入院生活の開始と家内の悲しみ・・・・・

 2016.1.14(木)~2015.1.20(木)頃までのこと。
※実はここまでの投稿は、当時の詳細なメモが残っていたため、かなり克明に当時の状態をスピーディに再現・投稿できました。
しかし、メモは同年の4月頃分まではデータとして残っていたはずなのですが、色々なデバイスで原稿を作成しているうちに、誤って消去してしまいました。
ここからは様々な資料をもとに、私の記憶を掘り起こしての投稿になります。
そのため、少々、投稿アップのペースは今までよりは遅くなりますが、しっかりと記憶をもとに再現したいと思います。
また、状況の変化も、ここから先は日ごと単位のまとめの必要性もなく、スポット的に特記すべきことがない日以外は、期間ごとのまとめにしていこうと思います。

・入院治療の開始
さて・・・・・・・。
私の治療方針が昨日決定した。
まずは、腎機能の回復。
ということで、私はこれから1週間、24時間の連続点滴となる。
とにかく、一日中の点滴生活のため、かなり、日常の行動についてはわずらわしい。
どうも私の血管は細いようで、点滴に針を刺すのに看護師さんも毎度苦労している。
私自身も痛みが激しく、採血の時とは比較にならない。
これはその時の看護師さんの刺し方によっては、刺した後もずっと痛みが続くこともある。
忙しい中、点滴の落ち具合を定期的に観察に来る看護師さん達も大変のようで、なんだか申し訳なくも思ってしまう。

・内服薬の調整
M記念病院で話題にあがった血糖値の管理をインシュリンにするかどうかについては、ここの病院の専門医とも協議した結果、今まで通り内服で経過を観察していくことになった。
さらに、血圧が割と低いことから、今まで使用していたコディオ配合剤EXという薬では効き過ぎのため、ミカルディス錠20mgという薬に変更することに。
でも、この薬も数日後には、私の血圧の状態が順調なためにやめることに。
やった、血圧管理からは解放される。
長年、服用していた多くの内服薬のうち、これで一つ減ることになる。
多分、このことは今回の病気には関係ないのかもしれないが、この入院で発見できたこと。
そして、例の胸に機械を入れることに備え、予定通りバイアスピリンブラビックスの服用を中止。

そして、私の体調的には、至って元気。
家にいて仕事に行っていた時より、かなり楽な生活であることは事実。
どこかが痛いとか、体がだるいというのも実感としてない。
腎機能の悪化についても、血液検査上のことなので、私自身の自覚症状はまったくない。
実際には事態が深刻なはずなのだが、毎日の気分としては入院する必要があるの?という感じ。
そのため点滴は邪魔だが、生活自体は快適といえば快適。
また病院にいるということで、何か起きても24時間すぐに対処してもらえるという意味での安心感はたいへん大きい。

・食事について
入院翌日の1/14(木)の朝食で、すぐに、ごはんの量の多さに驚く。
私は病気になる前からも、日常的に朝ごはんはごく少量で過ごしていた。
そのため、どこか旅行に行くような時以外は、もともとそんなに食べないのだ。
それに加えて、今は全体的に食事の量が落ちていることから、様子を伺いに来た看護師さんに、ご飯の量を減らしてもらうことをお願いした。
そして、ごはんの量が170gから150gに変更してもらうことに。
しかし、3日ほど続くと、それも辛くなり、たまたま栄養士さんが様子を伺いに来たため、朝食だけ毎食パンにしてもらうことに。
でも、これも食パン2枚と、私には多め。
その翌日からは、食パン1枚にしてもらう。
さらに体調に特段不調はないものの、やはり食欲の加減からか、昼・夜のごはんの量もさらに落として130gという状態で退院までを過ごすことに。

・入院翌日のこと
ちょうど、その入院翌日のお昼頃、思わぬアクシデント。
それは、地震。
結構、揺れる。
テレビにも緊急テロップが流れて、震源地は浦河とのことで最大震度は5弱とのことらしい。
たまたま、お昼休みに来ていた家内もいる時で、これにはびっくり。
病院スタッフも一気に緊張感が走るが、その動きは冷静そのもの。
でも、その対処はプロそのもので、こういう時の日常の対処の仕方というのも徹底されているみたい。
私も家内もちょっと家の様子が気になる。
特にわんこ達は大丈夫か?

・家内の気持ち・・・・・・・
夕方には仕事が終わって、家内がそばのスーパーで弁当を買ってきて、病室で夕食。
今の状況のこと、今後のことについてあれこれと会話。
家内とのLINEも無事開通。
これで連絡も取りやすくなる。
しばらく過ごした後、家に帰った家内からすぐに連絡が来る。
なかなか連絡が取れなかった、私の弟とやっと連絡が着いたということと、息子もようやく航空券が取れたと連絡があったということ。
家族もそれぞれ動き始める模様。
これで、私の病状を知っている人たちは家族全員と、家内の実家、私の実家はもはやないのだが、唯一の肉親である弟、職場の一部メンバーのみとなった。
まだ、私の友人たちには伝えてはいない。
今のところ、どこからどう伝えようか整理がつかないのだ。

そしてしばらくすると・・・・・・。
家内から以下のメールが届いた。

          <メール全文>

お父さんへ・・・、やっぱり寂しくて悲しくて・・・、病院からの帰りは泣きながら運転して帰ってきました・・・

私は一人では生きていけません・・・
でもきっとお父さんと一緒なら乗り越えることができると、そう信じています。

 ただ、抗がん剤治療が逆に大切な日々を短くしてしまいそうなら、その時は家に帰ってきてその日その日を大切に、ふたりで生きて行って下さい、お願いします。

 食べたいモノ食べて、今朝も話したけど普通の生活が一番幸せで、何よりその瞬間がとても大切だから・・・

 きれいな景色見て、あやめとかえでと一緒に散歩して・・・その日常が何より大切だから・・・

 お父さんのこととても大切に思っています、心からそう思います。だから私と二人でこれからも生きて行こうね・・・

 時々自分に負けることがあるけど、その時はお父さんがこんな私を励ましてください・・・逆にお父さんがつらいときは我慢せずに私に話してくださいね・・・

 今まで生きてきたようにこれからも二人で怒ったり、笑ったり、そんな毎日をこの先もいつまでも大切にしていきたいと思います。

 とりあえず、点滴して眠れないだろうけど転ばないようにね・・・


・・・・・・・・・・・。
これには私も泣いてしまった。
結構、ツライ・・・・・・。

対面している時は気丈に振る舞っているが、やはり、その心理は単純には言い表せないほど複雑な状態なのであろう。
LINEやショートメール、キャリアメールではなく、PCでのメール。
メールの中で抗癌剤のことに触れているため、おそらくPCで抗癌剤のことを調べているうちに不安が増幅し、一気に感情があふれてしまったのではなかろうかと思う。

抗癌剤に関しては、巷でも賛否については本当にいろいろ言われており、患者や医師側としても様々な考え方もあるところであるが、私は他に打つ手はない以上、リスクを冒してでも闘っていくしかないと考えている。
ただ、家内の気持ちは、しっかりと受け止めねばならない。
こんな想いをさせてしまって、本当に申し訳がない・・・・・・。
病気との闘いとは、こういうことでもあるのだと、骨身に染みた夜のこと・・・・・・。
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テーマ : 末期がんの闘病記
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

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