H病院の罪・・・・・

 2016.1.14(木)~2015.1.20(木)頃までのこと。
私が入院してからすぐに、家内は家内で例のH病院へ飛んだ。
一応、サードオピニオンとして考えていたあの病院だ。
家内が職場で、「家族があきらめてどうする!!」と言われたこともあり、その病院で話題の『陽子線治療ができるのか?』というのが、やはり確認しておきたいポイント。
ここKY病院のM医師は、あまりこの治療については肯定的ではない。
しかし、私達にはやれることは、やってみようというのが今の考え。
私自身は早く抗癌剤治療をしたいこともあるため、まずは私は入院を優先し、そのH病院へは家内一人で話を聞きに行ってもらった。
光明が見える話となるのであれば、私もここの病院から外出という形を取って、そのH病院へ行くつもりでいる。

家内がH病院へ向ったその当日、病室でボーっとしていた頃、家内からの連絡で携帯が鳴った。
まず、第一声が「手術できるって!!」という声。
泣き声である。
私は一瞬、何を言っているのかわからなかったが、家内がかなり興奮しているのだけは伝わった。
聞いた話が悪い話ではなかったのだろうということは容易に想像がついた。
家内の口からの現状報告で、対応してくれた医師は「大丈夫、最初からうちに来てくれていればよかったのに・・・・」とまで言われたのだそう。
私自身も、この絶望の中でのそういう話であることから、すぐに胸のつかえが降りたような感触に包まれ、もう忘れ切っていた希望という感覚が、少しだけムクムクと湧き上がる。
でも、どこかで、「そんな、簡単なものなのかなぁ・・・・」と、思わないでもない。
「資料ももらったので、すぐにそっち(私の病室)に行くから!!」とのことで、とりあえず家内の到着を待ってみることにした。

喜び勇んで、それこそ飛び込むように病室に入ってくる家内。
今日のH病院での面談内容を改めて聞き、まずは再確認する。
その担当医はご丁寧に、手術イメージを図示までしてくれて、外科的な治療が可能であるということまで説明してくれたみたい。
その資料が以下のもの。

《H病院担当医からの手術イメージ》

何でも、肝臓の悪いところ付近をひもで縛って、切除してしまうのだそう。
そして、その切除した肝臓部分の再生治療を行いながら、抗がん剤治療も同様に進めていくというものらしい。
肺への転移は局所的なものであり、全身の栄養状態と腎臓の機能を気を付けて診ていくということだそう。
肝心の陽子線治療の話はでなかったみたいだが、話の要旨は以上の通り。

う~ん・・・・・・。
私にすると、大変喜ばしいことではあるのだが、患者本人のデータを何も見ていない状況でそこまで言い切れるのだろうか?という疑問はやや残る。
万が一、手術となると、それはそれで大きい話になるので、それなりの新たな覚悟と準備も必要である。
当然、その手術でのリスクがないわけでもないことは言われてもいるようだが。

とりあえず、どうするか?ということで、まず詳細なデータを送って欲しいと言われたとのことで、ここのKY病院から私の病態のデータを送付してもらうようにお願いをしなければならない。
さっそく、ここのM医師との面談を希望することに。
この面談は、状況を直接聞いてきた、家内が一人で行うことにした。

ちなみに、今回面談したH病院の担当は、ここのKY病院のM医師をよく知っているようで、「あぁ、〇ちゃん(M医師の下の名前)に診てもらっているの!?」という会話もあったそう。
この言い回しからすると、医師としての出身学閥で同門ということなのだろうか。
いずれにしても、H病院の担当の方が上位に位置している感じである。

さっそく、その日の夕刻に家内がM医師との面談。
私は病室で待っていたのだが、結果的には、M医師は渋々という感じでデータをH病院へ送付してくれることになった。
やはり、直接診ているM医師としては、「何を言っているんだ・・・・・」という感情があるのだろう。
でも、H病院の担当が自分の先輩なのか師なのかはわからないが、M医師より上位の人であるということもあるせいか、一笑に付するというわけにもいかないようで、「私としては、無理な話とは思いますが、まずは見解を待ちましょう・・・・」ということで、データを送付することで同意となったらしい。
M医師からは「さっそく、明日にでも郵送します・・・・」ということになる。

そして、私はその後も、例の腎機能回復に向けての24時間連続点滴の継続。
日ごと、採血をしながら様子を診ているが、徐々に数値はよくなり、この週明けの月曜日には、とうとうついに「腎臓の状態がよくなったので、抗がん剤の治療に入れます!!」との見解が出た。
しかし、あのH病院からの回答がまだ来ていない。
そのため、抗がん剤の体勢は整ったものの、H病院の見解待ちということで、待機の状態になってしまった。
私の体からは久しぶりに点滴が外れて、スッキリはしたが、私の気分としては「私は、いったいどうなるのだ・・・」という不安は尽きない。

この状態で日時は数日経過することになる。
抗癌剤をあまり良く思っていない家内にしてみれば、あのH病院への治療計画への期待は大きい。
それだけに、この回答がなかなか来ないのには焦れてくるところでもある。

そして・・・・・・・。
やっと結論が出たのは、1/19(水)のこと・・・・・・。
この病院からデータを送付して、およそ1週間近く回答を待たされたことになる。
そして、その結果は・・・・・。

やはり、ここのM医師の見立てと同じで、「手術は無理」という回答だった。
家内の落胆は大きく、涙ぐみながら、私に「ごめんなさい!!」を繰り返す。
いやいや、家内が謝ることではない・・・・・。

私は実際のところは、それほど大きな期待はしていなかった。
やはり、患者本人を目の前にしていないのに、そこまで言い切れるのか?という疑問は払しょくできなかったのである。
あまりにも、言うことが軽い。
ただ、もしその通りになるのなら・・・・という、希望が持てたのも事実。
それが実行できるのならば、新たな治療やリスクにも備えなければいけないことではあるものの、なんにせよ癌に対しての対策が確立するということは、精神的にもかなりのプラス効果があり、たいへん喜ばしいことでもある。
ただ、この結果を聞いた瞬間の落差は物凄く大きい。
時間もかなりロスしてしまった。
結果を伝えに来た、M医師は自説が正しかったということは一切言わなかったが、無駄な時間を過ごしたと言わんばかりに、テキパキと抗がん剤治療への準備の話に入る。

私は正直なところ「やっぱりねぇ・・・・」という感じもあったためか、それほどのダメージはなかったが、家内はやはりショックは大きかったようだ。
私も今の医療社会の現実を見たような気もして、「私は大丈夫だ!!」と家内を慰めることに終始する。
しかしまぁ、どうなんだろうねぇ・・・・・。
医療従事者って。

私の仕事も人様の人生を組み立てるお手伝いをする仕事である。
様々な事情を抱えている来訪者の話を、とにかくひたすら傾聴し、カウンセリングのような形式にもなり、時には善処に向けてのコンサルティングのようなこともする。
ただ私は来訪者にとって、どんなに喜ばしい情報でも、確定してもいない確証の裏付けのないことは、絶対にお伝えすることはない。
それは、今回の私達のケースのように真逆の結論が出た時のダメージを考えると当然のこととも言えよう。
しかし、今回のH病院の担当医は名刺の雰囲気からも、相当にポジションは上位の人のようにも見えるし、経験や見識はそれなりにお持ちであろう。

それでいて、生死の境にいる重篤な患者の家族に対して、なぜにこんな軽はずみなことをモノ申すのであろうか?
本来なら名刺をそのままここで晒したい気分でもあったが、かろうじて私の理性がモザイクによる個人情報部分のぼかしの処理を選択させた。

おそらくこういう状態の時、本人に事情を問うと「いや、私はそのようなことは言っていない、そちらの受け止め方の問題だ!!」と反論されるであろう。
こういう人達のトラブルの際の常套句である。
でも、それならば、あんなにまで仔細な手術イメージのメモを作ってまで、説明する必要があったのだろうか。
良識のある人であれば、「事情はわかりました。まずはご本人にお越しいただいて、当院でも検査をした上で・・・・」となるのが常識的な対応ではなかろうか。
結果として落胆しただけではく、私の抗がん剤治療も遅れてしまったし、ここのM医師やスタッフ達にも迷惑をかけたことになる。
権威ある人たちの常識とは、こんなにも一般の感覚とかけ離れてしまうものなのだろうか。

とりあえず、一瞬の期待は夢見たものの、振出しに戻り、また現実と直面することになる。
M医師はとにかく抗癌剤治療を早めようということで、明日には私の胸にポートと呼ばれる点滴の台座のようなもの(M医師の以前の説明では機械と言っていた)を胸に埋め込むことになる。
簡単な処置とはいうものの、一応、レーザーメスで皮膚を切るらしい。
一通りの処置の説明と、準備について解説され、明日に備えることに。
こうして、激動の一日がこうして終えることに。
とにかく家内には「気にしないで・・・・」と、繰り返し伝えるのみ。
H病院の担当医は、いったい今日のこの日、どんな夜を迎えているのだろうか・・・・・・・。
にほんブログ村 病気ブログ 末期がんへ
にほんブログ村

テーマ : 末期がんの闘病記
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

North Wind

Author:North Wind
生年月日:1962年2月21日
性別:男
家族:妻、息子(独立済み)、わんこ(パピヨン2頭)
北海道札幌市在住

2015年12月21日。
年末の慌ただしい中、肝内胆管細胞がん(胆のうがん)、肝臓に10cm大の腫瘍、リンパ節転移、肺転移によりステージⅣと診断されました。
手術、放射線治療は不可とのことで、余命3ヶ月~半年との宣告を受ける。

しかし、2018年現在・・・・・。
抗癌剤治療にて仕事も、なんとか正常に継続し、今のところ生存しています。

追記1:2018.6.29
ここまで順調に癌の進行を抑えていましたが、とうとう腫瘍マーカーの急上昇、肺転移、肝臓中心部にも新たな腫瘍が発見されました。
最後の手段だった内服の抗癌剤の効果なしと判断され、もはや打つ手はなしと宣告されました。


追記2:2019.2.18
色々と手を尽くしてきましたが、いよいよもって『終わりの始まり編』に入ってきたようです。
大変、悔しく、断腸の想いでもありましたが仕事も退職しました。
これから、どんどん衰弱は進むでしょうが、最後の最後までこのブログは続けていこうと思っています。


どこまでできるかわかりませんが、癌と共に生きる、そして働くということ、癌になってわかったこと、学んだこと、そして私の生き様を記録に残していきたいと思います。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR