忘れては医師とは言えない
と思う。

繰り返すが、私は治療派でも放置派でも、そのどちらでもない。
どちらの方法も個人にとっては有効な方法としてあり得るし、対決させる議論でもないと思う。
それと、一つの考え方を絶対的な正論として昇華・創出していくことの愚かさも、我々患者は冷静に見つめるべきだと思う。
人間のできることに絶対はないのである。 にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
にほんブログ村

テーマ : 末期がんの闘病記
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR