運命の日!!死の宣告・・・・・・・

2015.12.21(月)のこと。
この日は職場を休み、家内と一緒にT病院へ。
今までの、もろもろの検査の結果を含め、この私の病状への総合的な判断を聞くことになる。
私はもう聞くまでもなく、悪い結果になるであろうことは覚悟を決めている。
おそらくは、家内もそうであろうが、まだどこか認めたくない思いもあるであろう。
それでも私はその結果を聞いた後では、さすがに今日は仕事にならないであろうから、丸一日休むことにした。

午前11:00、約束の診察時間。
気持ち、いつもより神妙に診察室の前で待つことに。
しばらくすると、今日はそれほどの待ち時間もなく、比較的スムーズに名前を呼ばれ診察室へ入る。
まず、先日のPET検査の結果から・・・ということで、Cクリニックからの画像診断報告書を見せられる。
KM先生も非常に言いづらそうに、言葉を選びながら「実は・・・・、悪い状況です。」という切り出し。
正式に告げられた言葉を、すべて覚えているわけではないので、ここに正確に再現することはできないが、おおむね以下の通り。

かなり大きめの悪性腫瘍があり、胆嚢(たんのう)癌、または肝内胆管細胞癌と言えるかもしれないとのこと。
また、リンパにも転移が見られ、肺にも多分、癌細胞と思われる小さな癌が見つかっているとのこと。
これは、確定的ではないが、ステージ4の疑いがあるといっていいでしょう」とのこと。
さらに、この病気の状態については、ここまで進んでしまうと、もう治る病気ではないとのことも付け加えられる。
そして、ここの病院での先日のCT検査の結果画像も見せられ、やはり想定通りの肝臓に腫瘍状のものの侵食が大きくあるとのことで、手術の可能性を外科の医師達とも協議をしてみたが、これは、もはや手術は不可と、判断されたとのこと。

<CクリニックPET検査結果報告書><T病院CT検査結果>

KM先生もできるだけ冷静に淡々と、事務的に解説するように話を進められる。
まぁ、言われることはなんとなく想像がついていたので、私自身としては今さらそれほどの驚きはない。
ただ、ここまで具体的に言われると、下腹にズーンと重いものが込み上げてくるような気分に襲われる。
しかし、私もある程度、腹は決まっていたことでもあるので、単刀直入に「余命は、どのくらいですか?」と聞いてみた。
KM先生もそれにはすぐには応えず、まだ説明の残りの続きを進める。
この後のこととしては、放射線治療も難しいということから、抗癌剤の治療を進めていくしか打つ手はないということ。
この部位の癌には2種類の抗癌剤があるが、この抗癌剤治療も治す方向での治療ではない。
また、副作用もあること等、それなりの精神的・身体的負担、リスクも背負うことが説明される。

そして、「先ほどの・・・・」と、前置きをしながら、余命について、「この抗癌剤の効き方による個人差にもよるため、確定的なことは言えないが、一般的にこの部位の癌は、一年持たすのが、難しいといわれています・・・・・」とのこと。

※この時のKM先生は、かなり表現を遠慮していたようで、後の病院では余命3ヶ月~半年という見立てをされる。
※尚、T病院CT検査結果にはステージ4(疑い)と記載されているが、書面的には確定的に記載できないだけで、口頭ではほぼ確定扱いとされている。

なるほど・・・・・。
そう来たか・・・・。
さすがに、診察室内が一気に重苦しくなる。
家内は泣き出すし、言うべきことを言い終えたKM先生も表情は硬い。
また、その後ろにいる医師事務作業補助者の人も、その手を止めて静寂の中で息を呑んでいる様子が伝わってくる。
しばし、無言の間が続く・・・・・。
私は努めて平静を装い「わかりました・・・・」と応じる。
私の中では、確かに衝撃はあるものの、どこか冷めている自分もいる。
心中では、私の人生を振り返ると、とうとう、ここまで来るのかと不謹慎ながらも「フッ・・・・・・」と、笑ってしまってもいるようで不思議な感情の状態。

そして、KM先生から、もう一つの方法として、セカンドオピニオンをお勧めするということ。
当院だけではなく、別の病院での見解を求めるのも一つの手であるということを告げられる。
一瞬、希望の声にも聞こえたが、私の中では、こういう状況って病院を変えたからといって、大きく事が変わるものでもあるまいと思うところ。
でも、手立てとしては、やれることはやってみるしかないのかと、ある種の開き直りも湧き上がる。
でもこれも、家内の手前的なこともあり、自分としては「もうどうにもならないだろう・・・・」との想いはやはり消えることはない。

だが、セカンドオピニオンとはいっても思い当たる病院がない・・・・・。
家内からKM先生へ、「どこかお勧めの病院は・・・・・」と聞いてみると、「本当は、こちらから言えることではないんですけれど・・・・」と言いながらも、KY病院、H病院の名前があげられた。
ここでも、M記念病院でもその名が出たH病院の名前があがるが、私はKY病院の方に関心を持った。
まぁ、そこは家からも近いことだし、ついこの間の夏に利用したばかりである。
(注:この年の夏の深夜に急な腹痛により救急車で運ばれた病院。ちなみにこの時の症状は、今回のこととは関係がないとされている。)
あまり、大した期待も持てないが、どうせ試してみるのなら、そのKY病院の方がよいのかもと思えてきた。
この場では取りあえず、KY病院をセカンドオピニオンとしてお願いする意思を伝え、KM先生には診療情報やお手紙等の資料を用意していただくことをお願いした。
すぐに了承してもらい、後で持参できるよう資料を郵送してもらうことになる。

とりあえず・・・・・。
これで、本日の結果を聞く診察は終了。
私的には結論として、何となくイヤな予感がしていた通りの結果であった。
しかし、それが具体化されたことや余命の話がはっきりとしたことには、さすがに動揺は隠せない。
もちろん、私が絶対にそうなると決まったわけではないのだが、一般的な統計通りなら、おそらくそれはその通りであろうし、私に限っては決して奇跡など起こるわけがないと思っている私がいる。

家内は家内で最悪の結果も、一応は覚悟はしていたようだが、やはり「後、1年くらいかも・・・・」という現実には、当の本人の私よりもショックが大きかった様子。
家内にしてみれば、あまりにもその期間の短さには大きな衝撃となったようである。

それはそうであろう・・・・・・。
私も、後1年という響きには、確かに驚いたことには驚いたが、しかし、人生の終焉という驚きよりも、残された時間で色々な事へ何をどうしようか・・・・・という焦りの方が大きい。
よくドラマや映画で表現されるように、「どうして自分が!!」とか、「まだ、やることがあるんだ!!」というような、泣き叫ぶような嘆きとも怒りといった悲嘆の渦に取り込まれるといったことが不思議と全くない。

家内には怒られるかもしれないが「それなら、それでもいいや・・・」的な気持ちがなかったわけでもないことも真実である。
別に、積極的に死にたいと思っているわけでもないのだが、これは私の悪い癖で、幼少の頃からのどこか人生に冷めた見方というのが、今もなお、脳の奥底にこびりついていることが所以なのかもしれない。

もちろん、今は家族や仕事のこともあり、そんなに安易に人生を考えているわけではない。
また、いくら何でも今の53歳(当時)という年齢の人生では、あまりにも短く切なさも感じないこともない。
せめて、自分の父親(享年67歳)よりは生きたいと思ったし、よしんば譲っても、最低でも60歳は超えたいという思いもある。

でも、私の心の深層部のどこかに「もういいや、面倒くさい・・・・」といった闇の部分があるのも、これは正直に自分に向き合うと、その存在は事実であろうかと認めざるを得ない。
少なくても、悲嘆にくれるとか、積極的に病気と闘う!!(これは、後々もこういう考えは不思議と湧き上がらない)とか、普通にイメージされる命への執着心とかの、心の葛藤が起きなかったのである。
ただ一つだけ言えるのは、家内のことだけは心配でたまらなくなった。

そのためもあってか、この心の闇の部分を病魔に利用されるわけにはいかない。
「生きる!!」という意思を強く持つことにしよう。
それでも、どうにもしようがなく、その時が来るのならば、潔く、見苦しくなく、人生の完結を素直に受け入れることとしよう・・・と、そう考えていくと、結構、心も落ち着いてきた。


病院からの帰り道、言葉少なに家路を目指すが、家内も落ち着きを取り戻し、現実と向き合った様子。
一応は、最後に到達した私の考えには共感して納得はしたようだが、生きるという意思を強く持つことは、何度も何度も繰り返し言い重ねられる。
そして、家内は家内で、病魔に対して手をこまねくつもりはないようで戦闘態勢に入ったようだ。
ここ最近、芸能人や有名人のがん闘病の話題も多いことからも、さっそく食事などを含めた民間療法等について調べてみるとのこと。

その後は、家の近所で食事をとることになるが、さすがに普通に食べることができない。
一人前のオーダーにサイドメニューを付けて、二人でシェアするのがやっとだが、家内はほとんど口をつけるだけ。
それでもまだ、私が食べる気になれるのは、その冷めた現実の受け止め方によるもなのか。
これは、単純に私のメンタルがタフというものでもなく、本来の私の冷めた人生観によるものであり、私が取り乱さずに済んでいるのはそのおかげといえば、おかげなのかもしれない。
私が取り乱せば、家内はもっと辛いであろう。
考えようによっては、救いといえばこの人生観が幸いしていることであろうか。

帰宅後、私は、さっそくKY病院のホームページを調べて、セカンドオピニオンの申し込みをすることに。
ところが、Xmas前ということもあって忙しいのか、そのセカンドオピニオンの窓口となる担当者が不在とのこと。
世間は、Xmas、そして年末なのだ・・・・・・・。
もはや我が家的にはまるで関係がないことで別世界の話。

少し、間が空くが、今週金曜日に再度電話がほしいとのこと。
仕事の日なのだが、また空き時間を見て連絡してみることにしよう。
結構、気持ち的には落ち着いてはきたものの、あれこれ考えることは切羽詰まった状態なので、この待ちの時間はもどかしい。
まぁ、でも、他にもやらなければならないこと、手を打たねばならないことも山ほどある。
一つ一つ、片付けようか。
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ジャンル : 心と身体

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Re: No title

ご指摘大変ありがとうございました。
結構、気をつけていたつもりですが、モレがありました。
私自身は、そんなに気にしてはいないのですが、関係機関の方々には思わぬ影響を与えるやもしれませんので、今後はもっと気をつけていきたいと思います。
この度は、大変ありがとうございました。
プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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